1990年(平成2年)にマルホンから登場した一発台(普通機)「タイムリー」
’90年後半から’91年前半にかけて都内でチラホラ見かけた、旧要件末期の一発台。新要件機の普及により、ホールから姿を消すのも、かなり早かった気がする。
当時、マルホンの一発台といえば、ミュージック、キャラバン、マリーナ、メガトン、エイトマンなど個性的なセンターヤクモノを有するタイプが多かった。
一方の本機は、派手なヤクモノなど全く使わず、「8」と書かれた赤いセンターチューリップや、ソデや下段のチューリップなど、いかにもオーソドックスな「チューリップ台」という感じだった。
しかも、上の画像のように、大当りしてセンターチューリップが開けば見栄えもするが、通常時の「8チューリップ」は、ピッタリと閉じた状態だ。普段シマに並ぶ本機を見ても、「地味」な印象ばかりが目立った。言葉は悪いが、台が「死んでいる」ような感じさえした。
初打ちした時には、これがキャラバン、ジャスティ、スターライト、フェアリーなどと同じ「一発台」とは、到底思えなかった。閉じたセンターチューリップの「8」の文字を眺めつつ、「果たして、どんな仕組みの台なのか」と疑問に思ったものだ。しかも、肝心の命釘をなかなか抜けてくれない辛さ。
だが、何度か打ってようやく大当りすると、貝のように閉じていた「8チューリップ」がパカッと開き、チューリップの先端にぶつかった玉が、意外なルートで「in」チャッカーに飛び込んで、下段チューリップとの連動で出玉がモリモリ増えた。通常時の地味さとは打って変わって、大当り中は、実に「アクティブ」な盤面の動きをみせた。
こうした一発台特有の釘調整や玉の動きは、一種の「芸術」ともいえただけに、返す返すも、1990年10月の規則改正⇒翌年・一発台撤去(新要件機登場)の流れは残念だった…。
★賞球…オール13
★本来は普通機だが、「完全一発型」(定量制)として使うホールが大半。
★当時の設置店…新宿・歌舞伎町「日拓III」、巣鴨駅北口「ニュー太平」「イブ」など
★ゲーム性
天横の命釘を抜けた玉が、内側のゲージを伝って、「in」チャッカー(上)に入れば大当り。
大抵のホールは、「in」真上の二本釘をこじ開けて、天横を抜ければ大当りとなる「完全一発調整」だったが、中には二本釘を狭くして、命釘を抜けても「in」の手前で外に逃げる、「振り分け調整」の店も存在した。
「in」チャッカー(上)入賞で、真下の赤いセンターチューリップ(8回開き)が開く。
右打ち不要調整の場合、開放したセンターチューリップの左先端に当った玉が、左サイドの縦3本釘にバウンドして内側に戻り、チューリップ下にある「in」チャッカー(下)に、頻繁に飛び込むようになる。右打ち調整の場合、チューリップ右先端のルートから「in」に入る。
なお、センターチューリップは8個入賞で閉じるが、一発調整なら入賞(パンク)はない。
その後は、「in」チャッカー(下)と、最下段にある3つのチューリップの連動で出玉を増やす。当時の新宿「日拓III」では、本機は完全一発調整で、「4000発定量」となっていた(3円交換)。一発来れば12000円。投資の上限は大抵4000円程だったが、当る時は当たった。
しかし、当時の12000円は、自分にとってホント「大金」だった。故・田山プロ風にいえば、一度当たっただけでも、「天下を取ったような気分」になれた。財布に10000円以上入っているだけで、何となく安心感があった(ハネモノなら、2~3000円で十分の時代だったし…)。後に、カードでパチンコを打つようになってから、万札の価値もクッと下がってしまったな…。
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当時の一発台ならある程度は知ってるつもりだったんですがね、タイムリーとかって名前聞いた事すらないですよ(^_^;)
ぱっと見た感じだと、ぶっこみ狙いと弱め打ちでは、だいぶ入賞率に差が出そうな感じですがどうだったのでしょう。
個人的には弱め打ちが嫌いで、当時はよっぽどのことが無ければ基本はぶっこみ狙いで打ってました。逆に言うとぶっこみルートが優遇されている素直なゲージの機種が好きです。現代のパチンコ機は、どこを狙って打てばいいのか分からず、困ってしまいますね。