「岡崎正義のかわら版」

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親と子供の関係。・・・時に「親」であるあなたの修行を「支援」する子供たち

2014年02月25日 10時36分11秒 | 親子関係について

 こんにちは。スピリチュアル占師スピンクルです。
少々事情がありまして、更新が緩やかになってしまい、すみません。

 久しぶりの本日は、親と子の関係について触れたいと思います。
カテゴリー内容が、若干「夫婦関係」にも関係しますが、よろしくお願いします。

 さて、この世に生を受けて、成長し、「運命の人」と言える異性に出会い、
永遠の愛を誓い合って、結婚し、子供を授かる。

 中には、「課題」によって独身を貫いたり、お子様無しの人生を歩まれる方も
いらっしゃいますが、だいたい「家族」を設けます。

 そういう環境で、月日が経ち、「家族の歴史」を刻んでいくと、時に「最初の課題」
を忘れてしまう事があります。

 仕事であったり、友人関係だったり、場合によってはパートナーとの「学び」だったり・・。

 皆さんも人生で、一度や二度「困難」に直面した事があるかと思います。
なぜかトラブルが起きたり、険悪になったり、時に「夫婦の危機」が訪れたり・・。

 そんな「壁」を感じた時、「子供」という存在は、必死に親であるあなたを「支援」しようとするのです。
まさに「子はかすがい」を実際に行うのです。

 スピリチュアル的に、セッション等を通じて、相談者の「親子関係」を確認する機会もあるのですが、
なにかしら前世において、「一緒にいたい」「恩返しがしたい」「応援したい」との想いを持ちながら、
あなたやパートナーを選び、場合によっては「愛のキューピット」をして、この世に「子供」として、降りてくるようです。

 そのような想いを持って、生まれてきますから、時に親であるあなたが「困難」に陥った時、課題を乗り越えられない時、
年齢に関係なく、極端に言えば「赤ちゃん」の段階でも、必死に「支援」しようとするのです。

 仕事に行き詰った時、「笑顔」で癒そうとするし、人間関係がぎくしゃくした時、お子様自身の行動で、「もっと自然体で
行動したら、楽だよ!」と、教えてくれる。
 さらに、親であるあなたとパートナーとの関係性悪化になると、自分自身の命を掛けて、修復に協力しようとするのです。

 特に最後の「夫婦の危機」の時は、それはもう必死です。
過去にそういう事例のご相談があった時、当初は「関係性修復」をメインに、セッションを実施していました。
ところが、途中からそのご夫婦のお子様が「難病」になったのです。

 相談者は「罰が当たったのか!」と動揺していましたが、私が確認したところ、そのご夫婦の課題が「大事な人を守り、
最後まで責任を持って人生を全うできるか」だったのです。
 その課題に対し、そのお子様は、まだ1歳にもかかわらず「課題が達成できない危機」と感じ、自らの命を賭して阻止しようと
その病気になったのです。

 その病気は、まさに「家族全員が一致団結」しなければ、乗り越えられない状況でした。
夫婦の危機でいがみ合っている場合じゃなかったのです。

 とりあえず、夫婦間の問題は置いといて、お互い協力し合うという事で、その一家は看病にまい進しました。

 結果、3年の月日が掛かりましたが、現在では嘘のように回復し、元気に成長しているようです。
そして、当時危機に直面していた「夫婦仲」ですが、こちらも嘘のように(笑)「回復」したのです。

 私が本日お伝えしたいのは、子供というのは「不思議なパワー」を秘めているということです。
特に3歳ごろまでのお子様は、それを積極的に「発揮」しようとします。

 人生の過程で、あなたが様々な困難に直面した時、場合によっては「病気」になったり、困らせたりして、
「関わり」を持たせようとします。
 それに気付かないと、その場面で学ばないと、幼い命を失ってしまうという悲しい出来事も起こってしまいます。
もっと言えば、「来た意味が無い」と思わせない事が大切なのです。

 私はご縁が出来た一部の方々に限られてしまいますが、そのような事例に触れた時、まず最優先で「お子様」を
守ろうと思います。その事実を相談者にお伝えして、今後の方向性・判断を、促していきたいと思う今日この頃です。

 とはいっても、あくまでも人生というのは、その方が「主役」です。
私も含めて他人が「干渉」すべきものではありません。

 ですから、相談者が決めた「人生の選択」を受け入れつつ、最善の方法が無いか、日々模索しながら修行に励む
スピンクルでした。

それでは又次の機会に!

