Youtubeの神動画投稿者・ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)がアップした、数々の貴重な90年代動画を楽しむコーナー。今回はコチラの動画を取り上げる。
https://www.youtube.com/watch?v=5MDHJnT9z_A
1991年(平成3年)3月、東京下町の「墨田区京島」で、ライルさんがパチンコに興じる映像。
撮影されたパチンコ店だが、京成押上線・京成曳舟駅から少々歩いた「橘銀座商店街」(現在「キラキラ橘商店街」)にかつて存在した、「パチンコたちばな」(閉店)というホール。ときおり映る、レトロ感タップリのネオンが、実にいい味を出している。
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パチンコ「たちばな」跡地(墨田区京島3-23-11)
商店街を散策中、この「たちばな」に立ち寄ったライルさんが、カメラ片手に短時間だがデジパチを遊技する様子が収められている(trying outなので「試し打ち」か)。大変に貴重な映像だ。
台間玉貸機に百円を投入して、ジャラッと筒を押し上げて玉を借りる…そんな何気ない行動も、今ではノスタルジーさえ感じる。自分の場合、いつも「200円」づつ借りていた。玉50発くらいが、ちょうど片手に収まる「適量」だった。
そうやって自ら握りしめた玉を上皿に流し込む時は、「この玉で出てくれよ!」と、自然と気合も入ったものだ。それが、補給レールやCR機の自動補給ボタンに変わり、「泥臭い人間らしさ」を消してしまった気がする。また、隣同士が一台の玉貸機を共有する時は、補給タイミングを巡り、相手との「間合い」を図るのも大切だった。
途中チラッと映る、「連続挑戦中」のプレートや、半透明の赤いドル箱も懐かしいアイテム。赤ん坊をおぶった女性なども打っていて、いかにも「下町の商店街のホール」という感じ。入口には、「出血大奉仕」と書かれたポスターが貼ってある。
因みに、ライルさんの打った台は、旧要件末期(1990年12月)にニューギンから登場した「エキサイトワープ2」というオマケチャッカー付きのデジパチ。当時のニューギン独特の台枠、上皿、下皿が懐かしい。撮影時期とされる91年3月は、旧要件から新要件に移行しようとしている「過渡期」に当る。ちらほらと新要件機も入り始めた頃で、まさに「新旧入り混じり」のラインナップとなっていた(5月辺りから一気に入替が進み、旧要件機の比率が減っていく)。
FL管による、カラフルな7セグ調デジタルが特徴だった「ワープ2」(あの背景画面には、時に「毒々しさ」さえ感じた)。図柄は数字(0~9)のみだが、赤(0~9)と白縁の黒(奇数のみ)の2色があり(計15図柄)、同色の三つ揃いで大当りとなる。デジタル停止順は左⇒右⇒中。
実は、エキサイトワープには、賞球の異なる2タイプが存在した。「エキサイトワープ」と「エキサイトワープ2」だ。「エキサイトワープ」は、賞球が「6&9&12」。ヘソ6個、アタッカーとオマケチャッカーが12個。オマケの釘次第で出玉は変化したが、基本的に出玉控え目。玉持ちもやや悪い。
一方、動画に映るのは、盤面デザインから「エキサイトワープ2」だと判る。コチラは賞球が「7&10&13」で、ヘソが7個戻し、アタッカーとオマケが13個戻しである。
肝心の大当り確率は両者共通で、「1/204.8」と高い(表面上1/225だが、内部的には異なる)。よって、スペック的には「2」の方が甘いが、換金率や営業方針に応じて、両タイプともに多く出回った。いずれも意図的な連チャンはないが、高確率ゆえの「自力連」が期待できた。
エキサイトワープ
エキサイトワープ2
