判る人にはわかる、昔懐かしのワンショット(ちょっとピンボケではあるが…)。
レトロパチスロファンにとって忘れ難いホール「緑豆」、すなわち新宿東南口「パチスログリンピース・新宿本店」の25年前(1989年)の姿である。外壁の色も、現在の「緑」主体ではなく、まだ白かった頃だ。
(2011年12月に撮影した、グリンピース新宿本店。)
ご存知の通り、GP新宿本店は、2000年以降も2号機、3号機の名機「コンチネンタルIII」「スーパーバニーガール」「アラジンII」「スーパープラネット」「コンチネンタルI」(計5機種)を置いた店として知られる。まさに、レトロファン「垂涎」のラインナップであった。
同店は今も営業を続けているが、2006年(平成18年)の「みなし機撤去」に伴い、上記レトロ機は全て店頭から消えた(コンチIは2004年に撤去。その他の機種は、2006年に段階的撤去)。
あの「名機との別れ@新宿」を思い返すたびに、何とも切ない気持ちになる。
さて、冒頭の画像は、そのGP新宿本店の平成初期(1989年)の姿だが、個人的には、横断歩道前のガラス(当時は自動ドア)に書かれた「PART-2」の白い文字に、どうしても目が行ってしまう。なぜなら・・・
実は、かつてのグリンピ新宿本店では、各フロアごとに「PART1」(BF)、「PART2」(1F)、「PART3」(2F)…と異なる「名称」がついていた。「PART2」というのは、地上1階フロアを指す。
しかも、1992年辺りまでは「1フロア=まるまる1機種のみ(約40台)」という、大変判り易い設置だった。
「1階、スーパーバニーガールコーナーでございます」「コンチネンタルIをご希望の方、五階へどうぞ」という感じで、まさに当時の看板に書かれた「パチスロのデパート」を地でいっていた。
(「大人のリゾート」というキャッチフレーズも、店頭に書いてあった)
もともとGP新宿本店は、1988年(昭和63年)9月の新規開業(グリンピース1号店)以来、店舗ビル内の設置フロアを段階的に増やしながら、徐々に規模を拡大してきた「歴史」を持つ。当時、店舗全体ではなく、一フロアづつ個別に営業許可を取ってきたという(但し、みなし機撤去を機に、あらためて一店舗申請を行ったとの事)。
’88年の新規オープン時は、BF、1F、2F(PART1~PART3)のたった3フロアしかなく(残りは空フロア)、設置機種も「ファイアーバード7U」と「トロピカーナ7X」(共に1.5号機)のみだったとの事(当時を知る方々の「証言」による)。’88年9月といえば、私はまだ高2でパチ・スロに縁もなく、真面目に勉学と部活に勤しんでいた頃だ。
その後、段々と時が進むにつれて、「3F」「4F」「5F」とフロア数が増えていき、店の規模は拡大した。
私がスロデビューした1990年(平成2年)の時点では、まだBF~4F(PART1~PART5)の計5フロアで、5階には設置がなかった。店の外壁には、「BF~4F」と書かれた赤いネオン看板もあった。
’90年7月の段階では、「ファイアーバード7U」「トロピカーナ7X」「スーパーセブン」「(初代)アラジン」「アニマル」の5機種を設置。初代アラジンは「白パネル※」(知る人ぞ知る「GP下北沢店」も白だった)で、名物のマイクパフォーマンスは(店外まで響く絶叫は、傍の「パチスロてんとう虫」とマイク合戦の様相を呈した)、「ホワイトアラジンコーナーから、〇〇番台、ビッグボーナスおめでとうございまーす!」などとやっていた。1Fはまだスーバニが設置される前で、1.5号機ファイアーバード7Uが並んでいた。
※新規導入時はBFに黒パネル、との補足情報を頂きました(スロ大中退さん、thanks)。仰る通り、自分が白パネルを打っていたのは4Fです。確かに、白パネルは「後期型」ともいわれましたね(黒パネルよりもビッグが連チャンするとの噂もありました(笑))。
翌1991年(平成3年)の3号機時代になると、新たに5F(PART6)が増設されて、最上階の5Fには、かの連チャン3号機「コンチネンタルI」(瑞穂)がズラッと並んだ。「地下1階、地上5階の6フロア」という、現在の店舗体制が出来上がったのが、まさにこの年である。
★参考1★
1991年(平成3年)12月の各フロア別設置一覧
5F:コンチネンタルI
4F:初代アラジン(白パネル)
3F:アラジンII
2F:セブンボンバー
1F:スーパーバニーガール
BF:コンチネンタルIII
★参考2★
1992年(平成4年)11月の各フロア別設置一覧
5F:コンチネンタルI
4F:デートライン銀河II
3F:アラジンII
2F:ビッグバン
1F:スーパーバニーガール
BF:コンチネンタルIII
意外だが、当時の記録を見返すと、1992年11月の時点で「スーパープラネット」が設置されていない。確か、この直後に「遅めの導入」が行われた筈だ。当初のスープラ設置台数は、4Fの半分で約20台だったと記憶する。
