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厳しい日程でなければと・・・

2015年09月25日 | 秋ネタ

ラグビー・日本代表合宿(ウォリック(英国)24日)W杯1次リーグB組第2戦でスコットランドに10-45と完敗した日本は一夜明け、軽く調整した以外はオフ。

 スコットランド紙「スコッツマン」は主将のSHレイドローの「相手は前半から疲れがあった」という言葉を紹介。「日本には南ア戦の勢いがなかった」と報じた。英BBC放送(電子版)も同様に「南ア戦の活力は時間とともに消えていった」と伝えた。

フランス紙「レキップ」は「中3日は短すぎる。高い強度を維持するのは不可能」と、日本の日程的不利を指摘した。




サモア戦に暗雲が垂れ込めた。エディーHCは、スコットランド戦で負傷退場したNO8アマナキ・レレイ・マフィ(25)=NTTコム=の状態について「今日、またあらためて(病院で)チェックする。結果は分かり次第報告する」とした。

 マフィは交代後、試合中に病院へ運ばれたが、検査後すぐに松葉づえをついて会場に戻っていた。負傷の状態は不明のまま。昨年12月に左股関節を脱臼骨折してリハビリを続け、8月30日に実戦復帰したばかりだった。

 歴史的勝利を挙げた19日の南アフリカ戦は、控えから途中出場した後半ロスタイムにパスを受けると相手を腕で制してボールをつなぎ、劇的な逆転トライを演出。スコットランド戦は「8番のジャージーが着たい」と気合十分で先発出場したが、無念の結果となった。爆発力のあるバネが持ち味で、W杯メンバー発表会見で、指揮官はマフィを「ギフト(贈り物)のような選手」と絶賛。戦力の大幅ダウンも覚悟しなければならない状況に試合後、エディーHCは「大きな痛手だ」と落胆していた。


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日本ラグビーにとってW杯は屈辱の歴史だった。1995年にはニュージーランドに145失点という歴史的大敗を喫し、通算24試合で挙げた勝利は日本代表のキャップ数30を誇る大八木淳史氏らの1勝のみ。その弱小国が世界的な強豪を破ったのだ。2015年9月19日、日本が優勝候補の南アフリカに34-32で勝利したことは、歴史的な快挙だった。

「ラグビーは“まぐれ勝ち”が起こらないスポーツです。サッカーなどとは違い、弱いチームがゴール前を固めてカウンター狙いをしていればいいわけではない。ゲームの大部分がフォワードの力勝負となり、勝つにはタックルを繰り返して攻め続けなければならず、体格の差が得点やゲーム運びに出てしまう。スクラムで押されるような弱いチームはいずれ押し込まれて失点する。

 そう考えると、体格で強豪国に劣る日本が勝てたことが、いかに奇跡的なことであるかがわかるでしょう。関係者は皆、“生きているうちに見られて幸せだ”と口を揃えています」(ラグビー批評家の中尾亘孝氏)

 ラグビー界は物語が好きだ。古くは1968年、名将・大西鐡之祐(てつのすけ)監督率いる日本代表がオールブラックスジュニア(23歳以下のニュージーランド代表)を破ったことや、宿澤ジャパン(宿澤広朗監督)がスコットランド相手に金星を挙げたことが25年たっても語り継がれている。

 が、世界一にもなれる実力を持った相手を破った今回の偉業はそれらの伝説をすべて上書きした。エディー・ジャパンは100年後も語り継がれる。



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