先日、かながわ東日本大震災ボランティアステーションの募集する災害支援活動に初めて参加しました。
この活動は、昨年の暮れにTwitterで知り合った方から情報をいただき知ったものです。
これまでの瓦礫撤去や床下の泥だし、掃除、引っ越しなどの作業が一段落し、
何れの地域でも、生活支援へと活動の内容が変わりつつあります。
事前研修で今回の作業は、漁業支援だとスタッフから告げられました。
私たちに漁業の手伝いが出来るのか?
果たしてそれが被災地の方々への支援になるのか?
素朴に疑問が浮かんだものの、兎に角参加して、体験してみようと思い当日を迎えました。
雨の中、県政センターの会議室には大勢の中に、同年代の参加者もかなりいてほっと安心。
私の参加したグループは、気仙沼行きのコース。
他には、石巻、そして山元町へと向かうグループが。山元町グループは、いちご農家への農業支援と
グループによって作業内容もさまざまの様です。
気仙沼市は、唐桑半島。
この写真は、猟師Sさんの自宅跡からの海の眺めです。
湾内には昨年7月に広島から支援を受けて設置された竹の筏が整然と並んでいます。
Sさんの番屋で詳しい説明を受け、さっそく活動開始。
私達の作業は、牡蠣の養殖に使う縄の準備。牡蠣の「耳釣り」の作業。
初めに縄の束から一定の縄を2人一組で切り、
その縄の両端に結び目を作り、
片方の結び目に、違う種類の縄を括りつけ、
着け終わったら撓まない様にきれいに輪にして端を結ぶ。
そうそう、後から思えばそれだけのことなのに・・・
結び方が幾ら聞いても理解できず、 その内、教える方も「あれ、なんか変だな?」
本当に、覚えの悪い私たち、かえってご苦労をお掛けしてしまい本当に恐縮で・・・
次は、一定の長さの所に太いテグスを結びつける作業。
「三日月の形のところに通して」
「どれどれ?どこに三日月があるの???」
「これじゃない?」
「違いますよこっちでしょ?」
もう理解して手が動くまでにどれだけ時間がかかったのか?
そして次は、「牡蠣の耳釣り」作業。
途中まで育った牡蠣は一旦離されて、
もう一度筏につながれます。
この繋ぎ方も、個数も、漁師によって皆違う。それぞれのこだわりがあるようで。
「手を掛ければ掛けただけ牡蠣はよく育ってくれるのしゃ」
そして、牡蠣がどれだけ育っているか、
実際に船で筏の所まで行って見せていただくことができました。
筏には、ずしりと思い縄が豊かな海に何本も着いていました。
船のクレーンで引き上げられた縄には、牡蠣の殻が花が咲いたようにびっりしと着いていました。
「これからもっと大きくなって、秋には食べてもらえるよ」
漁師Sさんの笑顔がとっても素敵でした。
やっと仕事を覚えた頃にはもう帰らなければなりません。
私たちボランティアを受け入れる為の下準備に相当労力を使ったことだろうに。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいの私たちに、
ずっとずっと手を振って見送って下さったSさんご一家やHさん。
「一日も早く生産活動を開始することこそが復興への近道なのっしゃ」
「家内作業で細々と進めるゆとりはない。時間は待ってくれない。
ボラっぺ(地元の方はボランティアをそう呼ぶそうで)さんが来てくれたおかげで捗った。」
そう言って頂きましたが、
本当の作業をするために、この活動を継続させていきたいと思いました。
かなボラのスタッフの方、
そして、現地でずっと活動している栄区の 通称ほっしゃん
いろいろな方の支えがあって初めて
自分たちの活動が成り立っている。
そのことに心から感謝です。
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