兎神伝
紅兎〜革命編其乃二〜
(20)妖艶
深夜…
恒彦はまた、眠らぬ長い夜を部屋で過ごしていた。
十五で初めての船に乗って以来、まともに眠った事がない。
眠れば、同じ夢ばかり見るからだ。
赤兎であれ、穢兎(けがれうさぎ)であれ、積み込まれる少女達にまともな朝日は登らない。
皆、命ある限り行く先の男達の玩具にされて終わるのだ。
しかも、海港(わたつみなと)まで運ばれる最中も、ずっと渡瀬人(とせにん)達の玩具にされ続けている。
『何だ、その舌使いは!そんなんじゃ、ちっとも勃たねえぞ!』
『オラオラッ!もっと参道の肉壁を細やかに動かせって言ってんだろう!おめえはな、七つの時から五年もされまくって、もうガバガバ何だ!きっちり肉壁の動きを覚えねえと、白穂を絞り出せねえだろう!』
周囲を見渡せば、まだ十二かそこらの少女達が、渡瀬人(とせにん)達にドヤしつけられながら、口と股間と尻の三つの孔に、休みなく穂柱を捻りこまれていた。
少しでも、彼らの気に入るようにやろうとしなければ、凄惨な仕置きが待っているのは、社(やしろ)も船の中も変わらない。
『おめえ、また、痛えとかぬかしたな?』
『痛くありません…痛くありません…』
『いいや、痛えと言ったぞ。聞こえたぞ。どうだ?俺にされて、痛かったのか?うん?痛かったんだろう?』
『痛くありません…痛くありません…』
『何だ?おめえ、嘘を吐こうってのか?そうか、そうか、嘘を吐こうってなら仕方ねえ。それじゃあ…』
『痛かったです…』
『何だ、聞こえねえなー。』
『痛かったです!』
『もう、やめて欲しいか?』
『お願いです…もう…もう…』
『あんだ?痛かっただと?人が気持ち良い事をしてやってるってのに、痛えからやめて欲しいだと?』
『お許し下さい!お許し下さい!』
『いいや、許せねーなー。赤兎の分際で、気持ち良い事をされて痛がる何て、許せねーなー。よしよし…今夜も、痛えってのが、どんなもんか、一晩かけて教えてやるぜ。』
『イヤッ…イヤッ…イヤーーーーーーッ!!!』
船を漕ぐ櫂の軋みも、川の流れの音も、少女達の泣き叫ぶ声にかき消されてゆく。
長い航河の日々を過ごしながら、流れ行く川面の色も、両岸に広がる山林や町村の景色も殆ど記憶にない。
脳裏に焼き付くのは、弄ばれ、仕置きされて泣き叫ぶ少女達の姿と慟哭ばかりである。
それでも、十二までに子を産み、青兎となれた赤兎は良い。
少しでも聖領(ひじりのかなめ)に好条件で引き取らせる為、それなりに丁重に扱われるからだ。
少なくとも、きちんとした食事を与えられ、弄ばれる時以外は、着物を着る事を許される。
しかし…
子を産めなかった穢兎(けがれうさぎ)の扱いは悲惨であった。
まとまな食事など一切与えられず、与えれるものと言えば…
『そーら、餌の時間だぞ。』
渡瀬人(とせにん)の男達は、空腹に喉を鳴らす穢兎(けがれうさぎ)の少女達の前、唐突に褌を外すや、いきり勃つ穂柱を口先に突きつける。
狂ったように飛びつく少女達に…
『そーら、旨いか?旨いか?今日は、おめえ達の為に、味が落ちぬよう、一日洗わないでおいてやったからなー。塩味が効いて旨いだろう、さあ、どんどん呑めよ、遠慮なく呑むんだぞー。』
そう言って、交代で穂柱を咥え吸わせて、口腔内に放つ白穂で、飢えを凌がせていた。
その上…
腰布一枚身につける事を許さぬのは勿論…
『おめえ、何、身体(からだ)を隠してるんだ?穢兎(けがれうさぎ)の分際で、身体(からだ)なんか隠してんじゃねえぞ、こら!』
寒空の下、船の絃側で寝かされ、少しでも凍えて蹲れば、激しく殴打され…