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宗教・信仰との関わり方。・・・本来は、「依存」ではなく、人生の「糧」であるべき

2014年02月16日 15時37分58秒 | 宗教・信仰

  こんにちは、スピンクルです。

久しぶりの休日となりました。

 さて今日は、皆様の身近なジャンルでもある、「信仰・宗教」について触れてみたいと思います。 

 皆様の周りでも、ご友人やご家族、もしかしたらあなた自身も、何かしらの「信仰」を持っているかもしれません。
そして、巷には把握できないほどの「宗教」も存在しています。

 この、宗教や特定の「信仰」とは、本来どうあるべきか、またどう付き合うべきか?

  私が日々感じている事は、あまりにも「信仰」に依存している方が、少なくないということです。
 そして、どちらかというと、「教義」よりも「教祖」もしくは「その宗教のリーダー」に心酔しているということです。
 仏教・キリスト教・イスラム教・・・等、数多くの宗教・宗派がありますが、もともとは、「人生をより充実して過ごす方法」
という点で、みな共通の「目的」を持っていたと思います。

 しかし、さまざまな歴史を辿ることで、多くの宗教・宗派に分派して現在に至っておりますが、
場合によっては、自分達の「正統性」を主張するために、同じ宗教・宗派同士対立している状況もございます。


 ここ日本では、さすがに外国のように「聖戦」と称して戦争をする事はありませんが、対立派・教団に対しては、
 言葉による「聖戦」を繰り広げている点では、あまり大差はないのかもしれません。
さすが「精神を重んじる日本」ならではの戦いだと思います。(笑)

 では、なぜ本来あるべき「人生を豊かに過ごす」為の宗教・信仰が、対立の火種になるのか?

 それは、その宗教に「依存」しているのに他ありません。
加えて、宗派・教団の利害関係がそうさせているのです。

 さらに言えば、とても素晴らしい教義を持っているのに、実態はそうでない場合、たいがい「教団のリーダー」に
「依存」している場合が、その最たる理由なのです。

 人が信仰に目覚める際、最初は「素晴らしい教義」に惚れこむのだと思います。
そして、真剣に「人生を豊かにしようと」信仰活動に励むのだと思います。

 ですが、もしかしたら多くの方は「教義」ではなく、その教えをもたらした「リーダー」や「教団」に惚れこむ、すなわち
「依存」していっているのではないのでしょうか。 

 ですので、その宗派や教団が問題なく信仰に励んでいるうちは良いのですが、一たび他の宗派や教団と対立関係になった時、
若しくは、当初の教義とずれ始めた時、なかなかその信仰から距離を置く事が難しいのではないでしょうか。

 第三者から見れば、「早く離れたら良いのに・・」と思っていても、その当事者がそうしない時、心の中ではどんな事が起きているのでしょうか。

 それは、「崖っぷちの私を救ってくれたあの教祖様・リーダーを見捨てる事は出来ない・・」、、もしくは「私がこれまで信仰してきたこの教団が間違いを犯すわけがない!」という、物凄く大きな「集団依存」が働いているからです。

 冷静に考えれば、教義や活動方針が変わった時点で、その信仰から離れるのが、当初の目的であった「幸せになるため」を実現するための近道なのですが、残念ながらそうならないのが、多く見受けられます。

 日常生活でもそうです。
親と兄弟と友人と家族と楽しく幸せに過ごすために始めた信仰のはずなのに、場合によっては「対立の火種」になる事がある信仰。
本当は、豊かな心をはぐくみ、この世の人生を楽しく過ごすための「ツール」でなければなりません。


 では、本当の「信仰」とは何でしょうか?
それは、「自分を信じて」、「無限の可能性を気付かせ」、「自分の力で乗り越える事が出来る」事を、教えてくれる教義です。

 では、そのような宗教・信仰は存在するのでしょうか?