また、店を出る直前に映るスロットシマも、香ばしい雰囲気を醸し出している。左右のシマにズラッと居並ぶのは、2-1号機「バニーガール」(オリンピア)のみ。当時は「一店舗スロ1~2機種」という設置が主流だった。「この店にはこの台」という特色があって、パチ屋・スロ屋のハシゴが、非常に楽しかった事を思い出す。
こちらのシマにも子連れ女性の姿があって、小さな女の子がシマ通路を歩き回る(今では、防犯うんぬんの話もあろうが)。反対のシマでは、若者同士がダベりながら、のんびりバニーを打っている。イスも固定式などではなく、ビニル地の移動式・回転イス。これも、当時ホールでよく見かけたアイテムだ。そんなのどかなシマに響く、バニーの甲高いストップ音や払い出し音も、何とも心地よい。シマ頭上に貼られた「無制限」の赤いプレートにも、やはり時代を感じる(既にスロは無制限営業が多かったが、ビッグが終わる毎にコインを流す1回交換制※(又は定量制)の店も残っていた)。
※店によっては、ビッグ終了後1000円分のコインを買うと、継続遊技可とするルールもあった。
パチ屋以外の店では、鶏肉「鳥よし」(焼鳥の袋が映る)、衣料品「サンプク」(パチ屋「たちばな」向かい)、「鳩屋のパン」(看板が映る)などが確認できる。キラキラ橘商店街公式HPによれば、サンプクは「ブティック・アパルーサ」に変わったが、「鳥よし」と「鳩屋」は現在も営業中とのこと。
それから、「ライル動画」の定番である「ジュース缶」について。動画前半に、UCCの「霧の紅茶」(アップル)をゴミ箱に捨てる場面がある。「霧の紅茶」ブランドは現存するが、自販機で買えるのは、今では沖縄(沖縄UCC)のみだとか…。その昔は、「UCC」ロゴの入った自販機を多く見かけたものだが、これも時代の流れであろう。
味気なくなったよなぁ。
たぶん打ってないから分からないだろうけど、ぱちもすろも、味気ないどころじゃない時代になってるよ。出玉少ない回らない当たっても見返り薄い。
思い出は思い出だけにしとくのが望ましいって事だね。
うまくなると、左側なら200円分を片手で取れるようになるんですが、右側の場合は2回に分けないと難しいですね。共有している隣人との間合いは大切でした。時々、玉が引っかかり気味で最後まで出切らないのがあって、こういうのを体験すると、その後しばらくは玉貸し機で上下に揺するクセが付くんですよね。でもそれをやっていると素人っぽい(ケチくさい)ということに気づき、どうやれば一発でスムーズに玉を取り出せるようになるか、というところに気を使うようになるですよね。色々思い出させてもらえて懐かしいです。
激しく同意します!
連チャンアレパチなど、通常時の玉持ちがほぼゼロの機種を打っていると、隣と玉を借りるタイミングがいつもほぼ同じになって、まだ上皿に半分近く玉はあるけどタイミングを考えて先に借りたり・・・アレジンを打つ頃には補給レールの付いた店がほとんどになりましたが。
台間サンドの玉貸し機からの受け取り方にも個性があり、ドラマがありましたね。500円分の玉を片手で1回で取ろうとしたら、ボロボロこぼして迷惑をかけたこともありました。
私は500円分借り、両手で一遍に取ることが多かったですね。とにかく投資を抑えたくて羽根物を打つ時は100円ずつでした。
玉を借りる際の筒状の物も、中指をあてる突起があるタイプとないタイプもありましたね。突起がないやつで片手で全くこぼさずにスムーズに玉をキャッチすることが、パチ初心者の頃は難しく、流れるようにキャッチするベテランの姿を羨望の眼差しで見つめていました(笑)
自分が行った時の設置で覚えてるのは羽物のスタジアムとパチスロのハイアップターボ
払い出し口に対策されてた思い出
ここを出すならもう一つ商店街出て(明治通りじゃない方)右にまっすぐヨーカドー(現在移転)ちょっと超えたところにある喜楽(字合ってないかも)も出してほしかった・・・平和のスーパービンゴ打ち止めにした記憶しかないけど