チョメマメ母☆スチャダラ日記

好きなことは、喰うこと・寝ること・お笑いみること~☆
男2人チョメマメの母 チョメマメ母☆のスチャダラだらだら日記☆

はらいたのはなし☆

2005年10月30日 | チョメ母のつぶやき☆
さてチョメの下痢もややましになってきた今日この頃だが、腹をこわすといえば、ちょいと前のチョメ母である。

食べるのが大~好きなチョメ母、とくに米命で毎食おかわりを欠かさずで我が家の米消費量はすさまじい。しかしここのところばんごはんになるとなぜか腹痛が襲っていた。しかし、食欲はあるため、腹イタイイタイと前屈みになりながらおかわりをよそうというまかふしぎな夜をかれこれ2週間ほど続けていた。

あまりにも痛いときは食べてる途中で横になり休み休み食べることもあって、ついにチョメ父の知るところとなってしまい「病院行かんかい~」と云われてしまった。大の病院ギライのチョメ母、「でもさでもさこんなに食欲はあるしさー昼間とかちっとも痛くないねんで。」と必死のパッチの言い訳大会。そうこうしながら、自分の生活を振り返ってみた。

食べているモノや量はそんなに変わっていない。痛みも、丸くなって腹をあたためたらすぐによくなる。最大の謎は、なんでばんごはんだけなん?ということ。ばんごはんはいつもチョメを寝かせてからちょろちょろっと作り、チョメ父が帰ってきて食べる。そこでチョメ父が冗談で「まさかワシが帰って来るのがストレスとか?」え!?「ま、ま、まさかーそんなこたぁないやろーわはわはわはわは。」そんなこたぁないと思うけど、一緒に住むようになったの最近やしなー、でもそんないやべつにあれあれ…アタシって意外と繊細なのか?多少ドキドキしつつ、チョメ父への疑惑で沈黙。夫婦ってやっぱり他人いろいろ難しいのねと、妻の秘かな憂いに浸るチョメ母。

しかし、その謎はある日の会話中のひらめきにより、あっけなく解決。「いやー最近急に寒いよなー、アタシ寒いのキライやからそろそろババシャツと羽毛布団出さなあかんな~」ん?寒い?「…はらいたの原因わかったわ(-_-;)」
そう、原因とはチョメとの慌ただしい風呂上がりに裸同然でウロウロチョメ世話に追われ、完全に冷えたままで乳や腹を出してチョメに寝乳をしながら寝かしつけ、あわよくば自分も寝かしつけられている、あの時間の冷えだー!!

それ以降、寝乳の際はお腹に布団をかぶるようにして、見事病院に行かずして腹痛を治した(?)チョメ母でした。

在らぬ疑いを秘かにかけられたチョメ父はそれを知らない。夫婦には知らなくてもよいこともあるはずだチ~ン(-_-)
今日の写真。「母ちゃんこうやって腹には布団やで、シェ~」チョメより。


チョメのライバルのはなし☆

2005年10月29日 | かぞくのこと☆
チョメ母の実家には犬がいる。名前はもも、8歳になるおんなのこだ。
ももはとても甘えんぼうで、子どもの手が離れた、チョメジィジとバァバに甘やかされて大きくなった子。そんな甘えんぼうの性格故、彼女の自分よりも可愛がられるモノへの嫉妬はかなりのものがある。
しかもしかもだ、まだ彼女が若くて血気盛んな頃、学校帰りの小学生たちにイジワルをされてたいそう怒り狂ったことがあった。門扉越しではあるが、傘を振り回され、つつかれたのだ。故に彼女の子どもに対する根深い恨みつらみはかなりのものがある。子どもを見るなり吠えまくり、恐怖の余り泣き出す敵には更に容赦せずに追い撃ちのワンワンワン。

というわけで、ももは自分より可愛がられる子どもが大大大~キライ!!
むぅぅぅぅ、…………そのとおり、ばっちり条件に当てはまるのは、まさにチョメである!

