禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

おんなのことしてはその魅力MAXな理想の快楽園!あそこの地形が齎すおんなの花園は一体??

2019-08-09 23:19:15 | livelove日記
昔の話しとしておこう。それは、遥か以前僕がおんなのこであった時、友達のおんなのこと伊豆旅行に行った話しだ。
いや、伊豆と言うのは一風変わった趣がある。その趣は?と言うと、女子なら拘る女性的な嗜好、これに関しては日本で随一を誇るのではないか、と噂されるような、そんな趣のことである。何が?と言えば、今ここで遠く長岡の地から伊豆に向かって目を向けてみれば見えるように、いやこれまた太平洋を背にしてそのおんなのこの気配漂う、これは如何せんおんなのこの遊びに長けるそんな雰囲気、これが良いわけだ!いや、昔、その界隈にある伊豆旅館に向かって僕は何度も伊豆を訪れたのだ!

伊豆と言えば、今でもそうかもだが女性的な旅館が目印の女性らがお泊りする宿泊施設の決定版!とも言える、まあ通りの町村に隣接している宿泊施設とは趣を異にした、いわば恐らくそのワンランク上の宿泊道、ワンランク上の宿泊道においても、この伊豆界隈と言うのは、それは上級のもの(身分)が辿り着くようなそんな光景が思い浮かぶ宿泊施設だ!
何が言いたいか?と言うと、この伊豆の地に地する宿泊宿は、日本の南に面した地域においては、それは最後の砦となるようなその地域、半島の形をよく見て比べてもいや、僕にはおんなのこのおままごとに関する横で、この地を訪れるのは、いやMAXおんなのこ事としては、そのおんなのこ事に長けたものが辿り着ける界隈で、僕はその宿泊施設の一つ一つをとっても、全て回って見て取りたいそんな最後の半島だ!

いや、いわずもがなこんな形をしていて、



この形を見て取れば、僕にはいや僕が今追い求める最後の境地これを探し求める時に、いやその当時はその攻略と言う場面に際しては、いざ割と上手く攻略できたのかもしれないが、今まだ少し経験が不足し、何をどうやってことを運べば良いか分からぬ状態で、この伊豆の半島を追い求めていくなら、やはり半島の根っこの部分における界隈の事情、旅館ここから制覇、為し遂げてみようと思うのである。それは、今更のことだが、半島の根っこの部分と言うスタート地点において、出発するおんなのこのエクスタシーの果て無き欲望を追っ掛けるようなそんな事運びだ!


遥か昔も挑戦したに違いない。僕は、半島の根っこの部分から始めておんなのことしては最後の武器となるエクスタシーの果て無き追及に僕は、取り掛かったに違いない。何故か?と言うと、伊豆半島にしては左隣にある海、駿河湾これに乗り込む、これが自ずと分かった時、僕は半島の宿泊施設、これを巡り渡りたくなるのだ!
いや、日本列島の北と南の順序はこの際よい。南の伊豆で、最後のおんなのことしては聖域に降り掛かる時に、’最後’としてのそのおんなのことしてのエクスタシーとしての宿泊施設利用と言うのは、もはやこの手のものでは手が付けれない、最上級のエクスタシーの合成、これに他ならないわけだ!
いや、伊豆と言う土地あるいはその周辺がどのような理屈があり成り立っているか、良くは知らない。その上で、この最後の聖域を突破する如く、僕はその領域に突っ込むわけだ!

どう言った?

いや、昔あそこはナンパ師がたむろしていたナンパ宿泊お宿として機能していた時がある。

これが最後の砦であるのは間違えがない。僕と友達おんなのこはいざ参ろうとばかり、この伊豆の地に乗り込み、我を忘れるように伊豆への小旅行へ、その身を満喫するように突っ込むわけだ!

