4月26日(日曜日)晴れ
今日は天候もよく、猪名川町の多田銀山を散策ポタです。
いつものR171からK13を北上して鴬が丘、清和台を越えます。
銀山入口まで来ました。銀山まで2kmの標識が出ていました。
田んぼにはレンゲが咲いてきれいです。
気分が和らぎます。
銀山の入り口に到着です。
案内板ではここから先に数か所の間歩(採掘抗)が有るようです。
今日は間歩を見て歴史街道を進み、口池から南田原へ近畿自然歩道の
ルートで行こうと思います。
銀山の案内所「悠久の館」があり銀山の歴史や
鉱石、道具など資料が展示されています。
直ぐ前には精錬所の煉瓦構造物がそびえています。
機械選鉱場で使うようです。
記録では明治40年に機械選鉱場の建屋と機械が一部設置されたが、
翌年の明治41年に休業となったそうで機械選鉱場は稼働しなかったそうです。
銀山橋を渡ると元代官所跡の道標があります。
細い道を50m程進むと広場が現れます。
豊臣時代、徳川時代に栄え人口約1万にも達したそうです。
銀山代官所の門で、
代官屋敷の中門を移設して保存してます。
元の高さは馬上のまま出入りできる高さだったと記されています。
金山彦神社の入り口です。
境内は静かで、山神として建立されたそうです。
この先に間歩があります。
一番目に青木間歩があり、ここだけ中に入ることが可能です。
入口には頭上注意でヘルメットをかぶって下さいと注意書きがされています。
奥に入ってみることにしました。
入口は少し低いですが中は広く思えました。
壁面は茶色や青色の石が見えました。触ってはいけません、坑が崩れます。
50mぐらい進んだところで行き止まりでしたが涼しくてひんやりです。
台所間歩です。
豊臣秀吉が開抗した間歩で銅、銀が出鉱し当時大坂城の
台所をまかなうほど、経済を支えるほどの量が採掘できたことで
台所間歩と呼ばれています。
瓢箪間歩です。
検分に来た豊臣秀吉が馬上のまま入れたと伝えられています。
間歩を発見した親子に秀吉の馬印である千成瓢箪を与え
入口に掲げていたことから瓢箪間歩といわれています。
ここから元来た道へ戻り、口池をめざしてポタします。
砂利道で不安定です。
口池から右折して近畿自然歩道に入っていきます。
すぐに表れたのがじゃりじゃり道で小川を越えて
山道に入っていきます。そんなに急ではありませんでした。
アップダウンを繰り返しながら、蛇さんにも遭遇しヒヤッ、でした。
山間の道をくぐります。落ち葉と砂利や石が混じったようで
ほぼ歩きです。道脇には小川があります。
貯水池横の道を通ってアスファルトの道に出てきました。
ここからはスイスイで今度は屏風岩を目指します。
猪名川上流でニジマス釣りをされています。
その横の桟橋を渡ってK12へ出てきました。
北上して旅館岩屋館が見え、川沿いに大きな岩が突き出しています。
これが屏風岩です。高さ30m幅100mにおよぶ屏風のような岩が壮大です。
今は新緑が良く似合います。
お腹も空いてきましたので、すぐ近くの「道の駅
いながわ」にお邪魔しました。
その中の「そばの館」さんでそばをたべることにしました。
天ざるそばを注文して暫くすると運ばれてきました。
ここのおそばは十割そばで、猪名川産と今日は福井産の玄蕎麦を使われていました。
元々は猪名川産100%だったそうですが、生産が追いつかす他県産とブレンドされています。
そば打ち体験もされており、事前に予約が必要。
そばの味はのどごしもスッキリ、美味しいです。
ごちそうさまでした。
「道の駅いながわ」からもう少し進んだところにクロマンプという
トンネルがあるとのことです。
楊津小学校の前を通り抜けると、700m先にトンネル有りの看板が。
これがクロマンプ。坂を進んでいきます
綴れ坂を進みます。
クロマンプに到着しました。中は蛍光灯のみで薄暗いです。
ちょっとカーブしています。
出たところです。
石で積まれたトンネルで古さを感じます。
ここからは帰路に着きます。
ただひとつ問題があります。それは後輪のタイヤのゴムが一部剥げて
いつパンクするかわかりません。アーメン。
銀山で気づいたのですが、タイヤの繊維部分はまだ大丈夫です。
来た道を南下して山手幹線を西に帰るコースにしました。
西宮北口の所でシュル、シュル、シュル。アッ、パンクだ!
丁度、自転車「あさひ」さんの看板がありホッとしました。
あさひさんでタイヤを購入し、どうにか付け替えて家までたどり着けました。
本日の記録
走行距離:96.46km
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。