「岡崎正義のかわら版」

スピリチュアルカウンセラー「岡崎正義」が、日々感じるこの世の事象を綴っていきます。

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お盆。本土とスタイルが違う面白さ。

2012年08月30日 15時54分21秒 | 霊に関すること

 今日から、旧盆入りです。
沖縄では、多くの地域で旧暦
で、行事を執り行います。

 今日の「ウンケー(迎え盆)」から
9月1日の「ウークイ(送り盆)」まで、
慌しい方もいらっしゃるかと思います。

 特に「ムートゥーヤー(本家)」では、
てんてこ舞いかと思います。

 そんなお盆の時期ですが、
縁のあるご先祖様たちが続々と
やって来ます。

 面白いのが、本土で見かけた
「来訪の仕方」と、沖縄のそれとは
スタイルが違うということです。

 私がお盆の時期に、本土で偶然遭遇したのですが、
本土では、「お付きの人(霊?)」がいらっしゃるということです。

 その方(達)は、各家庭の玄関で、道に向かって
直立不動で立ってらっしゃるのです。
手には「風呂敷」のような物を大事そうに抱えていました。
それが丁度「迎え盆」の日でした。

 私はその光景を見て、こう思いました。
『あー、お仏壇の準備が整うまで律儀に玄関で待っているんだな・・。』

 しかし、中日に通りかかっても、まだどの家庭の玄関にも
軒並み立ったままなのです。違うのは玄関に対し横を向いただけ・・。

 理由がわかったのは、最終日(送り盆)の日でした。
玄関に立っていらした方(達)は、玄関に向かって立っておりました。
すると、あちらこちらの家庭の屋根から白い煙のようなものが上がったかと
思うと、玄関に立っている方が持っている『風呂敷』の中に吸い込まれていったのです。

と同時に、空のかなたへ消えていきました。

 私にとっては、初めて見る光景でした。
『本土では、ちゃんと付き添いの方がいるんだ・・・。』
率直な感想でした。

 というのも、沖縄では騒がしいほどに『自由主義』(笑)なのです。
その家庭のお嫁さんたちが、お盆の準備をしているそばから、

『あい!誰の嫁ねー。早く報告しないとわからんよー』とか、
『早く酒を置かないと、飲めないよー!』とかご先祖様たちは、
おのおの自由にやってきて、仏壇の前で待っているのです。

 その家の長が、ウンケー(迎え盆)の儀式を始めると、
やっとトートーメー(位牌の一種)の前に鎮座して、その長からの
報告を聞くという、なんとも自由なスタイルの「沖縄のお盆」なのです。

 地域柄なのか、新暦と旧暦の違いなのか、
本土と沖縄の『お盆の風景』は、雰囲気も違う感じがします。

 私は個人的に「沖縄」スタイルがしっくりきます。
おのおの自由にやってきて、儀式が始まるまでご先祖様同士
『初めて見る家族の一員』の話題に花を咲かせ、盛り上がる。

さながら『この世の宴会』と『あの世の宴会』の同時開催です。
そんな、騒がしくも楽しさに溢れる「沖縄のお盆」が大好きです。

あなたのご家庭は、お盆をちゃんとしていますか?