『そうか、そうか、寒いのか。よしよし…それじゃあ、少々の事じゃ寒さを感じねえようにしてやろう。』
そう言うなり、船縁に縛り付け、川に放り込んで何日も引き連れ回される事も少なくなかった。
そうして、異国船(ことつくにふね)に売る前に命を落とす穢兎(けがれうさぎ)も少なくない。
されど、売り物となる少女が減ったところで、困る事ない。
むしろ、減った分、近在貧民の娘を買い付けたり、あるいは貧村の娘を拐かせば、かえって良質な娘を高値で売れると言う事もあった。
どうせ、売られた先は、死ぬまで慰み者となる定め…
されど、せめて船の上にいる間だけは、少しでもまともな扱いをしてやりたい…
少なくとも、腹を満たすだけ食わせ、寒さを防げる格好をさせてやりたい…
そう思い、選んだ道が、兎津川刑部(とつがわぎょうぶ)の役に着く事…
神職家(みしきのいえ)の者が行きたがらぬ僻地にて、三官(みつのつかさ)に代行して役に就く者を役者と言う。
役者は、神職家(みしきのいえ)に生まれずして、唯一、司法五権のうち、捜査権、逮捕権、執行権が与えられる。
しかし、いざなってみれば、出来る事と言えば、不当に拐かされたり、売買された、赤兎でない少女達の摘発と救出のみ…
それすらも、神職家(みしきのいえ)と結ぶ渡瀬人(とせにん)達の前には何の力も発揮出来ず…
まして、本物の赤兎達の処遇改善など夢のまた夢であった。
恒彦は、眠らぬままに、また天井を見上げる。
眠ればまた、若かりし頃に絶え間なく見せつけられ続けた、咽び泣く少女達の姿ばかり夢に見る。
今更、それを悪夢とも思わない。
どうせ、現実世界も悪夢そのものなのだ。
同じ幻影を、夢に見たからとて、今更怯えて怖がるものでもない。
それでも…
せめて、束の間の夜くらい、見ずに済ませられるものはすませたい。
されど…
月影差し込む薄闇の天井に広がるのは果てしない虚無…
自分は、何もせぬまま、出来ぬままに終わってしまうのかと言うやるせなさ…
一層…
俺も名前を忘れようか…
たまに噂に聞く、鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の宮司(みやつかさ)のように…
直接会った事はないが…
きっと、あいつも同じなのだろう…
俺のように…
恒彦が、そう思いかけた時…
『あんたは、あいつとは違うわ、全然違う。』
先日、鷹爪衆から召し上げた、美国(うましくに)を横長してやった女の、妖艶な眼差しの笑みが、虚無の天井に広がり出す。
確か…
名を、軽信房枝と言っていた。
最も…
会う時々によって、永畑洋子と名乗る時もあり、本当のところ、よくわからない。
そもそも、何処の何者なのかもわからず、当人からして、余りそれを重視していない。
『自分が何者かなんて、どうでも良くなくて…』
先日も、それとなく彼女の正体を問いただした時、彼女特有の甘ったるい…それでいて、断固とした物言いで答えて言った。
『大事なのは、何者なのか…ではなくて、何を成そうとする者なのか…でしょう。』
『まあな。俺からすれば、何を成そうとしてるかすら、どうでも良い。所詮、何も出来やしねえ。』
『そうかしら?何を成そうとしても何も出来ないのと、何もしようとすらしないのとでは、大きく違わなくて?』
『また、あいつの話か?あの、名無しとか言う暗面長(あめんおさ)…いや、今は鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)の宮司(みやつかさ)か。』
『どうして、そう思われて?』
