「岡崎正義のかわら版」

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コメントに対する回答・・・「地震予知」して、多くの方を救えますか?

2014年06月18日 15時07分19秒 | 未来

 こんにちは・・・。
大変ご無沙汰しております、スピンクルです。

振り返れば、5月7日以来の更新という事で、1か月以上放置しておりました・・・。(笑)
さすがに、忘れ去られるかと思いきや、5月中旬頃からセッション申込みが殺到し、
現在のところ、80名を超す勢いとなっております・・・。

 この更新が無い中、毎日150名~200名の方が訪れて下さった履歴を見ますと、本当に感謝の念に堪えません・・。
本日は、少し時間が空いたので、久しぶりに記事を書こうと思ったわけです。

 で、何をテーマに書こうかと思ったのですが、「波動変化」はひとまず終わり、今日一日では書き切れない内容なので、
今回は先日コメントをお寄せ頂いた方への「回答」を基に、お話を進めさせて頂きます。


 「地震」を予知して、多くの方を救えますか?

 関東にお住まいの「あい」さんという方です。

今後30年以内に「地震」が関東地域に来ると言われているが、自分(質問者)は関東なので、とても怖い。

地震を予知して多くの方を助けることができますか? とのご質問でした。

 それに関しては、非常に難しいニュアンスを含んでいますので、言葉を慎重に選びながらお答えしていきますが、
結論から申しますと、「沖縄」にいようが、「関東」にいようが、自然災害で亡くなられる方は亡くなるし、亡くならない方は亡くならない。
そして、避けたつもりで別地域に移動しても、そこで別の事故や病気でお亡くなりになる方もいらっしゃる。

 これを、「運命」と呼ぶ方、「カルマ」と呼ぶ方、様々にいらっしゃいます。
まだ、記憶にも新しいし、「復興」のさなかである東日本大震災の被災者の方々の心情もあるので、非常に表現が難しいですが、
スピリチュアル的に、また今だからこそお伝えしておきます。

 自然災害で亡くなられる方は、ある意味「修行が無事終了して、憂い無く『執着』を究極まで捨て去り、肉体を脱ぎ捨てる方々」なのです。
確かに、現実的な状況は「悲惨」という言葉しか当てはまらない光景だし、「この世の地獄」に映るかもしれません。

 しかし、「魂」の部分においては、過去からのカルマやしがらみ、現状の修行の集大成として、甘んじて我が身に受ける方が殆どなのです。
とは言っても、残されたご遺族の方々にとっては、心が張り裂けそうな想いであるのは間違いありません。
ただ、命は「永遠」であると捉えるならば、この人生においては「道半ば」で終わったように見えますが、それは「来世」以降の人生にとって、
とても大事な「現象」だと受け止めて頂いて、「きっと、来世で楽しく一緒に過ごしていこう!」との思いで、しっかり「上の世界」に戻るよう、
手を合わせて頂ければと思います。

 さて、それを踏まえて、質問者へのお答えですが、
「預言者」や「霊能力者」が、地震等の自然災害を「予知」し、危険を知らせて「避難」させた場合、どうなるか?

 もともと、その災害の被害に遭われる予定のなかった方は、その地域に留まろうが避難しようが、「助かるものは助かる」んです。
逆に、「魂の浄化の総決算」を予定として持っている方は、どこに行っても「総決算」を実行します。

 その中で厄介なのが、「受けるはずなのに、受けなかった方」なのです。
これは、言い換えれば「その人の人生のシナリオ」に、能力者が「干渉」することなのです。
これは、上の世界から言わせると、「御法度」なんです。

 確かに、何かしらの危険が迫っていると、教えて回避して欲しいのが「人情」なのはよくわかります。
しかし、方法を間違えると、その人はおろか、「能力者」までもが、人生を狂わせてしまうのです。

 ですから、今私が言えることは、必要以上に怖がることは無いということです。
その「マイナスエネルギー」が、逆に「引き寄せる」ということがあります。
特に、今はそれが顕著になっています。

 コメントを寄せて頂いた「あい」さん、人生は楽しく!前向きに捉えてお過ごし下さい。(笑)
6月10日を超えた今、プラスを引き寄せるのも、マイナスを引き寄せるのもあっという間の世界に、私たちは生きています。
どうせ引き寄せるなら、プラスをいっぱい引き寄せましょうね!