いやー、あの周辺、何があろうのか?近くに元より大火山富士山がある!この富士山の火の粉を供給源とし、僕は最後の快感を求め、未知なる桃源郷を追い求めるように、ここでとある事情に耽っていくわけである・・・。


理想郷と言うのはある。この富士山界隈の伊豆の地もそんな理想郷の界隈の一つかもしれない。ここが、最後の砦。いや、ここで旅館を全制覇!する如く僕はおんなのこのお友達と宿泊施設を周って、富士山が求める未知なるエクスタシーと言う快楽を享受するわけだ!


いやいや、レベルの高い話しではある。特に、この手の話題には遅れを取る女性方には結構無理な話題であろう。だが、片側にはこのような未知のエクスタシーに興味があり行く道をとことん進む女性陣もいるわけだ!

ではでは、伊豆と言う地が女性が求める最後の理想の桃源郷(エクスタシー)であった!と言う昔話しはこれまで!隣の駿河湾が、僕としてはちょ~うド級の・・!
いや、伊豆と言う地に隠されるものの見事な女性の秘密を更に追い求め、暴露するように。


東京って・・(他人のお下がり地域)

2019-08-09 21:37:55 | livelove日記
いや、昨今のガリ勉君等が町中に溢れる様子を見て、僕と言う一男子目線でこう映るわけだ!天皇系のウェブで見るファッションもそうだが、日本では我らがお国一番手!と豪語の給わっているだろう東京界隈のもの、この者たちは僕が言うようにセレクトショップと言う案件を目印に服屋を持ってそのセンスを競おうとする!それがだ・・。
一応、東京民の代表として名だたる東大君、この東大君が着こなすファッションについて僕なりに言及する。するとだ!ウェブのグーグル検索で出て来るその東大君のファッションは・・と言うと、いやこれが、ただの(セレクトショップ系)ファッションに代表されるような東京民の恰好ではなく、いや東北の民に見る’お下がり’自慢を競う、あは!東北民のお下がりお洋服を着るのだ!

天皇がいる。日本の国家の象徴だが、この天皇のファッションを取っても見るが、この天皇系の着るお洋服も、これが(自分の服でなく!)外国(英国か?)のお洋服のお下がりなのだ・・・。


いや、たまたま外国のファッション事情も乗っていて現大統領トランプ君界隈の恰好も見てみるが、うひゃ!このトランプ(米国)界隈のものの着ている服装も他女子等のお下がり、これを着ているのだ!!


いやはや、現日本の象徴となっている天皇の子女がその冠にティアラを頭に乗っけ、何かの儀礼式に参加している様子がある。
このティアラって、何?

え、もしかして・・。

日本の代表となる天皇家って、この女子の冠が言う、この冠(ティアラ)ありき!の日本国家なわけ!?


いざ、この我らお国が一番!とのたまわうだろう東京民(セレクト系ショップ)のものの生業お着物は、もはや東北系やまたは他女子のお下がり、これである・・。

続・人の世に流されると言うのは辛いことだ!

2019-08-09 13:16:57 | livelove日記
前にどこぞやの記事で、
:人の世に流されるのは辛い
と言う様なセリフを書いた。当然、読んで字の如くいつか生じる人の世と言うのは、現世人にとって災いに他ならず、いやこの生じる人の世を何とか人々は避け切りたい。

僕は、歴史を勉強しようと思い、競馬家と言う稼業人ながら日本の歴史を勉強したことがある。(今も勉強中)それで、これはいや特筆すべき事項なのだが、


1、邪馬台国
2、ヤマト朝廷

こう言う並びで、日本の国家は国家の行く末が決定しているところがある。それがだ!卑弥呼率いる邪馬台国が、次に控えるヤマト朝廷に覇権を譲り渡す時に、次に控えたヤマト朝廷は、はや邪馬台国から引き継ぐ日本の舵取りを始め懸命にこなそうと努力したに違いない。
しかしだ!このヤマト朝廷は、その年代凡そ300年から500年ころに向かい、その矛先をこう運ばざるを得なかったわけである・・・。それは、無論僕がよくこのブログ等で記事にしている通りなのだが、

:(聖徳太子が)仏教を導入する!

