昨晩配信されたYahoo記事によると、映画監督の鈴木清順氏が今月13日、
慢性閉塞性肺疾患の為、都内の病院にて逝去されたという。享年93歳。
代表作は「ツィゴイネルワイゼン」(1980)、「夢二」(1991)など。
監督業の他、役者として映画、ドラマの出演も多数。「白ヒゲにメガネ」の
飄々とした風貌は、一度見たら忘れられぬほど、強烈なインパクトがあった。
かの「斉木名人」も出ていた「美少女仮面ポワトリン」では、神様役を怪演。
前回記事では「パチンコ・グラフィティ」(1992にっかつ、主演・布川敏和)
というVシネマについて軽く触れたが(「銀次郎」絡み)、同作の舞台である
パチ屋に連日通う、個性溢れる常連を演じたのが、他ならぬ鈴木氏であった。
単なる偶然とはいえ、不思議な宿縁を感じずにはいられない(なお、同作は
1990年公開の松竹映画「パチンコ物語」に対して、ライバルのにっかつが
対抗心を燃やして制作したのでは、と推測。無論、パチンコブームもあろう)。
それから、今回の訃報に接する前、もともとアップする予定だった記事が、
実は「33年前のTV番組」という内容だった。1984年(昭和59年)2月の
日曜夜7時台に首都圏で放映された番組をリストアップしたもの。中でも、
私が当時もっとも好んで視聴したのが、NHKで毎週19:30からOAされた、
「クイズ面白ゼミナール」だった。司会は、当時、同局の名物アナだった
鈴木健二氏である。そして、その健二氏の実兄こそが、鈴木清順氏なのだ。
以下は、当時の番組リスト。
(1984年2月12日(日)、19:00~20:00に首都圏で放映されたTV番組)
・NHK総合
19:00~ニュース、天気 19:20~クイズ面白ゼミナール
・日本テレビ
19:00~びっくり日本新記録 19:30~すばらしい世界旅行
・TBS
19:00~新アップダウンクイズ 19:30~ザ・チャレンジャー
・フジテレビ
19:00~さすがの猿飛 19:30~牧場の少女カトリ
・テレビ朝日
19:00~世界一周双六ゲーム 19:30~クイズヒントでビント
・テレビ東京
19:00~ヤンヤン歌うスタジオ 19:54~各駅停車
ところで、当ブログを昔から知る方ならご承知と思うが、私は件の
パチンコVシネマ「パチンコ・グラフィティ」の大ファンを自認する。
したがって、自分にとっての清順氏は、本職である「監督」よりも、
同作で演じた常連客の方が、遥かに強く脳裏に焼き付いているのだ。
(C)にっかつ
その常連とは、「1日500円しか打たない老人」。周りからは、
「曽根の爺さん」と呼ばれている。パチンコ好きの彼は、毎日
必ずパチ屋(ロケ地は東船橋の「船橋センター」(閉店))に
足を運ぶ熱心なファンだが、所持金は黒い小銭入れに忍ばせた
100円玉5枚のみ。年金生活者の曽根が店に通うには、これが
限度だったのだ。その虎の子の500円を、コレと決めた一台に
つぎ込むのだが、彼が好む機種はよりにもよって「デジパチ」
(特に好きなのがマルホン「パールセブン」)。ハネモノなら
兎も角、僅か500円でデジパチを大当りさせるなど、容易では
ない。案の定、来る日も来る日も、500円分の玉を飲まれては、
ガックリ肩を落として帰るパターンが続いた。ときには、床に
落ちている玉を拾い逆転を図ろうとするのだが、腰をかがめて
玉を拾おうとした瞬間に、店員がマグネットで玉を吸いつけて
しまい、惨めな思いもする。
そんな「500円負け」で連敗街道まっしぐらの曽根は、ある時、
家族の勧めで「養老院」(老人ホーム)へと入ることになった。
馴染みの船橋センターで玉を弾くのも、これが最後だ。しかし、
タネ銭は相変わらずの500円。そして無情にも、彼が打つ玉は
いつも通りアウトに吸い込まれて、最後の勝負も負けてしまう。
一度たりとも大当りを引けないまま、店を去る事になった曽根。
「さよなら…」と台にポツリ呟くと、寂しく船橋センターから
出ていく。
だが、そんな曽根の様子を忸怩たる思いで見ていたのが、やはり
常連の「原の婆さん」(故・淡路恵子)だった。同年代の曽根が
サッパリ当たらないのが、歯がゆくて堪らなかったのだ。一度は
勝って帰って欲しい…との強い思いで、「自分が1万円出すから、
勝負してくれ」と懇願する。「施しは受けたくない!」と最初は
拒む曽根だったが、婆さんの熱心さに押されて店に戻る。
いつもと違い、軍資金タップリでパールセブンを打ち始める曽根。
だが、台選びが悪いのか、さっぱり当たらない(よく見るとヘソは
ガバ開きなのに回らない。ヘソへの寄りが、極端に悪いのだろう)。
主役の浩平(布川敏和、元々エリート商社マンだったが、会社の
方針で郊外店の店員を命じられている)は、曽根の代わりに千円の
両替に走る。他の常連らも、曽根の様子を心配そうに見つめている。
5000円、6000円、7000円…と、曽根は100円玉を次々とサンドに
つぎ込むが、玉は無情にも吸い込まれるばかり。そのまま持ち金の
一万を使い果たすか…と思った瞬間、最後の一発がヘソに入賞する。
デジタルが回って左右デジタルが0でテンパると、待望のリーチが
掛かる。そのデジタルにアツい視線を送る、曽根と常連。中デジは
しばしスクロールした後、とうとう待望の大当り。「000」で初めて
フィーバーした曽根は大喜び。常連もそれを祝福。だが、上皿には
玉が一発もない。このままではパンクする。慌てふためく曽根だが、
常連らが玉を持ち寄り、上皿に供給。常連たちの親切心で事なきを
得た曽根は、「有難うよ、有難う」と涙ながらに感謝するのだった…。
実に感動的で、忘れられない名シーンである。
(C)にっかつ
安堵の表情で、パールセブンの大当りを堪能する曽根(鈴木)。
背後のバブリーな女性は、常連の百合子(左、長田江身子)と
祥子(右、井上彩名)。その他、本作は先述の故・淡路恵子、
映画監督の故・藤田敏八(「ツィゴイネルワイゼン」繋がり)、
河原さぶ、松澤一之、石塚英彦&恵俊彰(ホンジャマカ名義)、
古本新之輔、電撃ネットワーク、石倉三郎、国実百合(國實唯理)、
伊東真美、小森谷徹といった個性的な面々が出演。ただ、いかにも
「オッサン店長」といった風情の河原さぶは、当時46歳。現在の
私よりたった一つ上と知り、「自分も、随分年取ったものだ」と、
軽くショックを受ける。
あらためて、鈴木清順さんのご冥福をお祈り致します。合掌。