1990年(平成2年)に西陣から登場した旧要件デジパチ「アラシキング」
(このところ「キング」絡みの機種が続くが…特に意図した訳ではなく、単なる偶然。)
うーん、当ブログで、まだ本機を取り扱っていなかったとは…うかつだった。
「1990年」~私にとっての「パチ元年」~に登場したデジパチの中でも、とりわけ思い入れある一台だ。すでに記事を作成したつもりだったが…思い込みとは恐ろしい(前にも使ったな、このフレーズ)。
★上下二段のプロックタイプ液晶
★ワープルート搭載(ファンキーセブンの流れを汲む。ワープ位置は変更)
★賞球…7&13
★大当り確率…1/220 (1/200説もアリ)※
★図柄…0~9、V、¥、W、Σ、X、$、Y、%、Z、?の計20種類
★配列…左と中は同配列。右のみ配列が上下逆。
★有効ライン…上下段(横2ライン)
★最高10ラウンド継続
★アタッカー開放時間…約22秒(ファンキーセブンと同じアタッカー。但し、開放時間はファンキー(約19秒)よりも長め)
★出玉…2000以下~3000発以上(オマケチャッカーの釘次第で大きく変化)
※当時の攻略M誌は、本機の確率を「1/220」と表記(今回はM誌に従った)。
一方、同時期の必勝G誌は「1/200(表示上)」としている。確かに、各デジタル20図柄で上下2段OKなので、表示上は1/200となる。但し、解析資料が手元になく、正確な確率は不明。
ネットでの多数説も「1/200」だが、当時の西陣・旧要件機の大当り確率を考えると、多数説にはやや「疑問」も残る。
・マンハッタン(1/225)
・プレジデント(1/247)
・ファンキーセブン(1/235)
・ラスベガス(1/225)
・リムエイト(1/225)
・スーパールーレット(1/220)
・ルーキーNXP-2(1/225)
1990年前後の西陣・旧要件機の確率を列挙した。大半が「1/225」前後の確率であるのに対し(プレジデントは低確率だが)、アラシキングのみ「1/200」と甘いのは、不自然な気がしないでもない(実戦で、アホみたいにハマった事もあるし)。また、同時発表された「スーパールーレット」の確率が「1/220」(解析資料あり)なので、本機も同数値ではないかと推測。今後も、調査を継続する。
さて、本機との出会いは、1990年11月頃、新宿・東南口の「平和」(閉店)というパチ屋だった。
(当時の「平和」。後に何度か改装されたが、私はこの時代のネオンが一番好き。)
盤面に大きな「KING」の文字(当初「キングアラシ」と読んでいた)、ピンクのデジタル画面(見る角度で色が変わった)、白いブロック液晶、上下2段のデジタル…かなり斬新な「面構え」に興味を惹かれ、思わず腰を下ろした事を思い出す。その後も打つ度に「ツボ」にはまる感じで、すぐにこの店一番の「お気に入り」となった。
確か、この年のクリスマスも、件の「平和」に出向いてアラシキングのシマに陣取った。この日はかなり調子良く当てて、さらに裏のシマのコンチIで勝ち分を増やした。懐はホカホカ温まったが、帰路、大勢の浮かれたカップルとすれ違ううちに、心にちょっぴり隙間風が吹いた(その反動で、翌年のクリスマスは…以下自粛)。
※まさに、90年12月末の新宿…パチ屋の「ハシゴ」で行き来した東口と西口を結ぶ「地下通路」で、一人のミュージシャンが「路上ライブ」を行う映像。この人、当時よく見かけたなぁ…男っぽい声だが、確か女の人だったと思う(ミナミさんという方)。
https://www.youtube.com/watch?v=bNHUzM-EP9E
本機の主戦場は東南口の「平和」だったが、他にも、歌舞伎町・(旧)コマ劇前の「ラスベガス」(閉店)や、ゴールデン街の入口にあった「大番」(閉店)でも、本機をよく打った。私にとっての「アラシキング」は、まさに「新宿」と同義である。
