※文末に「追記1」あり(えむさん)
※文末に「追記2」あり(クリクリさん)
※文末に「追記3」あり(クリクリさん)
1992年(平成4年)に平和から登場した新要件ハネモノ「南国のさかなやさん」
★賞球…7&13
★最高15ラウンド継続
★大当り中、役物の女の子が担ぐ「天秤」の左右の桶に2個づつ、及び足元に1個貯留。
★平均出玉…約700個(平均継続回数は9回程度)
★当時の設置店…ピーアーク谷中、ピーアーク溝の口、ピーアーク南行徳など、ピーアーク各チェーンに限定導入。
攻略誌「P術」※、パチンコメーカー「平和」、そして首都圏チェーン「ピーアーク」のコラボレーションで誕生した、異色のハネモノである。
(※とある事情で誌名は伏せる。なお、実名入りのコメ、伏字の理由を詮索する類のコメは、全て「非公開」扱いとするので、ご了承を…)
当時、「ピーアーク」各店に設置された本機は、盤面下部に「ピーアーク」のロゴが入っていた(画像参照)。「FISH」のロゴが書かれた別セルも存在するが、同チェーンではブランドロゴ入りの台でアピールした。
1990年(平成2年)夏、「P術」月刊化(それまでは隔月刊)の記念イベントとして、「ファンが創る夢のパチンコ台」という、業界初ともいえる誌上企画が行われた。
「あなたの考案した台が平和からデビュー」の謳い文句で、読者自身が考えたオリジナル台のアイディアを基に、老舗メーカーの平和が実機を開発する、というものだ。
優勝者には、オリジナル台を実機化して貰える他、賞金20万円とサイパン旅行も贈られる。さらに、開発台がヒットした場合は、平和から別途「報償金」も出るとされた。
応募対象の機種は、一応「デジパチ、ハネモノ、権利物」の3ジャンルだったが、従来機と異なる「新ジャンル」の台のアイディアでも、全くOKだった。
募集から約2か月の間に、およそ200通のアイディアが読者から寄せられた。しかし、ちょうど時を同じくして、風営法の規則改正が行われた為(’90年10月)、パチンコ台の基準そのものが大きく変わってしまった(賞球数、継続ラウンド、電動チューリップ搭載など)。
そこで「P術」は、’90年秋に企画の「二次募集」を開始する。また、首都圏に展開する有名チェーン「ピーアーク」が、同企画で開発した新台を、各店舗に設置する事も決まった。
二次募集は’90年冬に締め切られ、応募総数はさらに増えて約600通となった(一部資料では「8000通を超えるアイディア」とされるが、実際の誌面では「600通」となっている)。
翌’91年春、厳正な審査の結果、関東在住の男性(学生)が考案した「魚屋さん」というハネモノが、最優秀作品に選ばれた(「P術」の誌上でも、表彰式の模様が報じられた)。
さっそく、平和はこの作品をベースに実機の開発に入り、’91年夏には、「南国のさかなやさん」という機種名と盤面デザインが決定した。
その後、1992年1月に、待望の実機が東京足立区「ピーアーク谷中店」に初導入された。
(同時期に放映された、テレビ朝日系情報バラエティ「素敵にドキュメント」(MC:逸見政孝)のパチンコ特集でも取り上げられた)
企画スタートから実機のホール登場までに、実に「1年半」もの長期間を要した事になる。
ここで、当初の原案「魚屋さん」から、実機の開発段階で大きく「路線変更」した箇所がある。
それは、役物のメインキャラが、「男性」から「女性」に変更されたという点だ。
もちろん、このキャラ変更に伴い、機種名も「魚屋さん」から「南国のさかなやさん」に変更された。
読者考案の「魚屋さん」では、「一心太助」を思わせる江戸っ子的な男性キャラが、魚を入れる桶を両肩に担ぐという設定になっていた。