 それでは皆さん、またの機会に。
 

コメント (3)
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垂直離着陸機M22オスプレイの沖縄配備について

2012年09月07日 10時45分44秒 | 未来

 私が生まれ育ったこの沖縄に、「垂直離着陸機M22オスプレイ」が
普天間基地に配備されようとしています。
 現在配備中の、かつて沖縄国際大学内に墜落した「MH46ヘリ」の
後継機だそうです。
 連日、地元紙では「配備反対」とか「普天間基地返還!」という論調で
紙面を賑しています。
 又、今週末には台風で延期になっていた「オスプレイ配備反対に関する
県民総決起大会」の開催も予定されています。
 記事を書いている今も、テレビのニュースで『県知事の参加・不参加』に
ついて報道されています。

 さて、今回私のような、しかも「スピリチュアル」がジャンルのブログで、
なぜ政治的なテーマで書き込んでいるのかをこれから述べたいと思います。

 結論から申し上げます。
オスプレイが沖縄に配備されると、「墜落」します。間違いなくです。

これは、全国で報道されているか定かではありませんが、
地元紙で特集まで組まれている「機能の欠陥」や「海外での事故多発」
のオスプレイが配備されることによる「事故の可能性」が高くなるという意味
ではありません。

 勘の鋭い方は、すでにお気づきかもしれませんが、カテゴリーを『未来』に
したのも、そういう意味です。

 現段階では、悲しいですが私に見える映像は「墜落の現場」です。
痛ましいことに、墜落現場は「市街地」だということです。

 政府の見解としては、「地元沖縄に理解を求める」とか「安全保障上、必要である」
となっています。
 確かに、沖縄は地政学上アメリカにとっても、日本にとっても「要石」だと思います。
第2次大戦後、27年間も米軍統治下に置かれたことからも推測できます。
 アメリカにとっては、『共産圏』である中国や当時のソ連への「防衛線」。
日本にとっても、同様に防衛上アメリカに守ってもらう必要があるのでしょう。

 しかし、その「日米同盟」も、配備によって崩壊へと向かいます。

 さて、これから私が見えた『映像』について説明したいと思います。

最初に断っておきますが、正確な時期や場所については、その日に遭遇
するであろう方々の人生を変更してしまうことに繋がりますので、はっきり
申し上げることが出来ません。

「無慈悲」だとお思いになるかもしれませんが、「ルール」ですのでお許し下さい。

 
 人々が長袖を着て、市街地を行きかっております。
昼間に関わらず、親子連れも見受けられますので、「週末」若しくは「祝日」です。

 商業施設や公園で、佇んでいる親子連れが、日頃行きかう「米軍機」の爆音に
負けじとおしゃべりしています。

 しかし、この日は違っていました。
いつもは、耳を突き刺すような「ジェット音」に慣れている人々が異変に気付きます。

 地面の底から湧き出てくるような『低音』が、空気を震わせるように鳴り響いているのです。
その音が段々と大きくなったかと思うと、建物の背後から突然衝撃が襲ってきました。

 あとは「地獄絵図」そのものです。
墜落した「オスプレイ」の爆発によって、爆風を受け負傷した人。
直撃して、命を落とす人々。
火災によって、逃げ惑う人々・・。
搭載していた「武器」による深刻な状況。

これにより、明確な反対表明をしなかった県知事にまず矛先が向かいます。
次に、「日米安保」を盾に配備を推進した「政府」に怒りが向けられます。

その怒りが全国に広がり、「国民の命と日米安保の維持どちらが重要か」という
論調から、「米国隷属からの脱却」という論調に変化し、国民世論を席巻します。

それに呼応した政治家が、圧倒的勝利で政権を担当し、今までの『対米追従路線』から
『アジア重視政策』へと舵を切ります。

 アメリカは『関係改善』の一環で、危険性除去という名目で「基地縮小」を図り、
なんとか日米同盟の維持を模索しますが、流れは変わりません。

 同時にアジア各国は「友好関係強化」の御旗を掲げ、「進出」してきます。

 米国は、自国の安全保障上また戦後70年近く「友好国」であり続けた日本への
『配慮』から、アジア各国の『真の意図』を指摘し、何度も関係の修復を試みますが、
日本政府は『新時代への再生』というスローガンの下、聞く耳を持ちません。

 当然のように、日本政府は独立国として「独自の防衛力強化」を図っていきます。
それに並行して「在日米軍基地の撤退」が加速し、「自衛軍基地」への転換が起こります。 

 ついに直接的な説得を断念した米国は、国連において「日本の軍事大国化・帝国への回帰」という
危機感を周辺国に煽り、「国連決議」の名の下、経済封鎖や禁輸等の手段に出ます。

 これは、かつてアジア大陸へ「進出」していた日本の覇権拡大を懸念していた、当時のアメリカ政府の
手法に酷似しています。

 この動きにあせった日本政府ですが、今さら引き返すことも出来ず、アジア各国との「資源共同開発」、
「貿易協定」を進め、関係を深めていきます。
ついには、アジア同盟による「共同防衛ライン」という構想を打ち出し、取り込まれていきます。

 日本という「利潤」を失ったアメリカは、アジアへの急激な影響力低下及び国力の低下を恐れ、
「世界の警察」として「世界情勢の安定・危険性の除去がわが国の責務」と自国を正当化し、
かつて、イラクに対して行なった『軍事行動』を、勝手知ったる日本に対して展開していきます。

