ええと、
例えば、僕が道中小千谷に入る途中で立ち寄る線路脇公園に、木のベンチがあって座る。それで、遠足がてら眺めている周りの景色に、僕は学校で習う常識(科目)
1国語
2算数
3社会
4理科
と言うここは基本を為す4項目に、僕は公園のベンチに座って、
さな:(徐に、木のベンチの木を触って)この木のベンチは暖かい
こう感じるわけだ!向こう線路に列車が走って、汽笛が鳴り、僕は得てして社会科見学のような自転車の旅を続けている中で、この列車の汽笛は差ながら、試練の合図を聞くようなさらに向こう側に通ずる道標、これを感じるわけだ!よって、僕は座る木のベンチの木これを触り、木の温かさこれを感じ取る。ゆえは、僕は木と言う代物が、感じる(ように)火の温かさを見る、そんな木の存在を知り得、分かるわけだ!
もう下で、田元にある草わらこれも僕は触ってみると、これはしゃっこかったり逆の(やはり!)温かかったり、僕はこの木あるいは草(花)が、(温かいあるいはしゃっこいとあるので!)
・火
・水
この効果で成り立っていると分かるわけである・・。
話しは反れ、僕は遠足ことには(ポテトチップス系お菓子を食べていて!)
さな:遠足に持っていくは、おにぎり🍙の前に、お菓子(ポテチ)があるよねっ!
こう言うのである。
さな:(お米が取れない大丸は)ポテチを持ってゆけばいいんじゃないか?
こう言うのである。流石に、遠足も上級となるとよくある(外国的か?!)
:遠足のおやつ(お菓子)は、300円まで!
とか言うお決め事、これが最初にあって後にお米系のおにぎり🍙これがあるのだ!っと言う理屈を言う。
まあ、僕は上に世のあり様の一つに、木草のあり様で
・火
・水
この成り立ちで世(宇宙)は成り立っているのだ!っと、こう言う!それで、この火と水これを言おうとすれば、要は良く良いものが言う、
:頑張って、熱を発し、よく汗を流す!(要は頑張る!)
これが左程簡単に見える。それで、この界隈を流す様で、台地等をよく見る(あちこちの山々や草原に見る)草や木と言うは、要はおぬし等が言うこの単語、
:頑張る!
これにより、実はこの世(台地)は成り立ち、実は至極大い草あるいは木々の生い立ちは、この
:頑張る!
と言う一存によりあるようになったのだ!っと言う当たり前の真実に出会う。(みて分かる通りだ!っ)
世は、(台地の上に!)頑張る!と言う単純一行為の上に成り立った塵(も積もれば山となる)要は、草花や木々、これの上に為る。これは、決して立ち入れない犯すことなどできない真実なのだ!僕が、自分のあり様で、
1、普通にしている
2、楽苦を受け入れる
こうしておいて日々の問答暮らしを立てているのは、やはりこうした世の当たり前、要は’頑張る’と言う動作に通ずる当たり前があるからだ!っ
ではでは、僕は今日の社会科見学(と理科科目!)で見るっ!世の理(常識!)とは、もっとも単純な
”頑張る(さな普通にしている!)”
と言う動作の上に成り立っているっ、っと言う当たり前を見学社会科と理科項目で知り得た!っと言うお勉強も高じて、ここに記して置こうと思うわけ!っ
(お上の途方もない、大水流の中を大石がごろごろと流れる有り様とは別に!!)さらば!!
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