1990年(平成2年)に大一から登場した一発台「キャンプ」(賞球=オール10)
1990年といえば、一発台、オマケチャッカー付デジパチ、そしてオール13ハネモノなどが大いに盛り上がりを見せていた時期だ。しかし、同年10月に風営法規則の改正が行われ、極端な釘調整の一発台やオマケチャッカー機等に当局のメスが入れられた。
私自身、パチンコとの本格的な出会いは90年の4月である。旧要件機が最後の輝きを見せていた90年~91年前半は、私にとって最も思い出深く、そして楽しい時期であった。
さて、今回紹介する「キャンプ」は、一発台とはいっても、少々毛色の違う存在である。
一発台といえば、入賞率の低い当り穴に玉を飛び込ませ、チューリップの開放で新たな入賞ルートが出現し、後は右打ちで終了一直線…というのが定番であろう(もちろん、右打ち不要の場合もある)。
この「キャンプ」も、基本線は同様である。まず、「アルファローズ」を彷彿とさせる天下の命釘から、クルーンに玉を入賞させる。クルーンの当り穴に入れば権利が発生する構造は、普通の一発台と変わらない。ただ、その後の出玉を増やす流れが、かなり独特だった。
天下のクルーン(上段クルーン)は、手前が小さな単穴、後方が中央に仕切りがある長穴になっている。当りは手前の穴で、ここに入賞すると両肩の電動チューリップが5.9秒開放。すると、電チューの先端に玉が当るようになり、玉の流れが大きく変わるのだ。右打ちの必要はなく、通常のストロークでOK(釘次第では、通常時の右打ちも効果があった)。
クルーンの振り分け率はネカセやクセで大きく変わるが、平均すればおよそ1/10程度だろうか。V入賞のパターンも、クルーン内を綺麗に回って手前にスッと入ったり、上部から直接当り穴に落ちたりと色々なパターンがあった。ただし、後ろ穴が繋がったタイプの為、スーパーコンビよろしく後ろ穴に入りかけた玉が手前に戻って当る「逆転パターン」はない。
さて、電チューの先端に当った玉は、そのまま盤面中央の一つ穴クルーン(下段クルーン)に入賞する。そして、クルーンを落下した後は、下段のチャッカーに入る。このチャッカーは、「出玉増加」と「電チュー再開放」という二つの役割を担っていた。その後は、電チュー再開放→下段クルーン入賞→始動チャッカー入賞という一連の動作を繰り返し、予定終了まで出玉を稼いでいく。
一見、自然に出玉が増える感じだが、実は、玉の打ち出しがストップすると、電チューの連動が途絶えて大当たりが「パンク」してしまう。同社の「たこちゃん」や、マルホンの「マリーナ」なども、同時期に出た連動タイプの一発台で、仕組みを知らずに打つと、大当りをフイにする危険があった。単に右打ちで出玉が増える台とは、明らかに一線を画していた。
ただ、下段の始動チャッカーには「メモリー機能」が付いており、入賞を5個まで記憶。メモリーの保留があれば、打ち出しが止まっても、すぐに電チューの連動が終わる訳ではない。
因みに、連動時の電チュー開放時間は3.5秒。、初回の5.9秒より若干短い。また、メモリーが一つ減るごとにBGMのテンポが上がっていき、徐々に打ち手を焦らせる演出になっていた。
このような「止まると終わり」の役物連動は、かつて大一の「カーチス」などでも採用された。昭和の名機に倣ったゲーム性ではあるが、仮に釘調整を誤ると、大当り穴に入らずとも電チューの連動がスタートする場合もあり、当初は店側も本機の扱いに苦労していたようだ。
最後に、当時の都内・神奈川県内における「キャンプ」設置ホールを一部紹介する。
・巣鴨駅「巣鴨会館」
・相武台駅前「三益球殿」
・海老名駅「エビナセンター」
・日ノ出町駅「プリンス」「ザ・コスモ」
・金沢八景「八景プラザ」
・横須賀中央・「平楽」
など
決してメジャー機種ではないが、地域によっては導入率の高い所もあった。この当時、店や地域ごとに設置機種が大きく異なるのが当たり前で、「この店に行かねば打てぬ台」というものも、多く存在した。
パチ屋の「ハシゴ」があれ程楽しかった時代は、もう二度と訪れないだろう…。