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霊という存在・・・。気付いて欲しい寂しがり屋

2012年08月25日 15時17分37秒 | 霊に関すること

 一般的に言われている『霊』という存在。
地縛霊、浮遊霊、精霊、指導霊・・・と、様々な霊が存在します。

何らかの理由で、あの世界に戻らずこの世で過ごす霊たち。

思いが強すぎて、戻りそびれた霊、突然の事故で自分が「死んだ」
ことを理解できず留まっている霊。

その者たちを「地縛霊」とか「浮遊霊」と呼んだりします。

巷では、「怖い存在」として認識されている彼ら達ですが、
彼ら達にも言い分があるのです。

私自身、現在のような「スピリチュアル・カウンセラー」を
積極的にする前は、「怖い霊」と思っていました。

それが、ある相談をきっかけに、その認識を改めました。
今回はそのお話を致します。


・Yさんの相談「何かが私に憑いている気がする」

Yさんは、一人でいる時も、お買い物をしている時も、なぜか人の気配を
感じていたそうです。

特にお風呂の時は、ドアを開けていないと不安になるほどになったそうです。
共通の友人から私のことを聞き、相談に来た方でした。

「観察」してみると、確かに20代の女性が「同居」していました。
その女性から、Yさんに同居している理由を尋ねてみました。

すると、こんな答えが返ってきたのです。

(Yさんに同居している方のお話)
「私は、通勤途中で交通事故に遭い、意識を失いました。
 再び意識が戻った時には、なぜか病院にいました。

 服はボロボロで、身体の至る所に傷もありました。
幸いにも痛みはありませんでしたので、軽傷で済んだのだと
ホッとしていました。

しかし、ベッドから勝手に動くのも悪いと思い、誰かが来るのを
じっと待っていました。
でも、いつまでたっても看護婦はおろか医者も来ません。

痺れを切らした私は、そっと病室から廊下へと出ました。
他の病室を通り過ぎながら、「ナースステーション」までたどり着きました。

しかし、そこには誰もいませんでした。
思うに、他の病室も患者さんがいなかったような気がします。

『なんなの?この病院。あまり人気ないのかな?救急だから変な病院に
 搬送されちゃったのかしら・・・。』と不安になってきました。

と、その時です。
真後ろから、赤ちゃんが突然泣き出したのです。
振り向くと、もっとビックリしました。
赤ちゃんが宙に浮いているのです!
ちょうど私の目の高さです。

絶対これは「幽霊だ!」と思いました。
人気のない病院ですから、無理もありません。
私はパニックになってしまいました。

その場でしゃがみこんだ私は、しばらく耳をふさいで、
誰かが来るのを待っていました。

そしたら、誰かが近づいてくる足音がしてきました。
そっと目を開けると、向こうから看護婦さんがこっちに来たのです。

「助けて!い、今赤ちゃんの幽霊が・・!」
私は夢中で助けを求めました。

次の瞬間、信じられないことが起きました。
看護婦さんは私に気付かないどころか、私の身体を通り抜け、何事もなく廊下を・・。

「ゆ、幽霊! いや待って。何かがおかしい。」
待合室に一人もいない病院って、あり得ないと思いました。
どんなに人気のない病院とは言っても、一人くらいはいるはずです。

そう思った瞬間、スピーカーから呼び出す声が。
「100番から110番の方、診療室前で待機下さい!」

『え!100番どころか誰もいないのに・・・。』
その時、はっと気付きました。

『も、もしかして、幽霊なのは私!?』
自分が「死んだ」と気付いた瞬間でした。

それからが大変でした。
病院を出た私は、見慣れた場所を歩き続けました。
でも、あれだけたくさんいた人々が、数えられるほどしか
歩いていないのです。

声を掛けても、目の前で手を振っても気付いてくれません。
私は途方にくれてしまいました。

ずいぶんたったある日、あまりにも気付いてくれないので、
怒りに任せて、ある男性に体当たりしました。
『なんで気付いてくれないのよ!もう!!」

その瞬間、私はその男性に「肩車」をされていました。
いや、貼りついたという表現がぴったりな状態でした。

それは不思議な感覚でした。
その男性に話しかけているのでしょうが、私の存在を
気付いてくれるようでとても嬉しかったんです。
加えて、その男性の感情・感覚も伝わってくるんです。

味覚、触覚、嗅覚・・・。全ての感覚が甦ったようでした。

しばらくすると、不思議なことが起きました。
私がアイスが食べたいと思うと、アイスを食べてくれたり、
海が見たいなと思うと、海にドライブに行ってくれたり。

『もしかして、私の思いが伝わるの!』

それに気付いてからは、私の思い通りにすることが出来ました。
でも、しばらくするとその男性が体調を崩したのです。
すると、私の思いも通じなくなり、不満も溜まって来ました。

「もう!早く元気になってくれなきゃ、思いが通じないじゃない!」
私はその男性に八つ当たりしていました。

すると、冬にもかかわらず、部屋に暑い日差しが入ったと思った瞬間、
身体がその男性から離れていました。

途端に、寒さと心細さが一気に襲い掛かり、無我夢中で外へ飛び出し、
他に貼り付ける人がいないか、必死に探し回りました。

そんなことを数え切れない位に繰り返し、今ここにいる人にお世話になっています。」

Yさんに「同居」している方のお話はこんな感じでした。

まず、私は「彼女」に以下のことを伝えました。

・死んだと気付いた時点で、あの世に戻るべきだった。
・注意深く見ていれば、「お迎え」がいたはず。
・生きている人に乗っていると、その人が弱っていくので、迷惑を掛けている。
・今のようなことを繰り返していると、あの世に戻れなくなり、『魂の洗濯』どころか、
 生きている人に迷惑を掛けてしまい、ますます孤独になっていく。
・あの世は、今の感覚の比ではない位、とても幸福感に包まれる。
・あの世に戻りたい意思があるなら、すぐに「お迎え」を手配する。

