ティナワク(ボリビア)では、芋の連作で寄生虫が増大し、土地に休閑をもうける必要性がわかった。農家の人なら今や常識ではあると思います。
血族「近親」の場合もなるほどとうなずける。昔から五穀豊穣とか、仙人食、修行僧あるいは聖職者の儀式においても、とうもろこし、小麦、豆類または草根類はエスパーには不可欠な生活習慣ではあるが、はたしてなぜだろう?
ゲノム解析、リボ核酸の研究はどこまで進んでいるのか知らないが、単純に儀式や秘薬と事を思って考えると妄想は広がる。例えば日本でも一般でも?世代前までは土に還す、つまり土葬の慣習はあったはず。いや、今でもいるかもしれない。しかし、国土は狭いし、今や不遇な事件か、あるいは、私有地を広大に持つ立場でなければありえない。さて、話しを戻すと、古く伝えや史跡でも、儀式があった。
・・・と聖杯からロンギヌスの槍、聖櫃、三種の・・・。
・・・身近な話しでスッポンやマムシの血が精力剤として有名だがプラシーボ効果だけでは計り知れないものもある。
先ほど列記した五穀もゲノムの世界では人のRNAより多いそうだ。肺魚にいたってはその10倍ということだったと記憶している?
さすがにシーラカンスと並び推定3億年の環境変化適応か?急速な特異な進化の偶然の奇跡なのか?笑い話であいつは人を食った奴だ。とかいうけれど、生きとし生けるものにとっては生まれた瞬間にして死は運命ずけされている。例え、時の権力を持とうが持つまいがいずれは死ぬ。持って生まれた能力を継承させるには種の保存があったりするが、生きているうちに秀でtた能力を持てないものかと思案する生物が無意識あるいは本能的に他生物のゲノムを取り込むのではないかと考えるとたまたま足りないものを生存しているものから取り込もうとするのはありえるかもしれない。富とか権力ではないゲノムを。・・・週末にハムナプトラの映画が地上波でオンエアされるそうだが、同種族においても、救世主の血をそそいだ聖杯にはスッポン料理のようにたまたま、環境適応でゲノム変化が生じたものの体液(ゲノム)をとりこもうと血眼になるのは、まさに人を食った話しである。庶民においては、ツール「道具」を追いかけて迷い苦悶し喘ぐのが精一杯なのですが。・・・現時点では個々人の価値観の目的意識で何を重きにおくのかが人社会においては急務であるでしょうがボリビアのジャガイモ連作ではないが土地が不毛になったら困りもの。広大な土地であっても芋に欲かいて芋で死ぬ。程々に満遍なく家畜を買ったり、多種も育てて、堆肥をまいたり、たまには育ちすぎる種を剪定してみたり、そうしていてもときおり、自然は風邪をひいておろおろと生物は平等に翻弄されるのだから。知恵ある者は知恵をだせ。知恵無い者は汗をだせ、何もなくても日々への感謝の念を。すべてが、支え、おもいやりを持って接し、日々をすこやかなこころですごせれば生きることも素朴な笑顔の一環になる。