土地柄、露骨にヘソの甘い台こそ少なかったが、ワープ経由でヘソに入りまくる「隠れお宝台」をたまに見つけた(ネカセも絶妙で、ワープ入賞⇒ステージ右奥⇒ヘソと綺麗に収まる感じ)。通常打ちだとサッパリ回らないが、右打ちするとワープに絡んでブン回る台も…。
そうそう、本機以外にも、「エキサイト123」(ニューギン)や「マジック7D」(大一)、「ニュートランプカード2」(京楽)、「エキサイトワープ」(ニューギン)など、一風変わったデジタルを持つ機種と多く遭遇したのが、この時期(1990年11月~12月)だった。その少し前には、ルーレットとドットの「合わせ技」が新鮮な「フィーバーボルテックスII」(三共)にも出会った。同年10月には、風営法の規則改正などもあって、業界もファンも、まさに「変化」の真っ只中にいた。
エキサイト123(ニューギン、1990年) マジック7D(大一、1990年)
(「ノット10打法」が連チャンの肝) (三方向デジタルで「デジタル酔い」を起こす人も)
ニュートランプカード2(京楽、1990年) エキサイトワープ(ニューギン、1990年)
(初のスーパーリーチ搭載機) (FL管によるカラフルなデジタルが特色)
フィーバーボルテックスII(三共、1990年)
メッセージが出るチャンスタイム5.6秒のチャッカー入賞が連チャンの鍵。
一方、90年当時の西陣は「ハネモノ」が充実していたが、デジパチでも、前年(1989年)登場の「ファンキーセブン」が依然大人気で、多くのホールで「主戦級」の活躍を見せていた。
また、90年春にデビューしたドットデジパチの「ラスベガス」も人気が高く、私自身も大のお気に入りだった(新宿・西口「ジャンボ」地下に、連日通い詰めた)。
さらに、アラシキングと同時期の「スーパールーレット」(1990年)も、ルーレットと7セグの動きが面白く、都電・早稲田駅の「三光堂」(閉店)で、授業の合間によく打った(ファンキーセブンで「ゼロパン」したのもこの店だ)。
なお、西陣は、この年に「リムエイト」(「リムジン」シリーズの後継機)というドットデジパチも出したが、私の知る限り設置率は低かった(小田急・本厚木駅「太平洋」など)。
この年に付き合った西陣のデジパチは、露骨な連チャン性※こそなかったが、何度も「逢いたく」なるような、独特の味わいがあった。
※ファンキーセブンは数珠繋ぎっぽい挙動も見せたが、解析上の裏付けはない。スーパールーレットも「ノット10打法」(アタッカーに10個入れない)で連チャンとの情報があったが、結局そのまま立ち消えとなった。さらに、本機(アラシキング)も、当初は「西陣初の連チャン機登場か?」と騒がれたが、結局はノーマルの可能性が強まった。
1990年(平成2年)にホールで活躍した西陣デジパチ
ファンキーセブン(西陣、1989年) ラスベガス(西陣、1990年)
スーパールーレット(西陣、1990年) リムエイト(西陣、1990年)
さて、今回は「アラシキング」である。
本機最大の特徴といえば、何といっても「全回転リーチ」だろう。言うまでも無く、アラシキングは全回転リーチの「元祖」で、数珠連チャン機「春夏秋冬」の全回転アクションの「原型」も、まさにここにある。
ただ、本機には全回転以外のリーチアクションがなく、いわゆる「SPリーチ」とは趣が異なる
(そもそも、京楽「ニュートランプカード2」以前のデジパチに、SPリーチは存在しない)。
それでも、元々のリーチ確率が低く(表示上は1/40)、リーチを拝むこと自体が難しかった本機。「リーチに辿り着いた」という達成感と期待感は、他機種と一味も二味も違った。