各攻略誌にとっても、格好のデータ取り店となったこのホール。特に、パチスロ必勝G誌の企画で登場する事が多かった。1993年10月には、同誌の実戦企画「91時間バトル」でスープラが対戦機種となり、GP新宿店が対戦ホールに選ばれた。この時の参加者は「アニマルかつみ、SSB小泉、プリンセス須藤、グレート巨砲、どばどば浩司、柏ジョージ(読者)、ルーキー酒井」の面々(初日⇒7日目の順に記載)。朝一の設定変更看破法「ジリリン攻略法(朝イチでフルーツゲームからスタートすれば、設定変更濃厚)」を駆使して完勝を期したが、意外にも各メンバーは苦戦。それでも、小泉、須藤、坂井の各氏が見事に勝利を収め、7日トータルでは+35000円という結果となった。
笑顔でティッシュ配りをするバニーガール(石田ひかり)の背後に、「日本初パチスロのデパート」「PARTIII」「3F」「5F」といった表記が見える(1992年のNTV土曜ドラマ「悪女(わる)」より)。このシーンのロケ地が、まさにGP新宿本店の入口前だった。
やがて、3号機後半~4号機時代になると、登場機種の増加に伴い、BF~5Fの各フロアに2機種(以上)入るケースが増える。
★参考3★
1994年(平成6年)3月の各フロア別設置一覧
5F:コンチネンタルI、ニューパルサー(4号機)
4F:スーパープラネット、デートライン銀河II
3F:アラジンII
2F:サファリラリー、ソレックス(4号機)
1F:スーパーバニーガール
BF:コンチネンタルIII、トロピカーナ(4号機)
その後も、数えきれないほど多くの4号機が各フロアに設置されたが、「BF:コンチネンタルIII(橙パネル)、1F:スーパーバニーガール(黒パネル)、3F:アラジンII(赤パネル)、4F:スーパープラネット(白パネル=スターパネル)、5F:コンチネンタルI(黒パネル)」というレトロ2,3号機のスタイルは不変で、2000年以降も多くのみなし機ファンを魅了した。ただ、新台導入等に伴い、各フロアのレトロ台の数は、徐々に減らされていった。
5F…コンチネンタルI(瑞穂3-1号機) 4F…スーパープラネット(山佐3-1号機)
3F…アラジンII(サミー3-1号機) 1F…スーパーバニーガール(オリンピア2-2号機)
BF…コンチネンタルIII(メーシー3-1号機)
★参考4★
2001年(平成13年)6月の各フロア別設置一覧
5F:コンチネンタルI、ニューパルサー、大花火
4F:スーパープラネット、クランキーコンドル、インディージョーズ2、獣王
3F:アラジンII、アステカ、トリガーゾーン、ガメラ
2F:ハードボイルド、リアルボルテージ2、大花火、デカドンちゃん2、ウルトラマン倶楽部CT
1F:スーパーバニーガール、タイムクロス
BF:コンチネンタルIII、タコスロ、ドンちゃん2、ハナビ
私自身、何だかんだで一番よく座っていたのは、1Fスーバニのシマだ。中段単チェリーやズレ目見たさに、フラフラとあのシマに引き寄せられた事の、いかに多かったことか…。夜の6時ともなれば、空き台探しも一苦労なほどいつも混んだが、勝ち負け関係なしでスーバニの香ばしいゲーム性を堪能した。当然、露骨な高設定台は粘る客が多く、たまたま空きになった台で勝負しても、良い結果が出る事は少なかった。
そういえば、2000年頃だったか、たまたま朝から新宿東南口に赴いた時に、GP新宿店で「レトロ台限定の高設定イベント」というのをやっていた。で、何となく地下コンチIIIのシマに行ったら、まだ空き台が多く残っており、フラッとカド台に着席した。すると最初のビッグから、あれよあれよとボーナス&集中(セブンラッシュ)の連打となり、気がつけば、夜9時にはまさかの「万枚」を突破した(300ゲーム以上のストレートハマリゼロという展開で、最後だけ350G程回して、万枚越えのまま終了)。3号機時代、大して勝率の良くなかったコンチIIIで、2000年を過ぎた遅い時期に、「コンチIII、最初で最後の万枚」をゲットできた訳だ。
また、同じ頃には、ボス、ネギ坊、竜吉というスロマガ(当時)の3人が、GP新宿本店でレトロ対決を行った。ボスはスーバニ、ネギ坊はアラII、竜吉はコンチIIIを対戦機種に選んだが、結果はネギ坊のダントツトップだった。ボスはバケがヒキ弱だったものの、しっかり勝利を収めた。竜吉は、現役時5万ストレート負けのリベンジを狙ったが、残念ながら「返り討ち」に遭ってしまった。
対するガイド誌も、マッパチ(アニかつ、ガル憎)の2人が、新作CD「2/16384」(パチスロをコンセプトとした、異色の音楽CD)をリリースした記念として、2000年11月にGP新宿本店で対決を行っている(2名一組のチーム対決。アニかつ軍=スーバニ、ガル憎軍=コンチIで、勝負はガル憎軍の圧勝。但し、アニ氏も終盤の追い上げで見せ場を作る。)