 実は、遥か昔すべての宗教は、そこを原点として出発しているのです。
もちろん、表現方法は異なりますが、教祖・宗祖と呼ばれている方達は、もれなくその「教義」に基づいていおります。

 決して、どこかの見えない「神」や「仏」に、ましてや「自分」に、「依存しろ」とは一言も言っていないのです。

「この世の仕組み、あの世の仕組みを理解して、どんな状況でも乗り越える能力がある事に気付き、充実した人生を送れる己を
まず信じなさい。」と、言っているだけなのです。

 それが、その教えを守るべき弟子たちや信仰者たちの伝聞や、誤解を含んだ「解説書」が時を経て重みを増し、
時には「教義」が変化し、時にはその「教祖」が神となり、現代に伝わったのだと思います。

 
 最後に、「信仰」とは決して「救われる」ものではありません。奇跡が起きるものでもありません。
 
 「確かに病気が治った!」
 「命を救われた!」
 「経済状態が好転した!」

 もしかしたら、こう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これは全て「あなた自身本来の能力」なのです。
その能力を、その信仰している宗教が「引き出した」に過ぎません。

 信仰は何が正しくて何が間違いという事はありません。
自分にとって、周りにとって、「より良い人生を歩めるツール」かどうかが、判断のベースになるべきなのです。

 周りに迷惑を掛けず、自分に迷惑がかからない信仰を、皆さんも心掛けていって下さい。

 それでは、本日はこの辺で。 

  


  

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変化・飛躍を恐れない・・・魂レベルの変化に伴う悲喜こもごも

2014年02月07日 11時32分58秒 | この世について

 こんにちは、スピンクルです。
久しぶりの更新となりました。

 最近、特に2月からは様々な内容のメールを頂いています。
ジャンルも多岐にわたっていて、どうお答えした方が良いかと考えている毎日です。

 そこで、今日はそのメールの一部を抜粋しながら、ブログを進めていきたいと思います。


 「長年の友人と、急に疎遠になった・・。」

 この方は、お子様がお生まれになった頃から、お子様繋がりでご友人となった方とのご相談でした。
何をするにも気が合い、まるで「身内」のようなお付き合いを長年続けて来て、このまま一生のお友達となるんだろうなぁと感じていたそうです。

 ところが、はっきりとした理由が分からないまま、今年に入ってからスケジュールが合わなくなり、今まで考えられないような期間会ってないそうです。
最初は「たまたま」だと思っていたそうですが、それが何かしら「漠然とした不安」を抱えるようになったとのこと。

 そんな時、偶然私のブログを見つけ、内容に「ピン!」ときて、念のため連絡したそうです。

 「これは、何かの変化という事でしょうか? 変化なら寂しいので、どうにかなりませんか?」

 この方の場合、「変化することを恐れている」ケースです。
確かに、人は現状の環境が変化する事を恐れます。これは仕方ありません。
しかし、その変化が今後その人にとって「必要」であれば、受け入れなければいけません。

 そうじゃないと、せっかく「変化のチャンス」が訪れたのに、みすみす見逃してしまいかねません。

 
 それでは、いつもの「例え話」で(笑)、表現してみたいと思います。

 貴方は、あるデパートにいます。
そこは、階を上る度に「商品の価格」が高くなってきます。
これは、「魂のレベル」を表しています。

 当然、今お財布に入っている「金額」の範囲内でお買い物するでしょう。
それに照らし合わせれば、現在は「2階」にいるとします。

 もちろん、周りでお買い物している「お客」も、自分と同じ所持金で買い物しているでしょう。
その中から、「顔なじみ」ということで、お友達になる方も出てくるでしょうね。(笑)