チョメが生まれる前から周囲はフタリの関係をかなり心配していた。ももがノイローゼになるだの、チョメが喰われるんじゃないかだの…。
そんなトラウマ犬もも対、脳のしわがまだないが故にコワイもの知らずチョメの対決は…今のところチョメの不戦勝。ももは完全にビビっている。

それまでの人気をとられ悶々としつつ、家の外にいるならまだしも中にいるチョメには吠えずにいるもも。なんと、チョメにいきなり鼻を掴まれても、吠えることすらなく何事もなかったかのようにすーっと自分の場所に戻る後ろ姿に、近所の子どもたちに荒くれものと言われた片鱗はない。

しかしながらチョメ母は思う。ももは今、チョメの存在を無視するふりをしつつ、様子をうかがっているはずだ。今後のフタリの微妙な関係はいったいどうなるのか。ちょっとがんばれ、もも。


おでかけのはなし―水族園編☆

2005年10月27日 | チョメ・マメのこと☆
今日はとっても天気がよくって気持ちいいぜ~!ということで、またまたチョメ母の思いつき行動により、昼からお出かけになったチョメ。行き先はチョメ母幼少のみぎりより行きつけの須磨海浜水族園、わ~い久しぶりだー☆そしてチョメにとっては初めての水族園。今日はチョメバアバも一緒。

入ってすぐの大水槽、大きい魚や亀がゆったり泳いでいる。チョメバアバはテンションガッツリ上げて、チョメに話しかける。「ほらほらチョメ、おっきいおさかないっぱいだねー。」チョメはチョメバアバの指差す指先のみをじーっとみて、魚の存在にはなかなか気がつかない(-_-)

どの水槽にいってもそんなカンジのチョメ。挙げ句のはてにはバギーについている玩具のイモムシくんを頭部からむさぼるチョメ。予想していたように、やっぱまだわかんないか~、ま、大人チームで楽しもうぜ。ということでなかなか広くていろいろ趣向の凝らしてある園内を見てまわった。

ラッコやピラルクやピラニアなどを見たあと、今日最後のイルカライブへ。平日ながらなかなかにぎにぎしている場内だ。やや眠そうなチョメもバアバの膝の上で一応見る準備。いよいよイルカくんがじゃんじゃんジャンプをはじめた。結構離れている所から見ていたが、大きいイルカが水から出てきてジャンプして、水しぶきを上げる様子は目に入った模様。じぃーっとプールを見つめていた。何度か目にはチョメ母とチョメバアバの、ををを~の大声にベソをかきながらも(ビビリなやつ(-_-;))よく見ていたチョメだった。

あと、チョメの数少ないお気に入りは、ぐるぐるひたすら周るぴかぴかのイワシたちとフワフワ浮いてるクラゲちゃんだけでした。(←チョメのおともだちきょんちゃんも気に入ってたってゆっていた。赤さんに人気!?)

久しぶりの水族園。なかなか見応えあるし、市の施設だけあって、バギーや車椅子でもまわりやすいし、授乳室や貸出バギーもあるから赤さん連れにもオススメだ。チョメ母は海○館よりダンゼン好きよ☆

今日は大人チームが楽しんだ水族園だったが、チョメ、絶対またいこな~!
写真は見てるようで見ていないラッコちゃんと☆



気になることのはなし☆

2005年10月26日 | チョメ母のつぶやき☆
近頃気になること数々あれど…

まずはとくダネ!の小倉智昭のズラが毎回微妙に位置が違う上に、顔がパンパンなこと。気になるあまり毎日のようにチェックしてしまう。

次は、倖田クミとゆう歌い手をテレビで見る度に必ず「いいから乳首見せろよコノヤロー」というチョメ父の男ゴコロ(←わかるわかるという男性陣コメントおくれ)

最後に、なかなかよくならないチョメの便と尻。近頃のチョメ母の頭は此でイッパイ。

どーにもなんないような記事でアイスミマセヌm(_ _)m


チョメ旅に出る-知多半島編-のはなし☆

2005年10月24日 | チョメ・マメのこと☆
少ぅし前のこと、チョメ一家は小旅行に出た。行き先は近場も近場の県内の南の方。
チョメ母は海辺が好きだ。そして海の幸がもっと好き。旅といえば海辺や島に行くことが多い。
この嗜好のルーツはチョメジィジまで遡る。チョメ母の子ども時代に連れていかれた旅の思い出といえば島。そして舟盛りを前に酒盛りする大人たちの記憶。うーん血は争えぬ。

しかし今回の旅のテーマは海の幸が喰いたいぜ!という願いとともに、チョメがなるべくいつもどおり過ごせるように。ということで部屋にもお風呂がついている海辺の旅館に決定~。

子どもを持つということは、ひとつ動くにもいろいろ考えなきゃあいけないからめんどうくさいことも多い。授乳のタイミングを合わせてー、授乳室があるここで休憩でー、離乳食はここで湯をもらいー、風呂は部屋にあったらいいなー、布団がわりにこれ持ってーいやこれもいるかえーとえーと…。
自分ひとりの旅の用意もろくにできず、必ず前日にはめんどうくさいから行きたくなくなり、挙句のはてに準備ができるのは出発直前、が定説のチョメ母。チョメの旅の用意が加わり、めんどうくささは倍増だった(-_-)
すごい荷物の量の準備に辟易しつつテンションだだ下がりながらも、チョメ父の「ま、ま、荷物多くてもさ、車やし。フグが待ってるで~。」という必死の盛り上げでなんとか出発。