だが、女性や若者をターゲットと考えた平和は、原案のままでは、「男の魚屋」という平凡なキャラが想起されやすいのではないか、と憂慮した。そこで、さらなる一ひねりを加えて、「南の島に住む若い女性が、魚桶の付いた天秤棒を担ぐ」という、より明るいイメージで、しかもアピール度も強いキャラに変更したのだ。
但し、「役物キャラが担ぐ左右の桶に、玉を貯留する」という原案の設定は、ほぼそのまま活かされた。当時の平和の開発部長(K岸部長)によれば、この「天秤に貯留する」という独創的なアイディアこそが、受賞の決め手となったという。ここに手を加えてしまっては、原案の個性が完全に失われてしまう以上、当然の判断であろう。
因みに、本機の大当り中は、左右の桶への2個貯留(計4個)の他に、キャラの足元(股の間)にも玉を1個貯留する。これは、原案にはなかったアイディアである。ハネモノの老舗・平和ならではの「プロの発想」といえよう。
さて、上記した本機完成に至る話には、実は非常に面白い(関係者にとっては笑えないが)「オチ」がある。
それは、同企画にハネモノ「魚屋さん」で応募して優勝を勝ち取った当の男性が、「現役の高校生」だったという事だ。
18歳未満の遊技を禁じているパチンコの企画に於いて、これは流石にマズい。
あくまでも、「アイディア」を出すだけだから、18歳未満でも問題ないと判断して応募を受け付けたようだが、よりにもよって、「最優秀賞」がその高校生だったというのは、主催側も予想外だったに違いない。
しかし、普段から我欲丸出しで「パチンコ浸け」となっている大人よりも、純粋無垢で頭も柔らかい中高生の方が、遥かに発想力豊かで、独創的なアイディアを持っていたともいえよう。
そういえば、同じ平和のハネモノ「ザ・トキオ」のタワー止め攻略を「必勝G」誌に売り込んだのも※、関東在住の高校3年生(Yさん)だった(同誌90年2月号掲載)。但し、Yさんの場合は、その後まもなく高校を卒業して18歳になった為、翌91年2月の同誌「オリジナル攻略大賞」(オリ攻大賞)の表彰式では、実名・顔写真入りで紹介された(小当り賞10万円獲得)。
※末井昭・著「パチプロ編集長」(光文社)によれば、電話でトキオのタワー止め攻略を売り込んできた高校生がいたので、実際にホールで打たせてタワー止めの効果を確認した後、3万円を渡して攻略ネタを買い取ったという。この点について、スエイ氏は「本来なら20万円以上の価値はあるのだろうが、高校生に大金を渡すと教育上よくない」という、実にコミカルな説明を加えている。
しかし、「魚屋さん」の方の高校生は、折角の「栄冠」を勝ち取りながらも、親バレが嫌で個人情報の公開を悉く拒否。結局、「P術」が実機開発後に予定していた様々なイベントも、全てが「お流れ」になったとか…。関係者にしてみれば、時間と労力をかけた割には、なんとも消化不良で歯がゆい展開となってしまった。
おっと、実機開発に至る「背景」ばかりにスポットを当てて、肝心のゲーム性の説明を忘れていた。
役物内では、エキゾチックなピンクの南国衣装に身を包んだ女性が、「ヨッコラセ」という感じで「天秤棒」を肩に担いでいる。この天秤の両端は、(獲った魚を入れる為の)オレンジ色の桶になっている。
因みに、ヘソのセンターチャッカーにも、女性キャラのデザインがあしらわれていて、チャッカー入賞のたびにキャラの両腕が上下する(落としチャッカーは、入賞毎に魚が上下する)。ただ、これらの動きは単なる盤面の「演出」に過ぎず、チャッカー入賞率は何ら変わらない。
通常時、魚をかたどったハネに拾われた玉は、上段ステージを奥に転がり、下段に落ちる。
この時、上段の左右奥に行った玉は、女性が持つ天秤の桶に入った後、そのまま下段ステージに落下して、ステージ左右脇を手前に直進する。残念ながら、このルートで大当りする可能性は、限りなく低い。