 それが、月日がたって、貴方の「所持金」がアップしたとします。
その陰には、所持金を増やすために努力もしたでしょうね。現実世界ならお仕事、魂の世界なら「レベルアップ」です。

 すると、あなたがお買い物できる階が上がります。2階から3階へ。
そこは、今までお買い物していた2階より上質な商品がたくさん揃っています。

 しかし、その一方で今まで2階でお付き合いしていた「ご友人」と離れ離れになるという現象も起こります。
親しくしていたので、あなたも寂しくなるでしょう。

 ここで、あなたは「選択」を迫られます。
2階に降りて行って、長年の友人と再びお買い物を続けるか。
3階で、上質な商品を買うのか。

 もちろん、選択は自由です。誰もあなたの選択を非難したりしません。
しかし、魂レベルで言うと、結果は自然と変わってきます。

 あなたが長年の友人と別れるのが辛くて、「2階」に降りたとします。
もちろん、相手も寂しいので、こう言うでしょう。
「あなたがいなくて寂しい・・。ここに降りてらっしゃい。一緒にまたお買い物しましょう!」と。

  その行為は、せっかく「3階に登る資格」を得たにもかかわらず、2階でお買い物をするということです。
 お財布の所持金が増えて、上質な商品を手に入れられるのに、あえて従来の商品で満足する。

 すると、あなたは段々こう感じてきます。
「2階で買い物をするなら、あくせく努力して所持金を増やさなくても、困らない。だって今まで通りの物しか買わないから。」

 
 一方、2階からの友人の呼びかけにも我慢して、3階でお買い物をすると決めたとします。
相手は必死です。寂しいし、何よりあなただけ3階に登るのを、心のどこかで良しとしません。
かといって、3階にも行けません。所持金で「登る資格」が無いのですから。

 あなたは3階の上質な商品を目にし、歓喜します。
「今まで頑張ってきて良かった!! もっと上の階に行けるように努力しなきゃ!」と、まだ見ぬ4・5階に想いを馳せます。

 そこで、あなたははたと気づきます。
「そうだ!この商品をあの人に味わってもらいたいわ!」

 そこで、あなたはその友人にとって、本当の意味で「正しい選択」をすれば良いのです。
「あなたも一緒にここでお買い物しましょう! 所持金の増やし方を教えるから、努力して登ってらっしゃい!」

 ここでいう「本当の優しさ」とは、寂しがっている友人のいる2階で一緒にお買い物する事ではありません。
友人に「3階へ来るように」促す事なのです。 そうすれば、友人も3階の上質な商品に触れるきっかけが出来るのです。

 そのあとは、友人の選択次第です。
あなたの呼びかけに対して、努力して3階に登り、また楽しく一緒にお買い物したいのかどうか。
それとも、2階のままで、あなたを恋慕して、時にはやっかみ、登るのを諦めて、現状を維持するのか。

 そこで、あなたはその相手に執着してはいけません。
場合によっては、なかなか3階に登ってこない友人を気にし続けると、我慢が出来なくなり、つい2階に降りたくなるからです。

 その執着ゆえに、本来なら4階や5階に登る努力をしなければいけないのに、2階だけが気になってしょうがなくなる。
つまり、結果的にあなたを3階に留めてしまうのです。

 人間は、一人では人生を歩めません。相手がいるからこそ、切磋琢磨して前に進んでいけるのです。
ですから、「本当の優しさ」とは、切磋琢磨して、時に励まし励まされ、4階・5階へと登り、楽しく一緒にお買い物をする事なのです。

 無事、その友人があなたの呼びかけに対して努力して3階に登ってくれば、また楽しくお買い物をすれば良いし、そうでなければ
友人に声を掛けつつも、しっかり努力して一つでも上の階へ登れるように、意識をそこに傾ける。

 これが、魂で言う「レベルアップ」です。
変化を恐れてはいけません。静かにありのままを受け入れましょう。

 無理なく、焦らず、ご自身のペースで良いのですから。(笑)

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