で、着いたところはホントに海まで10歩のなかなかの場所。すぐさまチョメを連れて海に行ってみた。
はじめて見る海、チョメはジーッと見ていた。ちょっと寒かったから水にはさわれなかったが、潮風と砂の感触をチョメなりに楽しんだようだった。丁度夕陽がきれいに見えた
海だった。
次の日は帰りに空港に寄って飛行機を見た。チョメは大きな音にびっくりしつつ、またまたジーッと見ていた。どんなふうに見えて、何を考えているんだろうか。

全く準備は大変だし、大人だけの旅とはだいぶんちがって、いっぱいは遊んだり見たりはできず、ゴハンもチョメをあやしつつ交代で食べたかなんだかわからない忙しさだし、無論酒は呑めないし(-_-メ)、休憩室などの寄り道も多く、すべてはチョメの機嫌次第でちーとも予定どおりにいかない旅だった。
しかし子どもが何かを見たりしたりするのを見てウレシイって思うんだなーと、子連れの旅の醍醐味がすこぅしわかったチョメ母でした。もっと大きくなったらまた行こうー。


おむつの話☆

2005年10月22日 | からだ・内反足のこと☆
チョメのおとついからの下痢は、やはりすぐには止まらず昨日も続いていた。
昼過ぎになにげにおむつを変えていると、「ぎゃ~!」とチョメが叫び始めた。それからグズグズが始まりずーっと抱っこしていないと怒るチョメ。夜中も度々のおむつ変えで眠いチョメ母(-_-)だったが、なんだか叫び方がおかしいか?とようやく気づき、ちっこい医者に予約をとった。
それからも何回かギャーはあったが、どうやらオムツを変えているときに限り叫び始めているようだ。
痛いのは腹ではなく尻なのか?

夕方ちっこい医者にみてもらうと、尻ビンゴ!!のおむつかぶれ!が判明。もはや尻のみならず、大事なところやその周辺も赤~くなっている。「チョメくんの場合お肌弱いからねー。こうなると四倍ほどウンコやオシッコの成分が肌にしみこんでいくんですよー。」便や尿がしみこむ~とはなかなか聞かない言葉。なぜか自分の尻もヒリヒリしてくる感じがしつつ、何種類かの薬の説明をうける。

「センセ、チョメ家にいる昼間は布おむつなんだけど、布にしてからひどくなったかも。布おむつよくないんすかねー?」と尋ねると「布おむつ?絶対紙に変えた方がいーよ。何回も洗った布おむつはトゲトゲだよ。」なんとあっさり布おむつ禁止令が出てしまった。紙の方がかぶれにくいとは聞いていたが、チョメのように肌が弱い子どもはなおさららしい。トゲトゲという言葉にまたまた自分の尻が痛む気がする。そりゃあ痛い上にトゲトゲは厭だな(-_-;)

特に布おむつにこだわりはなく、ただ単にゴミがたくさん出るのが厭だから使っていたので、変えることに抵抗はないんだが、あの布おむつを干してヒラヒラする様や、ウンコまみれの臭いオムツを洗う自分は好きだったのになー。グッバイ・布、脱ヌノ宣言。
でも、肌にトラブルなくて平気な赤さんなら大丈夫だと思いますよ。

昨日のオサイフ事件ですっかり覚えられてしまった、薬剤師の鼻メガネさんに薬のあれこれを聞かされて、家に帰るともう8時でしたチーン。
なんとそして今日もまた予防接種しに、ちっこい医者に行ったチョメでした。

写真は、今日三十路を迎えたチョメ母に、チョメ父がくれた妖怪人間レモネード。それぞれ味が違うみたい。飲みたい人は近くのビレッジバンガードに売ってるらしい。あとは甘~いベロ君が残っている。
誕生日おめでとメールくれた人々ありがとう。おめでとうってゆってもらうのは三十路でもうれしいもんだねイエイ。