一方、上段ステージで中央奥から落下した場合は、女性の胸元を通り、足元(妙にガニマタになった股の間)の「GO」と書かれた貯留スペースにいったん収まる。すかさず、股の間から魚が顔を出して、貯留された玉を手前Vゾーンに向かってポンと押し出す。大当りの「王道」となるのは、この中央ルートである。但し、貯留スペース中央には「スリット(溝)」が入っており、この溝にうまく収まらないと貯留が安定せず、解除後に玉が真っ直ぐ進まずにVを外すケースも増える。特に、そういった傾向の強い「クセ悪台」もあった。
大当りすると、左右の桶にストッパーが働き、桶の中に玉を2個づつ計4個貯留する。但し、桶に貯留された玉は、解除後、ほぼ確実にハズレ穴に入る。
一方、左右の桶に加えて、大当り中は女性の股の間にも1個貯留される。股の間の貯留玉は、解除時に通常時と同じく「魚のアシスト」を受けて、真っ直ぐ手前に押し出されてVゾーンに向かう。ここへの貯留があれば継続の可能性が高いが、もちろん、貯留状態や役物のクセ、そしてネカセなどがV継続率を左右する。
因みに、貯留解除のタイミングは、「ハズレ1カウント後、若しくはハネ11回開閉後」となっている。先述の通り、左右の桶に入った玉がV入賞する可能性は、限りなく低い。あくまでも、股の間(どうも表現がいやらしいな…)に貯留された1個の玉が、解除後に下段中央を手前に転がってVに入るのが、典型的な継続パターンだ。
両サイドの「2×2個貯留」とセンターの「1個貯留」がある為、ハズレ1カウント前に5個貯留するのは比較的たやすい。但し、センター貯留が解除時にVを外してしまうと、以降は貯留が一切働かないので、パンクの可能性が一気に高くなる。
なお、天下にはドットデジタル画面も付いており、大当り中は役物への入賞総数を、3桁の数字で表示するようになっていた。
(平和ハネモノ「南国のさかなやさん」の項、了)
★追記1★(2014.10.7、えむさん)
コメントどうもです。「ピーアーク」になる前の古い商号が「辰巳」(1980年創業)でしたね。足立・竹ノ塚の「ピーアーク竹ノ塚」(かつての辰巳の本拠)は、1990年の時点で「パチンコ辰巳ジョイタイム」の店名で営業していました。一方で、1990年開業の「ピーアーク溝の口」は、最初からピーアークの名前で出店しています。
なお、「ピーアーク(P-ARK)」とは、「パチンコ」を表す「P」と「方舟(はこぶね)」を意味する「ARK」を融合した言葉で、1988年に当時の辰巳が打ち出した「ピーアーク構想」という営業展開の戦略に基いたものです。
その後、「辰巳」と「ピーアーク」が併存した時期もありましたが(環七沿いの「ピーアーク」の向いで「辰巳」が営業していたり…)、1991年に辰巳からピーアークへの正式な「商号変更」※が行われています。
(※商号変更の時期はピーアークの公式HPで確認できます。こういう風に、自社の屋号の歴史(変遷)を、HP上で正確に公開してくれる会社は好感できますね。中には、2000年以降に使い出した新しい屋号を、さも昭和の昔から使っていたように装う、極めて不誠実なチェーンもありますから。)
なお、えむさんが本機を打った越谷蒲生の店(「辰巳」⇒「ピーアーク越谷」に屋号を変更。但し、本機設置の時期は商号変更から間もなく、一部店舗ではまだ「辰巳」の屋号を使っていたかもしれません)は、2005年3月頃に閉店したという事です。
(追記1、ここまで)
★追記2★(2014.10.15、クリクリさん)
コメント、有難うございます。うーん、「ガイド兄弟誌」で活躍する「Y氏」が、どの雑誌の誰の事なのかピンと来ない為、回答が難しいですね…。もう少し情報を頂けると、有り難いのですが。
