最後の夜にしようって、決めて
いました。最後にあと一度だけ。
順ちゃんの腕のなかで、握りつ
ぶされそうな小鳥になりたいっ
て。
未練なんかじゃありません。
いいえ、やっぱり未練です。
正真正銘、どこからどう見て
も、紛(まご)うかたなきり
っぱな未練です。
順ちゃんは、何も知らなかっ
た。気づいていなかった。天
真爛漫な人でしたからね。
人を疑うことを、知らない人
でしたから。いつものように、
わたしの部屋まで車で一緒に
もどってきて、部屋に着くな
りわたしを抱きしめ、
翌朝は日の出とともに、風の
ように去ってゆきました。
すがすがしい気持ちで、わ
たしは順ちゃんを見送りました。
その姿が小さく小さくなって、
すっかり見えなくなるまで、
手をふりながら。絶対に、
うしろをふり返って、わたし
の方を見たりはしない順ちゃ
んでした。
その朝もいつもと同じ。順ちゃ
んは一度も、ふり返りません
でした。
それで完全に、お仕舞いにできた
つもりでした。
何もかも。きれいにさっぱりと。
音羽さん。
今年の冬は暖冬のようです。
いつもならとっくに雪が積もって、
窓の外には、かき寄せられた雪が
防波堤のような土手を築く季節
なのに。
音羽さんのところは、どうですか?
ここよりも南だから、もっと暖かい
のでしょうか?
書きかけの手紙を、最後まで書き終
えることができないまま、いたずら
に時が流れてしまって、手術の日が
あしたに迫ってきました。どこまで
書けるのか、わかりませんけれど、
力をふりしぼって書き進めます。
もしかしたら、これが、最後の手紙
になるかもしれないから。
もちろん、そんなことにはなって
欲しくないけれど、でも非常に
難しい手術になるだろと、あらか
じめ説明も受けているので、それ
なりの覚悟はしています。
順ちゃんと別れたあと、わたしは
新しい町に引っ越して、新しい生
活を始めようとしていました。
仕事も一からやり直そうと考え、
大学の夜間コースに申し込んで、
小学校の教員免許を取ろうと
がんばっていたのです。
小学校の先生―――できれば
過疎地の―――になりたいと
いうのは、もともとわたしの
目標といにか、子どもの頃から
の夢だったのですね。
だけど、わたしの出た大学の
学部では社会科の免許しか取れ
なくて、それで小学校の先生は
あきらめていたのだけれど、
チャレンジするなら、今がいい
チャンスだと思って。
そんなある日、わたしは躰の
変調に気づきました。
妊娠していたのです。病院で
診てもらったところ「おめで
たです」って、言われました。
「三ヶ月ですよ」って。