医者のはなし☆

2005年10月21日 | からだ・内反足のこと☆
チョメが、昨日の夕方から何回もウンチをしていた。
普段は多くても1日1回、2・3日に1回が多いチョメ。
乳幼児のウンチは個人差が大きいらしい。赤さんもいろいろ、ウンチもいろいろといったところか。
チョメはチョメ母のインチキ離乳食を少しづつ食べているものの、まだかなりどろどろでまっ黄っ黄。なのに、やや緑がかったつぶつぶと黄色い液体といったものが少しづつ何回も出ている。
本人はいつもどおりブーブー放屁と排便をしつつにやにや笑っているし、乳もよく飲むし、よく遊んで元気もりもり。だが、こんなに続けてウンチが出るなんて新生児のとき以来はじめてだ。
大丈夫やろ~とのんきなチョメ母だったが、朝になっても同じなのでチョメ父とも相談していちおう医者に行くことにきめた。

こっちに来てからのチョメの主治医は初老の小児科医。
そこの医者に診てもらうのは、もう5回目くらい。
団地の下の奥様に何件か教えてもらった中から、チョメはアトピーもちなこともあり
小児科とともにアレルギー科を看板に出し、医者の名前がシュッとしているイメージだったここに行ってみた。

最初に会った印象は『ちっさっっ。』かなり小柄で細くって、小さい顔のほとんどがマスクで覆われていた。
そのときは一緒だったチョメ父と顔を見合わせたが、彼も同じことを思っていたはずだ。
『・・・・・アヤシイ。(-_-;)』しかも、マスクのせいか何をゆってるかよく聞こえん!!!チョメ母の頭にはナウシカの巨神兵がちっこくなったやつ!と記憶される。
ま、何度か通ってみようかということになった。

しかし、その医者自分のペースで話を進めるので、多少聞きたいことを答えてもらうのに時間はかかるが、とにかくわかるまで詳しく説明してくれる。わかりやすいプリントもくれたりするので忘れんぼうのチョメ母はありがたや。そしてなにより、チョメにとってもやさしいのだ。で、もちろんカルテを見ながらだろうが「チョメくん~、こないだよりよくなってるねー。」とチョメに声をかけてくれる。うちの子のことちゃんと診てくれてるな~と親に安心させてくれるのだ。で、終わりには絶対「わかりましたか?いいですか?」とちゃんと納得いくまで話を聞こうとしてくれる。
というわけで、決してシュッとはしていなかった(←失礼。)し、なかなかパンチの効いたいでたちだが(←失礼失礼)チョメにやさしい『小さな巨神兵』先生をチョメ母も気に入ってて、なかなかよい医者に出会えたなーって思っている。

さて今日は、下痢はおそらくウィルス性のもので一週間ほど続くかもしれないけど、全身的に元気なので心配ないでしょう、とのこと。

最近では小児科医が少なくなっていると聞くが、開業医はいろいろ工夫していて驚くことがある。
例えば、看護婦さんがかわいいエプロンをしていたり(中にはやや無理している方もいたりするが)、待合室に絵本やかわいいおもちゃやちょっとした遊具があったり、壁に仮面ライダーのお面がついていたり、ビデオを流していたり、まあここまでならばよくあるのかもしれないが、巨神兵先生の後ろの壁にはでかいウルトラマンがつられていたりする!!!!(←チョメ母これほしい)。
また、完全予約制ではないが24時間テレフォンサービスの電話操作だけで簡単に予約できたり、駐車場で待ちたい人には呼び出しの音楽がなるものを貸してくれたり
などなど。
診察や予防注射をした後に、ごほうびをくれるのもそのひとつ。
今日は紫の風船をもらったチョメ。
写真は、今日の夕方になっても、何回も放屁排便しニヤニヤ転がりながら、チョメなりにごほうびを堪能している姿。

医者選びはなかなか難しいが結局は、話をする親と医者との相性と、どれだけ納得いくように説明してくれるかだなーと思うチョメ母だった。

おまけの話。処方されたビオフェルミンを隣りの薬局にもらいに行ったとき、ついでに自分の飲み物を買おうとしたら・・・なんとオサイフ忘れてゆかいなチョメ母!!!!やってしまった!!!!
だって、乳幼児医療というありがたい制度のおかげで病院でも薬局でもお金要らないんだもんね。万歳地方自治!!!しかし、あー恥ずかしかった。

2005年春、チョメが生まれた~☆

2005年10月19日 | からだ・内反足のこと☆
2005年春、ついに我が家に第1子チョメが生まれた!!!
妊娠中つわりも全く無く、2ヶ月前に産休に入るまで周りの方々のやさしさに甘えつつ体力勝負の職場で働いていたチョメ母。予定日よりも2週間もはやい陣痛になかなか気がつかず、分娩台に上がったときにはなんと頭が見えていて(←らしい)、たまたま休日で新幹線で駆けつけ何とか間に合ったチョメ父の立合いで、5回ほどいきんでぽんっっっっっと出てきたのは、周囲の予想どおりの男の子!!!!!