因みに、タワー止めでオリ攻小当りを受賞したYさん(埼玉の吉〇氏)は、応募した時点では高校生(⇒タワー止めが初掲載されたG誌の「90年2月号」は、平成2年1月7日発売なので、Yさんの応募時期は平成元年11~12月頃と思われる)でしたが、オリ攻受賞時(授賞式は平成2年12月に行われた)は高校卒業後なので(これはYさん自身がコメントしています)、ガイドに出ていた顔写真も、おそらく本人のものではないでしょうか(ハチマキ姿でニコニコしながら、賞金の10万を手にしてましたね)。
(追記2、ここまで)
★追記3★(2014.10.16、クリクリさん)
コメント&追加情報、有難うございます。なるほど「監督」でしたか、思わず「あー、あの人か」と声を上げてしまいました。早速、彼が金角・銀角を初担当した「ルーキーズ93年12月号」の旅打ちコーナーで、顔写真入りの紹介欄を見返しました。タワー止めの彼と似ているか否かは…(以下、自粛)。なお、同号スタッフ欄には「米〇〇明」のクレジットがあります。一方、タワー止めの受賞者は「吉〇」さんで、やはり別人物かなーという印象です。
オリ攻の受賞者、よくご記憶ですね。初代大賞(ドンスペ)は、仰る通り「F」さんでした(静岡・福〇さん)。ドリームXは愛知の夏〇さん(サングラスが印象的)。第2回大賞(キャスター永久連チャン)は若い女性でしたね(大阪の和〇さん。銀玉親方が副賞のトロフィーと金の杖を授与)。この時代のG誌のノリ、ホントいいですよね。
※一定時間経過後、引用した名前は一部伏字にさせて頂きます。ご了承下さい。
※一定時間経過の為、名前の一部を伏字にしました。
(追記3、ここまで)
ホールのタイアップは最近でもダイナムの専用機がありますね
いろんな店にチラホラ入ってますがスペック辛いんで手を出してない
トキオのタワー止めは情報10万で買うか?と言われたことがあったが10万ではちょっとキツい攻略法でしたね・・・買わなくてよかった
蒲生辰巳は羽根物からデジパチ移動おkのシマがあったりして結構好きだったんですが手癖の悪い二人組のババアがいてあまり行かなくなった
駅の反対側に非常に寂れた店があってとんでもない釘の羽根物とか(一発台クラスの釘の曲げ方)釘が全く曲がってない1300発仕様のニュービッグセブンがあったり絶対勝てないですがネタにはなったな
さて、今回の記事中に出てくるTOKIOタワー止め攻略をガイドに送ったY氏と、後にガイド兄弟誌で活躍するY氏は同一人物なのでしょうか?
TOKIOタワー止め攻略がオリ攻小当たり賞を受賞してから数年後にY氏が誌面に登場したときに顔がそっくりだったので不思議に思っていたのですが、高校生の写真を誌面に載せるとまずいので当時から編集部にいたY氏の写真を使っていたのかなと解釈していたのですが・・・
まあ、他人のそら似で勝手な思い違いかもしれませんが・・・
さて、ガイド兄弟誌で活躍したY氏とは金角銀角氏の旅打ちを担当したY監督です。
先日コメントしてから顔を思い出すと、若干顔が違うかな・・・と思ったりして・・只、両者天然パーマ風ヘアスタイルだったり、優しげな顔つきだったり共通点は多いです。
当時はパチンコに関する情報も少なかったですし、私自身はパチンコへの興味が泉の如く湧いている高○生の頃でしたので、月一回発行のガイド誌を1ヶ月間、何度も何度も穴が空くほど読んでいました。
ですので、記事の事は今でもかなり覚えていて、初代オリ攻大賞受賞者(ドンスペ単発)F氏(?)や小当賞受賞者(ドリームX朝一保留玉1/50)の方、2代目オリ攻受賞者(キャスター永久連チャン)等の方々の顔も鮮明に覚えています。
パチンコ自体も熱い時代でしたしね。
①将棋の駒をモチーフにしたフィーバー機で、金図柄のリーチは、『と』でも大当り
②16Rの出玉性能が、かえってハネモノを駄目にすると思ったので、8R目の役物動作を通常と同じにして、自力入賞でしか継続しない仕組み。
③権利獲得に2回開きチューリップを使った一発台タイプの権利物。
一部はその後、実際に登場しています。人の考えることは同じなんだと思いましたね。