初めての上京。はるか千キロの先。6畳の部屋に寝台車のような簡易型の2段ベットが囲むように4セットあった寮。早朝と夜間に食堂で点呼がある。それでも当時は極楽のような棲家であった。京浜東北線の西川口駅の学生寮。・・・国鉄のバイト、演歌師(流しの弟子)、あるいは放送局でのバイトその他。上京して2年ぐらいは新宿も渋谷も池袋もバイト先の先輩と同行でのゴールデン街や焼き鳥屋ぐらいしか記憶がない。当時は上野、飯田橋、市谷近辺ぐらいしか知らなくて、たまに神宮前、新井薬師、中井、井の頭公園付近の知人宅(3畳、4畳半の下宿が主)でたわいも無い話で時間を過ごすのも楽しかった時代。・・・今ぐらいの季節はアメ横で買った、米軍払い下げのモスグリーンのカメラマンコート風にを羽織っておけば、合理的で、ジーパンと合わせてそれでよし。その後、東京で次兄のところに居候を1年程過ごし(次兄はイギリスに行ったので後は一人暮らしとなるのだが)又、あわただしく凝縮した日々になるのだが。 二十歳ごろに東京を実感したのは新宿の高層ビルやテレビ局これは、華やかな東京を実感した。当時は銭湯通いの身であったが、末端のバイトであったが、風呂が銭湯とは違い広い風呂に心地よい仮眠室に学食より、広い食堂。なによりもバイトであっても、生の歌番組のスタジオでは、田舎でラジオやテレビでしか聴いた事しかない生演奏を毎回体感できるのは商店街の歌謡ショーとはおおちがいの宴であった。そんなたわいもないことが新鮮だった。 ぬいぐるみ人形劇団のバイトも楽しかった。地方に旅気分で同行の大道具さん、照明さんたちと行く先々で夜は飲んで、アングラ(今風だと小劇場かな)芝居をやっている諸先輩たちに文学演劇論など話しを聞くのもやっぱあ、東京におるなあと実感しました。今思えば、伊吹信介とまでもいかないが凝縮された流され吹かれる時間でした。・・・まあブログというものは今を語るものなのでしょうが、成人式はあってなかったような日々の一部の記憶です。
追記~なにせ、地方出身者でしたので蕨市でなんとなく参加した。蕨市は成人式の発祥の地?らしい。