2530g47cmとややちっこいながらも、とっても元気な子・・・・・・・、だがチョメには左先天性内反足という病気のおまけがついていた。左の足首から先がゴルフのアイアンのみたいに内側に曲がってつまさきだちをしているようなチョメの足。「あれ?なんだかおかしい???」とうすうす思っていたところ、入院中の授乳室の奥で聞かされた医者の話。「まず間違いなく、内反足だと思います。」『なにそれ?なにそれ?うちのチョメはどうなんの?ぐるぐるぐるぐるぐる・・・・・』今までに味わったことないなんとも言えず心臓をわしづかみされているような気分だった。あまり何を話したかは覚えていないが、ちゃんと歩けることと時間はかかるが必ず治ることは理解したチョメ母だった。

退院してすぐの生後10日目で小児整形のある子ども専門の病院に行き、病気の詳しい説明と今後の治療方針を聞いた。
先天性内反足―約1000人に1人に現れる病気で男女比は2対1、原因はまだよくわかっていない、比較的寒いときに多くみられる病気、親子での遺伝例はほとんどないが兄弟で現れる確立は約27分の1である。治療方針は医者や病院によっていろいろあるが、うちではまずギプスによる矯正の後具合を見て、アキレス腱を切る手術をする場合もある。その後は装具による矯正を経過観察しながらだいたい小学校入学前まで行うというものだった。ギプスはさっそくその日から始まった。

そんなこんなでチョメはギプスを1週ごとに3回巻き手術は無しで、現在スノボーのように両足の靴が棒でつながった、なかなかイカス靴型装具(保険で戻ってくるがお値段もイカした8万円也)をはいて、元気に6ヶ月になった。

母になる自覚などないまま、周囲の心配をいただきつつ、生む直前までこれでもかと遊んでいたチョメ母は、今までのオキラク人生ではありえないほどの凹みっぷりだった。
この世に出てくるなり痛いマッサージで泣かされたり、太ももまでギプスを巻かれたりなどなどいろいろ大変な目にあうチョメに、申し訳ない気持ち。それと、これからの育児のいろんなことへの不安。外出するときの周囲のチョメの足への熱視線へのもどかしさ・・・などなど。

いやー、この6ヶ月で今まで思っていたよりも自分のココロって弱っっと痛感した。
しかし、唯一無二の同士チョメ父の存在と、チョメジイジ・チョメバアバ・チョメ母の心の友やなかまたち・同じ病気で頑張っているチョメのお仲間たちとその親御さんたちに元気を分けてもらいつつ、ちょっとずつパワーアップしてきたチョメ母だった。
そしてなによりなによりどんどん大きくなって笑うようになってきたチョメがかわいくて、おもしろくて、世話が焼けて、うれしくて仕方がない。
まだまだちょっとしたことで浮いたり沈んだりはするものの、だんだんといつものマイペースを取り戻してきたチョメ母です。だから新しいことをしようと思ったのかもなー。
足のことなんてひとつのことに過ぎなくて、きっとこれからもいろいろあるだろう。世の中の母ちゃんもそれぞれがんばっているんだろう。そうして母ちゃんは少しづつ強くなっていくようだ。

友人のみなさん、スノボー小僧チョメに会ったときは、部品が金属製で凶器と化す踵落としに気を配りつつ、是非是非抱っこしてやってくださいな。そしてお地蔵さんのように皆さんの強い足をなでなでさせてやっておくれ~。

★☆★祝!!!ブログ開設★☆★

2005年10月14日 | チョメ・マメのこと☆
結婚してからも仕事を続け、夫と離れて実家に居候してスチャダラ暮らしていたアタシ。
しかしそんな気ままな生活が2005年春、一変した!!!!!
そう、腹の中で虎視眈々とこの世への登場を待っていた、チョメがついに出てきたのだ!!

そんなチョメ・チョメ母親子は2005年夏ようやくチョメ父のところに引っ越した。
慣れない土地での初心者子育てのチョメ母は、元来の引きこもり体質も手伝って、あんまし得意ではないパソコンで、電脳主婦(インターネット)する日々が始まった。

そんなときにブログの存在を知り、やってみよっかな~と思いついた。
何を隠そうチョメ母の行動の8割方は直感だ。
なのでいつまで続くかわからんが、ま、チョメが加わったチョメ母のスチャダラ人生の日記代わりにやってみよーっと。

あ、でも夏休みの日記も最後にまとめて書いてたな~(-_- )ま、えとしよー。