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盗人猛々しい、など諺とか

2016年12月16日 02時58分21秒 | 日記
盗人猛々しいとは、盗みをしながら平然としている態度を罵る言葉。

盗人に追い銭とは、損の上にさらに損を重ねることのたとえ。

日ソ中立条約(にっソちゅうりつじょうやく)は、1941年(昭和16年)に日本とソビエト連邦(以下ソ連)の間で締結された中立条約である。「日ソ中立条約」は略称で、正式名称は「大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国連邦間中立条約」とされる。(中学の歴史教科書では日ソ不可侵条約で習ったが)

この条約の有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされた(第3条)。条約の効力発生は1941年4月25日
条約は一方の締結国の破棄通告後1年間は有効と規定されている。


ヤルタ会談でソ連が対日参戦を秘密裏に決めた後の1945年4月5日、ソ連のモロトフ外相は佐藤尚武駐ソ大使を呼び、日ソ中立条約を破棄する旨を通告した(モロトフが佐藤に対して「ソ連政府の条約破棄の声明によって、日ソ関係は条約締結以前の状態に戻る」と述べた)が、佐藤が条約の第3条に基づけばあと1年は有効なはずだと返答したのを受け、モロトフは「誤解があった」として日ソ中立条約は1946年4月25日までは有効であることを認めた


1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しない(ソ連側は「破棄」と表現)ことを日本に通達した。この背景には、ヤルタ会談にて秘密裏に対日宣戦が約束されていたことがある。さらに、ポツダム会談で、ソ連は、日ソ中立条約の残存期間中であることを理由に、アメリカと他の連合国がソ連政府に対日参戦の要請文書を出すことを求めた


アメリカとソ連の間でヤルタ秘密協定を締結し、ドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦および千島列島、樺太などの日本領土の処遇も決定し、2010年代現在も続く北方領土問題の端緒となった。

8月11日に国境を侵犯し南樺太に侵攻したソ連第二極東軍部隊は、8月25日に南樺太を占領。

1945年8月15日、日本が無条件降伏



すでに、千島列島をソ連が占領することを、トルーマンと合意が取れていたので、8月28日から9月1日までに、北方領土の択捉・国後・色丹島を占領、9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領した。なお、8月18日にカムチャツカ半島方面から千島列島に侵入した第一極東軍部隊は、8月31日までに得撫島以北の北千島を占領している。

自国の大統領が堂々と首脳会談に遅刻したらその国民はどう思うのだろうか。
お詫びの言葉も無し、一方南ではオスプレイの件で上官らしき爺さんが逆切れ

ここ2、3日の報道は何を主眼に置くのか一応注目

現実的に考えれば領土返還など夢の夢。
今、実際に生活しているロシアの人々は返還後どうするのか。
ロシアと日本の共有地とするのか、経済のみを求める遅刻人に期待など
持てるわけもない。 お迎えの横断幕や手書きの「ようこそ」が虚しい事など
誰でもわかっていただろうに昨夕のニュース報道は滑稽そのものだった。

以下、独り言なので上記には一切関係無し
来るなよ、撃ち落とせ、五右衛門風呂に入れろ、毒盛ったれ


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