~はじめに~
今般の熊本・大分を中心とする九州地方の地震により、
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げると共に、
被害に遭われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。
被害甚大で余震も多く、天候も不安定な現況に鑑みて、
更新の当面の「自粛」も考えましたが、むしろ、こんな時こそ、
いつも通りにレトロ情報を皆様に発信して、元気を取り戻す
一助になれば…と、記事掲載を決めた次第です。
そんな訳で、今回は、コチラの懐かしい機種を振り返ります。
1991年(平成3年)に奥村遊機から登場した、
初期・新要件ハネモノ「いらっしゃい」
「たこ焼き(屋)」をモチーフにした、ユニークなハネモノ。
当時の「たこ焼き」モノといえば、三共から出た旧要件ハネモノ
「タコヤキSP/DX」(1990年登場)が、多くのファンに知られていた。
(三共「タコヤキSP」のヤクモノ)
コチラは、鉄板を模したステージ上の6穴に、玉がスッポリと収まったり、
穴から勢いよくジャンプした玉が、Vにアプローチしたりといったコミカルな挙動が、
ハネモノファンに支持された。ヤクモノ奥で左右に回転するオヤジキャラも特色。
まさに、旧要件末期の「名機」といえよう。
本機は、この「三共タコヤキ」が出た約1年後、新要件初期に当る、1991年の秋頃に登場。
時系列的に見て、三共タコヤキに、何らかの「インスピレーション」を受けた台と思われる。
賞球は「5&10」と控えめ。ただ、その割に、さほどV入賞率が高くない印象も残る。
スペック上、店としては釘をアケ易かったと思うが、肝心のV入賞率は、ヤクモノの
「クセ」(デキ)に、大きく左右されたのも事実。
その為、同じシマに通っていると、頻繁にVを射止めるような、「お宝台」に気づく事もあった。
因みに、同時期に出た兄弟機「いらっしゃい2」は、賞球「7&13」で出玉が多い反面、
ハネ開閉時間がやや短めで、V入賞率は、本機よりも抑え気味になっていた。
奥村「いらっしゃい2」
(1991年登場の兄弟機。賞球や盤面に加えて、ヤクモノキャラも異なる)
本機のヤクモノ奥では、やたら愛想のよい、鉢巻き姿のオッチャンが待ち構える。
(兄弟機「いらっしゃい2」を仕切るのは、もっとベテランで高齢と思しきジイサン)
この、いかにも「テキ屋」風なオヤジが、手元(と足下)の鉄板で、名物タコヤキを焼いていた。
「一皿、300円」。地域や個数にもよろうが、今の相場と、さほど変わらない気もする。
左のハネから入った玉は「ソース味」、右から入ると「しょうゆ味」に仕上げてくれた。
また、「特大タコ入」とあるように、具材サービスもバッチリの、太っ腹なオヤジ。
(但し、当時のテキ屋は、このテの謳い文句を、見事に裏切るパターンも多かった)
それから、本機は、ヤクモノが「上下二段構造」になっていたのも、大きな特徴だ。
この点、一層構造だった三共・タコヤキとは、大いに異なる。
ハネに拾われた玉は、まず、上段手前のステージを奥に転がり、
最奥部のオヤジが握る、小さな「鉄板」の上にアプローチする。
画像だと、鉄板の存在に気付きにくいが、オヤジの手元では、「手前、奥」と
タテに2穴の開いた鉄板が、左右それぞれの手に、しっかり握られていた。
(因みに、オヤジの手前で、横に4つ並ぶ緑の穴は飾り)
この鉄板の各穴(計4つ)が、通常時、大当り時ともに、ヤクモノの玉を「一時貯留」した。
但し、上段の鉄板は、「タコヤキ器」というよりも、「今川焼」(回転焼、大判焼)の鉄板とでも
言うべき構造だった。即ち、ハネ開閉後、中心を軸に、外側へクルッと返る動作を、一定間隔で
二回繰り返したのだ。よって、一時貯留された玉も、鉄板の回転と共に、下段両脇に落ちる。
いわば、タコヤキの「第一工程」が終わって、出来たネタが下段に落ちる…といった感じだ。
その下段ステージは、一応、タコヤキの鉄板を模していて、「奥4つ、手前1つ」と、
穴が5つ開いていた。三共・タコヤキに因んだ構造だが、穴の配置と数は全く異なる。
まぁ、前後で穴の数が異なるたこ焼き器は、あまり「オーソドックス」とはいえまい。
(本機…奥が4穴、手前センター1穴の、計5穴。三共タコヤキ…奥3穴、手前3穴の、計6穴)
いずれの穴も、三共タコヤキ同様、内部に「突起」が仕込んであり、通常時、下段の各穴に
入った玉は、可動する突起の力で外に押し出されると、そのまま手前に転がり、手前中央の
Vゾーン、或いはV両脇のハズレに入る仕組みだ。
もしも、上段で鉄板の各穴に一時貯留されると、下段に落ちた後、奥側の両脇2穴に入り易い。
但し、この2穴から押し出されても、真っ直ぐ手前に転がる事が多いから、大半は、V両脇の
ハズレに取られてしまう。
一方、上段の鉄板が外に返っていないタイミングで、左右の鉄板の間にうまく乗った玉は、