これなのである・・・。仏教の中身について知っている方ならば、この聖徳太子の仏教日本導入は、果たしてどう言った理由に寄るものなのか?見当が少しは付くかもしれないが、いや、この聖徳太子の仏教導入は、いやそれまでの倭の国と言っていたか、日本のヤマト朝廷に何やら異変が起こって仏教を導入した、こう言う経緯があったはずなのだ!
それは、どう言う経緯か?
ヤマト朝廷に異変があったのだ!邪馬台国から引き継いでいるヤマト朝廷に、それまでの努力の成果は感じられなくなり、この異変に気付く当たりの者は(聖徳太子他)、この朝廷に仏教導入として、大陸から仏教を呼び寄せる。これは、こう言うことなのだ!

ヤマト朝廷と言うのはある。現天皇家が受け持つ最初の国であるが、このヤマト朝廷(天皇家)が最初に受けたヤマト時代は、それなりにお国の運営を果たそうとしたのだろうが、ここら辺から現天皇家にそのお家柄変化が生じているわけだ!


いやはや、人の世と言うのはあるのである。俗に今で言えば、学校があって良いと言われる学校へ進学、また良いと思われる優良企業に就職、果たすは人生サラリーマンとして、その国家(天皇家)の為にその人生、身分を捧げると言うそう言う世の中、人の世だ!

いや、現天皇家が日本のお国の頂点に立ち、日本の国家の舵取りを果たそうと果たす天皇家の役割は、遥か以前ヤマトの時代に比べて、その正義は尽くされているか?
現天皇家が率いている日本国家は、その天皇の名の元に、政府や役所等数限りなく置き、その日本の国家として、天皇ありき!の国家作りを果たそうとする。実は、天皇家身分やその天皇家が策略した学校・仕事と言う世の中で、人は殆ど嫌が負うとその国家像に組み込まれるのではないか?天皇家は、いやはや遥か昔天皇が大王であった時代、ヤマトの時代に比べればその実力は落ちぶれたに違いない。

最初に、僕は人々が
:人の世に流されるのは辛い
と、こう書いた。
これは一体どう言うことか?
僕はテレビと言うものを持ってはいないが、よく見る中継先に、東京駅の界隈、会社へ向かうサラリーマンの群れが映し出されることがある。

本当に、これが人の行く末(道)だろうか?
人と言うのは、だれ彼自分の人生における道筋を自由に決定できる選択権を持つ。これが、いや実は気が付かず行使しずらいのだ!

実はだ!この人の世に流されると言うのはおかしいことなのだ!現天皇家が主体となり、作り出している人の世は、人間が本能的に映し出す、自分と言う姿、これとは掛け離れる。
どうすれば良いか?
これは、実は自分に課せられる自分への革命に他ならない。

いや、人が人の世に流される、これは辛いことなのだ。一刻も早くこの人の世から自らを脱出させ、自由の身になりたい!人々はそう願うが、実際どうすれば良いか、は結構各自に任される判断なのだ。
別に、人の世に流されなくても良いのだ!天皇家があって、日本のトップに立ち人々が否応なく従わなければならない世の中でも、個人の人生を進ませる選択権は個人自らにある。

いや、不思議かもしれない。個人は自らの人生を自らの選択に委ねると言う事だ!
人の世は、僕は人間が進むべき携えられている道ではないと書いた。いや、捨てても良いだろう。日本国家が持つ、天皇ありきの国家像をである!

人の世を捨て、自由になった身分の者はやはり羽が生えた鳥のように自由に大空を羽ばたくだろう!
いや、それは何か?と言うと、それは初めて自分と言うものが自分に向き合い、初めて人の言いなりの如くあった人の世を捨て、見始める本当の自分そして世の中である。ここにこそ、我が持つ本当の人生の意味、目的はあった!自分の道筋は、人の世が作るのではなく、自分が作り出すものだったのだ!