仏教の中に、密教と言うのがある。(⇔顕教)顕教が、広くお釈迦さまが民衆に教えを施す!と言うことの他に、それとは特別の密教と言うのがあって、師匠から弟子へ厳格なルールの下、教えが施されると言う。秘密の教えと言う事だが、よく密教の教えの世界観を絵にして見せているものがある。わたしがここで言う『曼荼羅』と言うものである。その『曼荼羅』にも、2つの曼荼羅があって、
:胎蔵界曼荼羅(悟りの世界の胎蔵界)
:金剛界曼荼羅(知恵の世界の金剛界)
である。
仏教ってのは、そもそも人間がその存在あるものとして生きるにおいて、苦しみとなる病気や老い、死などに対し、そこから脱しようとする試み、これが釈迦によって伝えれて仏教となって伝えられているものである。そこに、顕教に対し密教と言う教えがあり、その密教の教えを図示しているのが、わたしが言う『曼荼羅』である。(空海を開祖とする真言宗(東密)、そして最澄が開祖の天台宗(台密)がある)
何を言っているのだろうか?(調べると大体分かるが)
胎蔵界曼荼羅は、悟りの世界を表していると言う。対し、金剛界曼荼羅は、知恵の世界を表しているとし、この2つは互いに揃い合い、重なり合うことで一つの答えが出ると言うことになっていると言う。読んで字のごとく、胎蔵界曼荼羅は、母親(女性)の体内(子宮)のこと、金剛界曼荼羅は、知恵がダイヤモンドのように固い!と言う事を言うそうで、実際わたしは仏教のことは歴史的にしか殆ど知らず、このように密教にある教え(や曼荼羅)を見ると、わたしが当ブログや旧ブログで披露していた、人間が生きるに当たって根幹と為すべきだ!としている、
1、「性」
2、「音楽(学問)」
これと、一致するのである。(無論、胎蔵界曼荼羅がわたしが言う「性」で、金剛界曼荼羅がわたしが言う「音楽(学問)」と言う事だ!)
仏教(密教)は、人間が仏となる一定の行程を言っていると思われがちだが、そこには人間が生きるに当たり、その指南書とも言える胎蔵界曼荼羅(=性)と、金剛界曼荼羅(=音楽(学問))の2つが描かれる。
日本が、523年だったかに向こう大陸から仏教を呼び寄せるには理由があったはずである。卑弥呼が一地方の女帝となって君臨する倭の国と、日本の朝廷と言う中心舞台ここに、天皇を立て呼び集める中央国家、これを為すため日本は仏教を入れるのだが、これがわたしには、上の密教の教え、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅に表される。
卑弥呼=神道
天皇(朝廷)=仏教
こうなって、日本は2つの道標を用意、一つの国家の中に2つの国家(観)を有する稀な国家となるのである。
人が生きる術は、密教の2つの曼荼羅が言うように、
1、胎蔵界(悟り)
2、金剛界(知恵)
と言う事で、2つあるのである。曼荼羅とは、その図を見れば分かるように、中央にハスの花(極楽浄土に咲く花)を置いて、大日如来を中心にする世界観であり、わたしは”性”と、これを問いている。もう一つ、やはり大日如来を中心に表す世界観があり、わたしは”音楽(学問)”と、自分の知り得ている財産から申すことが出来る。
人間、「性」が大事なのだ!胎蔵界と言うように、おんなのこの子宮つまりエクスタシーに満ちる性生活これが大事。もう一つ、金剛界が言うように、「音楽(学問)*」これが大事なのである!
いやはや、わたしが持つ生きる持論の一つ、
1、性
2、音楽(学問)
と言う持論は、伝来伝わる仏教(密教)とまあ同じことを言っている。まあこれまでにするが、この程は巷にある『曼荼羅』図が気に掛かり、調べると出て来る密教の部分も取り入れて、一記事を書いてみたのである。
*音楽(学問)とは、学問の中でとりわけ音楽が主なっている!とする、学問系の生きる道標
:胎蔵界曼荼羅(悟りの世界の胎蔵界)
:金剛界曼荼羅(知恵の世界の金剛界)
である。
仏教ってのは、そもそも人間がその存在あるものとして生きるにおいて、苦しみとなる病気や老い、死などに対し、そこから脱しようとする試み、これが釈迦によって伝えれて仏教となって伝えられているものである。そこに、顕教に対し密教と言う教えがあり、その密教の教えを図示しているのが、わたしが言う『曼荼羅』である。(空海を開祖とする真言宗(東密)、そして最澄が開祖の天台宗(台密)がある)
何を言っているのだろうか?(調べると大体分かるが)
胎蔵界曼荼羅は、悟りの世界を表していると言う。対し、金剛界曼荼羅は、知恵の世界を表しているとし、この2つは互いに揃い合い、重なり合うことで一つの答えが出ると言うことになっていると言う。読んで字のごとく、胎蔵界曼荼羅は、母親(女性)の体内(子宮)のこと、金剛界曼荼羅は、知恵がダイヤモンドのように固い!と言う事を言うそうで、実際わたしは仏教のことは歴史的にしか殆ど知らず、このように密教にある教え(や曼荼羅)を見ると、わたしが当ブログや旧ブログで披露していた、人間が生きるに当たって根幹と為すべきだ!としている、
1、「性」
2、「音楽(学問)」
これと、一致するのである。(無論、胎蔵界曼荼羅がわたしが言う「性」で、金剛界曼荼羅がわたしが言う「音楽(学問)」と言う事だ!)
仏教(密教)は、人間が仏となる一定の行程を言っていると思われがちだが、そこには人間が生きるに当たり、その指南書とも言える胎蔵界曼荼羅(=性)と、金剛界曼荼羅(=音楽(学問))の2つが描かれる。
日本が、523年だったかに向こう大陸から仏教を呼び寄せるには理由があったはずである。卑弥呼が一地方の女帝となって君臨する倭の国と、日本の朝廷と言う中心舞台ここに、天皇を立て呼び集める中央国家、これを為すため日本は仏教を入れるのだが、これがわたしには、上の密教の教え、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅に表される。
卑弥呼=神道
天皇(朝廷)=仏教
こうなって、日本は2つの道標を用意、一つの国家の中に2つの国家(観)を有する稀な国家となるのである。
人が生きる術は、密教の2つの曼荼羅が言うように、
1、胎蔵界(悟り)
2、金剛界(知恵)
と言う事で、2つあるのである。曼荼羅とは、その図を見れば分かるように、中央にハスの花(極楽浄土に咲く花)を置いて、大日如来を中心にする世界観であり、わたしは”性”と、これを問いている。もう一つ、やはり大日如来を中心に表す世界観があり、わたしは”音楽(学問)”と、自分の知り得ている財産から申すことが出来る。
人間、「性」が大事なのだ!胎蔵界と言うように、おんなのこの子宮つまりエクスタシーに満ちる性生活これが大事。もう一つ、金剛界が言うように、「音楽(学問)*」これが大事なのである!
いやはや、わたしが持つ生きる持論の一つ、
1、性
2、音楽(学問)
と言う持論は、伝来伝わる仏教(密教)とまあ同じことを言っている。まあこれまでにするが、この程は巷にある『曼荼羅』図が気に掛かり、調べると出て来る密教の部分も取り入れて、一記事を書いてみたのである。
*音楽(学問)とは、学問の中でとりわけ音楽が主なっている!とする、学問系の生きる道標