 そうなれば、70年近く「属国状態」と揶揄されるほど依存してきた米国に対して、日本はなす術はありません。
軍事面、情報面は丸裸同然です。この事態を招いた政府も『対応策』もないまま、2度目の『敗戦』を迎えます。

 その時点で、同盟状態のアジア各国は「飛び火」を恐れ、対日関係解消・対米関係の改善へ発展し、
日本は名実共に『孤立』します。

 「平和的解決」、「世界情勢の安定」の名の下、協議が行なわれ、アジア主要国と米国による
『共同監視』という名の、地域ごとに各国軍が駐留する「国土分割」が実施されます。

 「日本」という国名を遺したまま、中身は全く違う「継ぎはぎ国家」の誕生の瞬間です。 


 ここまでのお話をどう思われますか?
荒唐無稽な「小説」と受け取るか、そうでないかはご自由です。

 「沖縄に基地が集中しているのは、安全保障上仕方ない」
 「出来るなら、本土移転等で危険性を高めてほしくない」
 「防衛上、配備はやむを得ない」

 以前、本土の友人との会話で、当たり前のように出てきた言葉です。
決して、批判をしている訳ではありません。
 圧倒的にこのような考えが、本土では「多数派」だと思います。

 今回の「原発がれき移転問題」で顕著に表れています。
私でも、情報を公開しない政府の見解を鵜呑みにして、「沖縄移転」の話
が持ち上がれば、反対するでしょう。家族が心配だからです。

 人は誰しも、相手の立場・状況を理解しつつも、わが身に危険が降りかかる恐れが
ある場合は、断固拒否します。その行為は誰も責められません。

 しかし、今回沖縄で起こっている「オスプレイ配備問題」は、沖縄だけの問題
ではないのです。全国に波及する「大きな問題」なのです。

 あなたは、時おり起こる「いつもの沖縄だけの問題」と捉えますか?
それとも、違う視点から注視しますか?

 この記事内容が、「小説」となることを切に願ってやみません。


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未来は変えられるのか?・・・人生はドラマと同じ。

2012年08月20日 16時10分08秒 | 未来

 8月に入って、初めての書き込みです。
昼は仕事に、夜は相談と、予想以上に多忙な日々でした。

 さて、前回の記事で予告したテーマ「未来は変えられるか?」
について、触れたいと思います。

 人はみな、素晴らしい人生を過ごしたいと思うものです。
出来れば、幸せな未来が待っていると信じたいですよね?

 では、意識的に未来は変えられるのでしょうか?

人によっては、「運命は変えられない」と思っているだろうし、
「良い行いをすれば、良い未来に変わる」と思っているかもしれません。

 結論から言うと、「基本的に未来は変わらない」ということです。
がっかりしました?でも、がっかりする必要はありません。(笑)

詳しく説明しますと、「自分自身で設定したシナリオの内容」は変わらない
という意味になります。 

 テレビドラマがあるとします。
そのドラマには、「原作」が存在します。もちろん作者も存在します。
その原作に沿って、「ドラマ用」に、脚本家が「脚本」し、演出家が「演出」します。
プロデューサーが「配役」し、俳優が「演技」します。

美術さんが、大道具さんが「舞台」を作り、カメラマンが「撮影」して、ディレクターが
「編集」する。

一人一人の人生はドラマそのものです。
違うのは、作者は自分自身で、全ての行程が「自主制作」ということです。

演出次第で、編集次第で、配役次第で、全く印象の違う「作品」が出きるという事です。
でも、「原作」の結末は変わりません。

であれば、「素晴らしいドラマ」を作れば良いのです。
視聴率40%超えの「人気ドラマ」を。

その内容で、「良い未来」と感じるか、「厳しい未来」と感じるかの違いなのです。


では、「良い未来」にするには?

人生は数多くの「分岐点」が存在します。

A君と遊んだ。B君と遊んだ。
両方に誘われたけど、A君と同じ高校に進学した。
「あの時、B君と同じ高校に進学していたら・・・。」

A社に内定した。B社に内定した。
熟慮の末、A社に入社した。
同じ学部のB君はB社へ。

10年後、B君は課長、自分は平社員のまま。
「成績も同じ位だったのに・・。あの時・・・。」

15年後、いきなりB社が倒産。
自分はプロジェクトが認められ、いきなりの昇進。
「この会社で良かった・・・・。」

要は、一喜一憂しないことです。
その日その日をいかに「楽しむ」かです。
そうすれば、向こうから素晴らしい「脚本モデル」を、「配役案」を、
売り込みにやって来ます。

それをただ、「選別」し、「オーディション」すれば良いのです。
「ヒント」を元に、「答え」を決めれば良いのです。

そうすれば、数多くの「分岐点」で、より良い方向を選択できるようになります。
それが、「良い未来」であり、「より良く変えられる」という意味なのです。




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