鉄板の間のミゾを伝って奥へ転がって、オヤジの手元に到達する。その手元から真下に
落ちると、下段ステージ中央奥から、手前V方向に真っ直ぐ戻ってくる。こうなれば、進路上の
V手前にある一穴に入り、中の突起に押し出されて、Vを射止める可能性が高い。
なお、両鉄板の間の「ミゾ」が広い程、玉が安定して大当りし易い…という、クセの良し悪しも存在。
つまり、初当りにおいては、上段で鉄板の各穴に取られずに、両鉄板の間に乗って、
オヤジの手元を経由した後、下段奥から手前に真っ直ぐ戻るのが、王道パターンとなった。
但し、ヤクモノに玉が複数入った場合、上段の一時貯留玉が下段両脇に落ちてハズレ濃厚でも、
下段奥の穴に入った玉が押し出された後、互いにぶつかり、角度を変えてVに決まる事があった。
また、下段各穴の内部の「突起のクセ」がいいと、ハズレ易いはずの奥側の両脇2穴から
押し出された玉が、なぜか中心方向に転がって来て、Vに入るケースが増えた。
レアケースではあるが、こういうお宝台に巡り合うと、初当り率もV継続率もアップした。
逆に、王道である「上段センタールート」(鉄板の間に乗るコース)でも、クセ悪だと、オヤジの
手元に向う途中、玉の勢いがなくなって、手元に辿り着く前に鉄板がクルッと回ってしまい、
そのまま下段両脇に持っていかれて、Vをハズすケースが増えた。
それと、これもクセ悪だが、折角オヤジの手元から落下しても、下段で玉が左右に流れたり、
V手前の穴に入った玉が、突起に押し出された後、フラッとVを逸らしてしまう事があった。
これは、「穴の突起のクセ悪」ないし「下段ステージの傾斜」などによる。
首尾よく大当りすると、オヤジが手に持つ上段の「今川焼」チックな鉄板が、ハネ開閉に
合わせて「外に裏返る⇒元に戻る」動きを繰り返す。すると、鉄板の穴に一時貯留された玉は、
鉄板がひっくり返る度に下段に落ちる。
また、大当り中は、下段ステージの穴の突起も、貯留解除まで引っ込んだままとなる為、
下段の各穴に、最大5個まで貯留可能となる。
その後、ヤクモノ9カウント後、又は15回ハネ開閉後、貯留は全解除。
この時、下段ステージV手前の一穴(センター穴)に貯留があれば、解除時に手前に
押し出された玉がまっすぐVに転がって、比較的容易に継続できた(クセ悪を除く)。
ただ、手前の一穴に入れるには、奥4穴のうち、内側2穴へ貯留させる事が大切だったから
(この2穴が埋まると、手前穴に貯留し易い)、大当り中、下段に落ちた玉が内側の2穴に
貯留しづらいと、継続率は一気に低くなる。
また、先述の通り、手前穴の「突起のクセ」が悪いと、貯留解除後、手前穴から
Vに転がった玉が、あっさりVを外してパンクしてしまう。
概して継続率は良好だったが、たまたま当った台が、こういうクセ悪だと苦労した。
なお、大当り時は、当時の大ヒット曲「踊るポンポコリン」や、往年の名ナンバー
「およげ!たいやきくん」を彷彿とさせる、華やかなBGMが流れたのも、印象深い。
★当時、奥村「いらっしゃい」を打ったホール
(C)google/ストリートビュー
小田急線・向ヶ丘遊園駅(南口)の改札左手奥にあった、「プラザ」跡地。
後に、「ハトヤ向ヶ丘遊園」となったが、既に閉店して、現在は、レンタルビデオの
ツタヤが入っている。
そういえば、当時、向ヶ丘遊園駅の南口改札前では、香ばしいテキ屋の兄ちゃんが
しょっちゅう屋台でタコヤキを売っていたから、遊園で一勝負した後、小腹が減ると、
ここで1パック買ってから、近くのベンチに座って、軽食タイムを取ったりした。
因みに、本機が置いてあった時期、「プラザ」には、スロ2号機「リバティベルIV」の
青パネルが置いてあり、まだしっかり5G連していたから、安銭で美味しい思いもした。
(C)Google/ストリートビュー
新宿駅西口・大ガード手前にあった、「ニューミヤコセンター」跡地。
現在は、パチンコ「カレイド」が入った、綺麗な商業ビルに変貌。
ニューミヤコは、チューリップ台(平台)、ハネモノ、デジパチ、権利物、一発台と、
機種の種類も台数も豊富で、新宿という立地にしては、良心的な営業をしていた。
また、店の奥には、コンビニと見まがうほど充実した景品陳列コーナーがあって、
ハネモノやチューリップ台で500~600発程度しか出なかった時でも、
文庫本やCD、お菓子にレトルト食品など、その時々に必要だった品に代えた。
それと、自分はタバコを吸わないが、この店は、ドル箱を置く手元のレールに、
タバコの吸い殻を入れる丸穴が、ダイレクトで開いていたのが、妙に印象に残る。
また、換金所の場所が、店からエラく遠く離れており、探しにくかったのも思い出深い。
因みに、本機が入っていた91年末、スロではアポロン(北電子)の白パネルが
入っていたのだが、なぜかいつも満席で、なかなか打つ機会に恵まれなかった。
その為、当時、近場の歌舞伎町などで出回った、「5連アポロン」かどうかは、今も不明…。