
お互いをどう呼び合うかという
のは、心の距離をはかる、一つの
バロメーターだ。第三者からみて
も、名字にさんづけで呼び合う二
人は、まだまだ距離があるなと思
うし、名前を呼び捨ての二人なら、
かなり親しいなと感じる。
当事者の場合、特に、呼びかた
が変わる時に、心の針が大きく振
れるようだ。それがプラスに傾く
のか、マイナスを示すのか。
「いつのまにか吾を呼びすてる男
いてフルーツパフェを食べさせた
がる」。呼び方が変わったことに
対して、ちょっと待ってよ、とい
う気持ち。タイミングが悪いと、
かえって心は離れてしまう。
そういえば西欧人の恋人を続けて
持った友人が、こんなことを言っ
ていた。「びっくりするのは、イ
ンティメットな関係になった(と
彼は上品な表現を使う)翌朝から、
みんな呼び方がガラッと変わるん
だ」。つまりその日を境に、ダー
リンとかハニーとかスイートハー
トとかになるらしい。わかりやす
いと言えばわかりやすいけれど、
日本人の場合は、もう少し逡巡(
しゅんじゅん)をともなったデリ
ケートな気がする。
歌は、変化の分岐点で立ち尽くす
男の思い。今二人の関係は「お前」
と呼べる距離なのか、どうか。
それを相手は、自然に受け入れら
れるのか、それとも驚くのか。
意味という点では、上の句で
言い尽くされているわけだが、
下の句の単純に繰り返される
「おどろくか」とい言葉に、
緊張感を持たせている。
「おどろくか」は、相手への
問いかけであると同時に自分への
問いかけでもある。「否」は
「否?」であると同時に(あるい
はそれ以上に)「否?」である。