だが、そうした状況にもやがて「変化」が訪れる。2004年(平成16年)には、まず5FのコンチネンタルIが全撤去に。さらに2006年(平成18年)、あの忌わしき「みなし機撤去」の時期には、他の4機種も段階的に撤去となり、全てのレトロ台が同店から消え去った。
(3FアラジンIIは、2006年3月12日をもって全撤去)
90年代、いわずとしれた開店前の大行列(ビルをグルッと取り囲んで、他店の入口まで伸びる程の人数)、開店直後の階段ダッシュや台の取り合い、1シマ丸ごとのモーニング(一台にビッグが掛かった瞬間、皆が競って同じシマにダッシュする光景も…)、低換金(7枚交換)ゆえの高設定営業、積み上がるドル箱の山、打ち手の理性を飛ばす大音量マイクパフォーマンスなど、香ばしい要素タップリだったGP新宿店。
そういえば、店の前には「台北飯店」という古めかしい台湾料理店があったが、あの界隈の再開発と共になくなってしまった。そうそう、かつてはグリンピの換金所も、台北飯店近くの怪しい路地にあったな…。
最大のウリだったレトロ台が消えて以降、同店には様々な営業上の苦労があったと思う。それでも、「トーオー」「太平洋」「ビッグスペース」「ロッキー」「平和」「ニューアサヒ(「トーオー」跡地で営業)」といったライバル店がバタバタと力尽きる中、新規オープンから26年経った今もなお、東南口の「シンボル」として頑張り続ける姿に、90年代の同店を知る者の一人として、心から拍手を送りたい。
そんな訳で、今回は1枚の古い画像から、「グリンピース・新宿南口本店」の歴史を、ほんの僅かだが紐解いてみた。
★追記(私も中退さん)
コメント有難うございます。無料ドリンク懐かしいですね。私もよく利用したクチです。1Fスーバニのシマで、メロンソーダをがぶ飲みしていた頃が懐かしい。タダとはいえ、結局高くついた事が何度もありました(笑)
(追記、ここまで)
新装開店や熱いイベントの時は
前日から並んで打っていました。
スーパーバニーが大好きで殆どスーパーバニーばかり打っていたのですが
仲良くなった当時の副店長にスーバニ以外を打った方が勝率があがるとアドバイスされ
スーパープラネットやアラジンⅡも打つようになりました。でもやっぱりスーパーバニーガールが大好きで…。
余談ですが三階のアラジンⅡは中身の違う三種類の○モノが同時に設置されていました。(副店長曰わく)
あと12月31日の大晦日は全機種全台にモーニングが入っているなど現在では考えられない営業をしていましたね…
ドリンク無料でしたよね?
うろ覚えですがカルピスか何かを
良く飲んだ記憶があります。
行列と壁に貼ってあるグラフに
夢中になり、私も中退しました。
目標や希望を持てず、彷徨い歩いていた当時の自分にとっても新宿南口グリンピース界隈は思い出の地です。
ちなみに、私の記憶では、グリンピースのアラジンは、最初は地下に黒パネルが、その後増台で4Fだったかにホワイトパネルが導入だったのでは? と思います。
90年代初期ネタまた楽しみにしています。
その当時は、ファイヤーバードなんか珍しくもなく、何の気にも留めず、結局グリンピースで打つことはありませんでした。
今思えば、2号機、3号機の時代は、本当に短かったのだなあと思います。1.5号機から3号機あるいは4号機という入れ替えが普通に行われていたのですから。
下北沢店は、平成5年に知りましたが、誰も打っていないアラジンを見て、入店する勇気が湧かなかったことを覚えています。
グリンピースは、決して悪い店だったとは思いませんが、G誌と蜜月になってからおかしくなったように思います。某バトルなど提灯記事ばかり。営業方針としてそのような選択をしたのかもしれませんが、ガツガツしたプロ気取りの人間ばかり増えてしまって、本来の良さや売りを発揮できなくなってしっていたように思います(閉店してしまった赤塚のO店も同様だと思います。)。
誰もがそれなりに楽しめた時代がなつかしいです。
グリンピーに最後まで残っていたスーバニは印象的ですね。入ってすぐのところに2号機が設置されているんですから・・みなし機ですのでお店の方もメンテに苦労したと思います。レトロ台目当ての客からボッタくるのではなく、ちゃんと出していたのは素晴らしいです。
店員さんから次の店員さんへと続く、大音量で過激な放送も、賑わってないと意味無いですから、高還元を維持する必要もあったのでしょう。
人気パチスロ店の先鋒的な存在だったグリンピースですが、4号機のスロ全盛期には他店でも似たような雰囲気やイベントが増え、唯一の存在ではなくなりました。グリンピース5が出てきた時は、ちょっと方向性が変わったなと思いましたね・・
現在でも営業中とのことですが、どのような雰囲気なのでしょうね。先日池袋店を訪れた時はかつての賑わいが無く愕然としましたが。規模は縮小しても、いつの日かまたパチスロが日の目を見る時まで、頑張って欲しいものです。