『おめえが、そう言う目をして話す時、大概、頭の中で考えているのは、あいつの事だ。』
恒彦がそう言うと、妖艶な笑みは崩さぬものの、口元を微かに引き攣らせ、目元を硬らせた。
『やはり、惚れてるのか。』
『何ですって!』
軽信は、今度ははっきり顔色を変えた。
『図星なようだな。俺に近づいてきたのも、あいつと同じ臭いがするからだろう?』
『やめて!あいつと、あんたは全然違うわ!』
『そうか?』
『そうよ!あいつは、ただ、自分の境遇を憐れんで嘆くだけで、何もしようとすらしないわ!やろうと思えば、出来る事は五万とある!喜んで力を貸そうって奴もいる!だけど、あいつは…』
『そうする事で、その力を貸そうって奴を傷つけたくねえんじゃねえのか?それだけ、重いものを背負って生きてるって事だろう。俺と違って…』
『ええ、違いますとも。少なくとも、あんたは自分の頭で、自分に考えうる事を考え、出来得る事を精一杯しようとしてる。
だから、自身の意思で東映川肝煎(とうえいがわのきもいり)、御宮衆船主(おみやしゅうふねのあるじ)の後継の座を捨てて、兎津川刑部(とつがわぎょうぶ)の役に…』
『俺は、重荷を背負う事から逃れて生きてきた…肝煎(きもいり)だの、船主(ふねのあるじ)だのと言う重荷から逃れ、一介の役者になりただけだ。
そう、おめえと同じ…
過去から逃れ、自分から逃れ、今は奴に惚れてる自分の気持ちから…』
恒彦がそこまで言うと、不意に軽信はドンッと地面を踏み鳴らして、話を打ち消した。
『それで…幾ら欲しいの?』
『幾ら…欲しいとは?』
『今回は、あれだけの美国(うましくに)を流してくれたんですもの。相応の礼はして差し上げてよ。
お金?宝物?それとも…』
軽信はそこまで言うと、妖艶な流し目と笑みを傾け、身体(からだ)にピッタリした、全身の線をくっきり現す楽土服を脱ぎにかかった。
『やめろ。名無しでも奥平でも、どっちでも良い。他の男に心傾ける女に用はねえ。
あれは、いつも通りくれてやる。
どうせ、ただで鷹爪衆から巻き上げたものだ。我らが処罰せずとも、今回の失敗の責任を問われ、身内で制裁を受けるよう仕向ける為にな…』
『成る程…確かに、そう言うところは、あいつに似てなくもないわね。』
『それより、あれの使い道を教えろ。俺は、不治の病に犯された貧民や、参道を傷つけられた兎どもの鎮痛に使うと言うからくれてやってるんだ。』
『そこは、安心して。あれは、責任もって、鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)の兎ちゃん達に届けてあげるわ。ちゃんと、痛いのを治すお薬にしてね…』
軽信は、漸くいつもの戯けた口調に戻して言うと、特有の妖艶な笑みと流し目を傾けてきた。
『やっぱり、あんたはあいつとは違うわ。そうやって、誰かの為に、行動を起こせる人だもの。召し上げた阿片を、大義の為に横長す…と、言う事一つとってもね。』
『別に、行動を起こしてるつもりはねえ。ただ、処分するのに手に余る禁制品を、有効に使いてえと言う奴にくれてやってるだけだ。』
『私は、やっぱりあんたが好き。あいつなんかより、ずっとずっとね。
いつか、革命が成功したら、あんたも共和国の同心に加えてあげる。何より、抱かれてあげる。
それで、四十近くにもなって、女を知らないあんたに、女を教えてあげるわ。』
『断る!共和国の同心も、お前に女の指南を受けるのも願い下げだ!』
『そお?革命の同心はともかく、女の指南は受けた方が良くなくて?
あの子、引き取ったんでしょう?