上下二段のデジタルは、しばし高速回転を続けた後、「左⇒中⇒右」の順で低速に切り替わり、下方にスクロールして停止する。高速回転中、各デジタルの動きが独立しているように見えた。
左・中がゾロ目(シンクロ)になると、リーチ発生の「チャンス」となる。晴れてリーチが掛かると、左・中・右全てのデジタルが、横並びの状態で上から下にゆっくりスクロールを開始。これが、当時としては非常に斬新な動きだった。
オーソドックスな7セグ、ドット、ドラムでは味わう事のできない、「想定外」のリーチアクションが、「何度も体感したい」と思わせる大きな魅力といえた。
但し、「横並び」とはいっても、配列上、最後までゾロ目をキープするのは「左・中」のみ。右だけが「ズレ目」の形が大半で、タテ20列のうち、3つ揃いが並ぶ部分は、わずか「2ヶ所」のみ。
それだけに、画面をスクロールしつつ3つ揃いが近づくと、テンションも自然と上がった。大当り図柄を通り過ぎても、その先にもう一つの「3つ揃いポイント」があった為、引き続き期待できた。
スクロールが停止した時に、有効ライン(上・下段)のどちらかに、3つ揃い図柄があれば大当り。上下段どちらに止まってもOKなので、やはり期待度は2倍となった。
なお、リーチ中は、盤面左右の飾りランプ(「リーチ」と書かれた部分)が点滅。また、「チャッチャカ・チャッチャカ…」という、耳に残るテンポよいBGMが流れた。同時に、デジタルも明滅を繰り返して、打ち手の興奮を煽った。
大当り中は、デジタルの背景がピンク⇒ブルーに反転。大当り中に流れるメッセージ(「ヨッ、日本一」など)や、メインキャラの怪しげな「ロボット」の動き(V入賞時にバンザイする)も、チープながらインパクト十分だった。
さて、本機を語る上で忘れてはならないのが、「左・中ゾロ目出現⇒右ビタ止まりハズレ」という、本機を打った人なら誰もが体験した、あの口惜しい現象だろう。
先程も書いたが、「左・中」とゾロ目で並んだ瞬間は、あくまでリーチ発生の「チャンス」に過ぎず、必ず(全回転)リーチアクションに繋がった訳ではない。
せっかく左・中がシンクロしても、何事もなかったかのように、右デジが「即止まり」でハズれてしまう事が、少なからずあったのだ。
只でさえリーチが掛かりにくい本機で、その「前兆」ともいえる「左・中ゾロ目」を察知したのに、あっさりと「流されて」しまうのは、やはり勿体なく思えた。
実は、左・中ゾロ目の時にリーチアクションが起こるか否かは、「右デジの停止出目パターン」に左右された。
但し、これを説明するには、本機の「配列」に触れる必要があろう。
ご覧のように、左と中のデジタルは図柄が全く同じで、並び(配列)も同じだ。
一方の右デジタルは、図柄こそ左・中と同じだが、並び(配列)は上下が逆である。
この特殊な配列によって、左・中ゾロ目時の右出目パターンは、以下の「A、B」に分かれる。
即ち、タテ20列のうち、3つ揃い(ゾロ目)が2つの「Aパターン」と、3つ揃いの箇所が1つもない「Bパターン」(右)だ。
なお、上記A、Bは各パターンの「例示」に過ぎず、実際には右デジの図柄20通りに応じて、Aパターンが10通り、Bパターンも10通りとなる(右デジが1コマずれる毎に、A・Bが切り替わる)。
大当りの場合、3つ揃い図柄が必ず有効ラインに停止するので、「Aパターン」を経由する。
しかし、「左・中ゾロ目で右ハズレ」の場合は、A、Bいずれの停止パターンもあり得る。
もし、Bパターンの時にリーチアクションが起きると、全回転スクロールがいくら続いても、絶対に3つ揃いは現れない。言い換えれば、大当り図柄を含まない「カラリーチ」になってしまう。