『彼女』も、必要にかられてやっているだけで、あの世に行けるなら、
自分がいるべき場所に行きたいと思ってくれました。

それを受けて、私は「お迎え」を呼び、「彼女」にとって思い出の場所を巡り、
両親や会っておきたい人に挨拶をさせ、連れて行くようにお願いをしました。

その後、Yさんはいつもの生活に戻ったようです。


さて、私はこの相談を通じて、様々なことを学びました。

1.亡くなった方は、この世で「全ての人」が見えていないということ。
2.最初から「取り憑いちゃえ!」と悪意を持ってはいないということ。
3.寂しさと必要にかられて、「乗っかっている」ということ。
4.機会があれば、あの世に戻りたいと思っていること。
5.ゆえに、気づいてくれた時は、必死に助けを求めるということ。

「霊」という存在は、意外と生きている人以上に怖がりで、寂しがりや
なのかもしれません。
だから、「見えた」人には必死で自分の境遇を訴えるのかもしれません。

「霊」にとって、「見える」人というのは、あの世で同じ『ソウルメイト』だったり、
自分と同じ人生を辿っている「同調」できる人なのでしょうか・・。

確かにYさんも、どことなく「彼女」と似た雰囲気がありました。

この世の人間も、あの世の「霊」も、『自分に似た存在』を寄せ付けるのでしょうか。










 

 

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未来は変えられるのか?・・・人生はドラマと同じ。

2012年08月20日 16時10分08秒 | 未来

 8月に入って、初めての書き込みです。
昼は仕事に、夜は相談と、予想以上に多忙な日々でした。

 さて、前回の記事で予告したテーマ「未来は変えられるか?」
について、触れたいと思います。

 人はみな、素晴らしい人生を過ごしたいと思うものです。
出来れば、幸せな未来が待っていると信じたいですよね?

 では、意識的に未来は変えられるのでしょうか?

人によっては、「運命は変えられない」と思っているだろうし、
「良い行いをすれば、良い未来に変わる」と思っているかもしれません。

 結論から言うと、「基本的に未来は変わらない」ということです。
がっかりしました?でも、がっかりする必要はありません。(笑)

詳しく説明しますと、「自分自身で設定したシナリオの内容」は変わらない
という意味になります。 

 テレビドラマがあるとします。
そのドラマには、「原作」が存在します。もちろん作者も存在します。
その原作に沿って、「ドラマ用」に、脚本家が「脚本」し、演出家が「演出」します。
プロデューサーが「配役」し、俳優が「演技」します。

美術さんが、大道具さんが「舞台」を作り、カメラマンが「撮影」して、ディレクターが
「編集」する。

一人一人の人生はドラマそのものです。
違うのは、作者は自分自身で、全ての行程が「自主制作」ということです。

演出次第で、編集次第で、配役次第で、全く印象の違う「作品」が出きるという事です。
でも、「原作」の結末は変わりません。

であれば、「素晴らしいドラマ」を作れば良いのです。
視聴率40%超えの「人気ドラマ」を。

その内容で、「良い未来」と感じるか、「厳しい未来」と感じるかの違いなのです。


では、「良い未来」にするには?

人生は数多くの「分岐点」が存在します。

A君と遊んだ。B君と遊んだ。
両方に誘われたけど、A君と同じ高校に進学した。
「あの時、B君と同じ高校に進学していたら・・・。」

A社に内定した。B社に内定した。
熟慮の末、A社に入社した。
同じ学部のB君はB社へ。

10年後、B君は課長、自分は平社員のまま。
「成績も同じ位だったのに・・。あの時・・・。」

15年後、いきなりB社が倒産。
自分はプロジェクトが認められ、いきなりの昇進。
「この会社で良かった・・・・。」

要は、一喜一憂しないことです。
その日その日をいかに「楽しむ」かです。
そうすれば、向こうから素晴らしい「脚本モデル」を、「配役案」を、
売り込みにやって来ます。

それをただ、「選別」し、「オーディション」すれば良いのです。
「ヒント」を元に、「答え」を決めれば良いのです。

そうすれば、数多くの「分岐点」で、より良い方向を選択できるようになります。
それが、「良い未来」であり、「より良く変えられる」という意味なのです。




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