佳奈ちゃんとか言う、鷹爪衆に玩具にされ、売り物にされかけた女の子の一人をさ。
あの子、あんなに小さくても、あんたに惚れてるわよ。ちゃんと扱ってやらないと、あの子を泣かせる事になってよ。』
『要らぬ世話だ!』
恒彦が思わず声を上げかけた時…
『イヤッ…イヤッ…やめて…やめて…イヤッ…』
と、掠れるような声が、隣りから聞こえてきた。
恒彦は、この時になって、漸く自分は前とは違う事を思い出した。
そう…
孤独でも、独り身でもなくなったのだと言う事…
あの時、最初に目にした少女…
神門(みと)のワレメから、白穂混じりの血を垂れ流し、引き摺られて歩いていた少女…
佳奈を家族にしていたのだ。
『やめてっ!お願い!やめて!やめて!やめて!』
また、鷹爪衆に連れられていた時の夢をみているのであろうか…
佳奈の声は、次第に大きく甲高くなってゆく。
『佳奈っ!佳奈っ!もう、大丈夫だ!あいつらはいない!おまえは、解放されたんだ!』
恒彦が佳奈の肩を強く揺すり、必死に声をかけると…
『兎津川(とつがわ)…刑部(ぎょうぶ)様…』
佳奈はぼんやり開けた目を恒彦に向けると、譫言のように呟いた。
『そうだ!兎津川刑部(とつがわぎょうぶ)だ!』
『刑部様…』
佳奈は、少しずつ悪夢から覚めてゆくと、ポロポロと涙を溢れさせてゆき…
『そうだ、刑部(ぎょうぶ)だ。刑部(ぎょうぶ)は、此処にいるぞ。おまえの側にいる。』
恒彦が、佳奈の目をジッと見つめ、一言一言噛み締めるように言うと…
『行部様!』
佳奈は声を上げるや、恒彦の懐に潜り込んできた。
『佳奈…』
恒彦は、恐る恐る佳奈を抱きしめてみる。
すると、何とも言えない温もりと香りが、腕の中に広がり出す。
柔らかく、暖かな温もり…
甘く芳しい香り…
そして…
この歳まで殆ど感じた事のない優しい微睡み…
『毎晩、佳奈ちゃんと添い寝してやってるんですってね。』
『一人では、悪夢に魘され眠れぬ。だから、そうしてる。それが、どうした。』
『柔らかくて、暖かくて、甘い匂いがして、頭の中がふわふわしてくるでしょう?』
『何だと?』
『図星ね…それが、女よ。』
『女…だと…』
恒彦は思わず声を漏らしかけながら、再び天井を振り向くと、答えの代わりに、軽信の妖艶な笑みと流し目が、虚無の薄闇に広がり出した。
女だと…
馬鹿な…
この子はまだ十歳だぞ…
乳房もなければ発芽もない童女(わらべ)だぞ…
『それでも、女よ。さあ、ちゃんと抱いてあげなさい。ちゃんと抱かないと、溢れ落ちて消えてしまうわ。』
天井の薄闇に広がる妖艶な笑みと流し目は、無言のまま、恒彦に囁きかける。
同時に…
『刑部様…刑部様…』
懐の中では、佳奈が一層強くしがみつきながら声を漏らし、震えている。
『佳奈…』
恒彦が呼び掛けると、顔を見上げて来る潤んだ眼差しは、もっと強く抱きしめて欲しいと訴えている。
恒彦は、恐る恐る佳奈を抱く腕に力を込める。
だが、佳奈の眼差しは潤み続け、しがみつく腕は緩まない。
溢れて落ちてしまう…
もっと強く抱きしめなければ…
されど…
腕に伝わる感触は…
実に脆く…
実に儚く…
壊れてしまいそう…
余り強く抱きしめ過ぎれば…
どうすれば良いのだ…
戸惑いながらも、憑かれたように、佳奈と唇を重ねてみる。
すると、佳奈の潤んだ眼差しは笑みに変わり、しがみつく手の力も解れていった。
同時に、恒彦を包む微睡みは睡魔へと変わってゆく。
そして…
『佳奈ちゃんの抱き方、知りたくて?』
『佳奈ちゃんの抱き方、教えてあげようか。』
『佳奈ちゃんの抱き方、教えてあげる。』
『いらっしゃい、私の懐に…佳奈ちゃんの全部、教えてあげてよ。』
天井の薄闇に広がる妖艶な笑みと流し目が、延々と囁きかける声が、耳の奥底でこだまする。
『余計な…お世話だ…』
思わず、声を漏らしかける恒彦は、そのまま底のない眠りの泥沼に陥っていった。
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