これは演出上不都合なので、左・中ゾロ目のハズレがBパターンの場合はリーチとみなさず、単なる「ハズレ目」として、右デジも即止まりで処理する訳だ。一方、Aパターンの場合、3つ揃いとなる部分が必ず2ヶ所あるから、リーチになっても演出上問題はない。つまり、リーチが発生するのは、Aパターンの出目が停止する場合に限られる。
一方、内部的にBパターン(10通り)の右出目を拾った場合は、左・中がゾロ目でもリーチには発展しない。また、リーチアクションなしで、いきなり大当りする事も絶対にない。
まぁ、以上の事は、今さら知ったところでどうでもいい情報だが…。
ともかくも、左・中ゾロ目の瞬間は、「このままスクロールが続いて、リーチに発展しろ」と願う他はなかった。
ノーマルリーチ主体の時代に全回転リーチは衝撃をうけました。
西陣の台はリーチスタート位置がランダムで、しかも1周半程度と短めなので止まりそうな位置が予測できたのが好きでした。場合によっては当たるチャンスが2倍あるパターンとか、リーチ開始時点で大当たりが確定するタイプの機種もあったりして。
当時は表示デバイス乱立期なのか、LEDや液晶以外にも色々あって面白いですね、もうそういう装置自体を生産していないでしょうから貴重です。
Fボルテックスで思い出しましたが、肝心の回転ルーレットがステッピングモーターでなく、第一停止なのが残念でしたね。何のための回転体なんだと思ってました・・
ファンキー7はたしか大当り判別法が合った様な気がします。リーチ掛かる瞬間の一瞬見える
中出目が停止するだったかな?
石橋氏は無茶苦茶回る台に座り、大当たり終了後の上皿で100回回ったことがあるとか書いてましたね。
当時の西陣は、管理人様の仰るように、特に羽根物に強かったメーカーですがデジパチも頑張ってましたね。
羽根物の衰退に合わせるように西陣も衰退していっているような気がして残念です。
リーチが個性的な台でした
「おい!2つ揃ったのにリーチにならねーぞ!」
なんて言ってる人がいっぱいいました
もちろんエキサイト123も大好きでした
春夏秋冬よりこいつの続編を待ってたんだがなぁ
中古の台が相当手に入れにくいらしい
春夏秋冬のスーパーリーチ当初はアラシキングリーチと呼ばれる事もあったような・・・
「リーチになれ!」
と願う愉しみは、この時代ならではの演出ですね。
このリーチアクションって、数年後に同じく西陣から発売された「ビバシティ」の全回転に通じるものがあると感じましたが、いかがでしょうか?
管理人様が主戦場となさっていた「平和」にも設置されていましたね。
いつ外されたか思い出せないのですが…。
実機と動画が現在どこにも見当たらず、淋しい限り。
私の大好きな機種なので、僭越ながら当ブログで触れていただけることを願います。
私の記憶では、石橋氏がアラシキングを打ち、対戦相手が今も現役誌上プロの安田一彦氏だったと記憶しています。で、安田氏が打ったのはフィーバーボルテックスⅡ。
この時は下見1日の勝負だったため、当時の安田氏の強み“縦の比較”が使えず、またボルテックスⅡのチャンスタイム中に戻り玉する等連チャンもうまく獲れず、良く回る台を打った石橋氏が勝利したはず。
石橋氏がボルテックスⅡを打ったこともありましたが、この時は単独13時間デスマッチでした。
また。対戦物では大阪の伊藤プロ(今は何してるんだろう??)と対戦したこともありましたね。
この時は、石橋氏はマルホンのジョーカー、伊藤氏が大一のフルーツパンチで、伊藤氏の勝利でした。
まだまだ他にも記憶にはありますが、間違っていたら申し訳ないです。実物がないので確認までは出来ません。
あの頃のG誌は面白かったな~・・・金角銀角のバカバカしいコーナーも大好きでした。景品がパンティーのゲーセンパチンコを打つ!!とかありましたね。今手元にその時の本持っている人いませんかね?
管理人さんはどうなんでしょう??