まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

昭和の名機「モスラ」(平和、一般電役)

2015-06-30 04:22:26 | アレパチ、電役、普通機



 

古き良き、昭和のパチンコ…

1981年(昭和56年)に平和から登場した、一般電役の名機「モスラ」。賞球は「オール13」。

天穴部分には「SUPER MOSURA」のロゴがあり、「スーパーモスラ」と呼ばれる事もあったとか。

残念ながら、現役時に対峙する事は遂に叶わなかったが、その優れたゲーム性は、私も最低限は理解しているつもりだ。

本機は、当時都内で認可されず、主に、東北、東海、北陸、九州などで活躍したという。

1990年(平成2年)から都内・神奈川のパチ屋で活動を開始した私にとって、時代的にも、地域的にも、遭遇が難しい台だった訳だ。そんな状況下でも、設置店まで遠征したレトロフリークの方々を尊敬する。


いわずもがな、怪獣映画でお馴染みのキャラクターを模した、インパクトタップリの役物が特徴。天下の小さい羽根は通常時に、その下の大きい羽根は大当り時に、それぞれ活躍した。

また、モスラの顔の下にある両足(胴体)も、通常時と大当り中で大きく形を変えて、役物内の玉の動きに変化を与えた。特に、大当り中は玉を1個貯留して、ほぼ確実にV継続となった。

V継続回数に制限はなく、「貯留が続く限り、V継続」という電役としては画期的なゲーム性が、大量出玉可能な「夢」をファンに与えて、人気を博した。また、このシステムこそ、その後の貯留タイプのハネモノの「礎」となった(本機は、カテゴリー上「一般電役」だが、ゲーム性はハネモノに近似)。


左右のオトシ(ACTIONチャッカー)入賞で、天下の小さいハネが約1秒開放。ハネに拾われた玉は、モスラの「体内」に取り込まれて、下方に落ちる。通常時、大きなハネと両足は、共に垂直状態で静止。また、ハネ開閉時は、モスラの雄叫びを思わせる、「ワーオ、ワーオ」という電子音が鳴る。

なお、左右オトシの釘の形状には、ハネモノのような「ストレート」タイプと、画像にある「バラ釘」タイプの、計2種類が存在した。前者は北陸、後者は名古屋という風に、設置エリアによって異なるバージョンが設置されたという。

また、盤面デザインも、私の知る限り、画像のような「宇宙空間」をイメージしたものと、盤面右上に「鳳凰」が描かれた2パターンがある。他にも、様々なデザインの台が出回っていたのかもしれない。


天下のハネに拾われた玉は、大ハネと両足(胴体)が形成する役物の空間を通って落下。大抵は、最下段のハズレ穴に到達して「アウト」となる。

一方、ハズレ穴の真上には小さな橋(レール)のような突起があり、玉が落下途中で橋にうまく乗ると、その奥に設けられた小さな丸いV穴に吸い込まれて、大当りとなる。経年劣化で橋が削られて、V入賞もキツくなったとか…。


V穴に入賞すると、大きなハネが垂直からゆっくり左右に広がり、水平近くに開いてから約6秒(始動開始からは約9秒)静止する。同時に、垂直だった二本の足(胴体)も「くの字」に曲がり、「X」字の状態で止まる。ハネ開放中は、「ワワワワ…」と、耳を突くような電子音が鳴り続ける。

ハネの外側から拾われた玉は、ハネ奥に設けられた飛び込み穴に直接入賞。一方、ハネの内側に流れた玉は、役物内に取り込まれる。但し、下段のハズレ穴には入らず、X字の形で停止した両足の間に、玉を1個貯留する(2個貯留の場合もアリ)。あたかも、ハネを大きく拡げたモスラが、ガッチリと玉を抱える感じだ。

開放を続ける大きなハネは、6秒経過後又は役物8カウント後、再び閉鎖して垂直状態に戻る。同時に、くの字に曲がった両足も伸びて、貯留は解除される。モスラが抱えた玉を、おもむろに落下させる感じだ。解除された玉は、ほぼ確実に真下のV穴に入って、大当りは継続する。

貯留玉のV穴入賞率は極めて高く、うまくいけば上記の動きを延々と繰り返して、一撃での大量出玉も可能だった。もちろん、釘調整次第で、「大当りし易く、継続しづらい」マイルドなタイプにしたり、「初当りはキツイが、継続し易い」一発タイプに調整したりと、ゲーム性を多様に変化させる事もできた。

なお、本機は1個貯留だと容易に継続するが、2個貯留だと、貯留状態によってはVを外す危険があった。この時、台をドツいて貯留の位置を変えて、パンクを回避する荒業があったという。


余談だが、以前、有名パチスロ攻略ライターの「BOSS」と、有名スロプロ「しのけん」の両氏が、CS番組と攻略誌の共同企画で「旅打ち」を行った際、福岡・北九州(八幡東区)の「西門会館」という古いホールに立ち寄った事がある(1999年)。

直接のお目当ては、タイヨーの右レバー1.5号機「ハイアップターボ」だったが、店内に貼られた手書きの設置台一覧には、レトロファン垂涎のパチンコ名機が、数多くリストアップされていた。その中に、本機の名前もしっかり入っていた(「モスラ」ではなく、「モスラー」になっていたが)。

因みに、、二人はこの店で豊丸「シーザー」(旧要件デジパチ、保留連チャン機)や、平和「ビッグシューター」(旧要件ハネモノの名機)などを打っていた。特に、しのけんは、着席するや速攻でシーザーを大当りさせるなど、流石のヒキの強さを見せた。

私も一度は訪問したかった「西門会館」だが、惜しくも閉店となり、跡地は既に駐車場と化した。

(C)Google
「西門会館」跡地


(1999年当時、「西門会館」店内に貼られた、手書きの設置機種リスト)
「セブン」…デジパチ、「電役」…一般電役、「羽根」…ハネモノ、「普通」…普通機

         17機種
★奥村 モナコボート 1/227 セブン
★正村 マジカルチェイサー 1/227 セブン
★豊丸 シーザー 1/200 セブン
★京楽 玉ちゃんファイト 電役(※原文ママ。実際は「羽根」)
★三洋 スタヂアム 羽根
★三共 ハイパーボール 普通
★西陣 レッドライオン 羽根
★西陣 ベースボール 羽根
★平和 スーパーキャノン 羽根
★平和 ビッグシューター 羽根
★平和 エアプレーン 羽根
★平和 モスラ― 電役
★平和 エアライオン 普通
★京楽 UFO 電役
★タイヨー ハイアップターボ
★サミー アレンジボール
★サミー 雀球
     綜合遊技場 西門会館


(「旅打ち」ビデオ映像から書き起こしたもの)



7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (焼きそば)
2015-06-30 08:30:07
この機種は見たこともやったこともないですが、旅打ちは観てました。確か、景品にあったペンキを獲って読者プレゼントにしようかとか、しのけんとボスが話してたんですよね。当時スロマガは読んでましたが、毎回欠かさず・・・ということはなかったので、本当に読者プレゼントになっていたのかちょっと気になります。しのけんは、仰るようにシーザーを当ててましたからねぇ・・・・初当たり後の様子が放送はされていなかったので、単発で呑まれた・・・が最も可能性高そうですが。
返信する
モスラ懐かしい… (コモタン)
2015-06-30 22:37:47
かなり懐かしい機種ですね。自身の中では名機中の名機ですね。

上京する前、昭和63年頃、北九州市のホールではどこにでも設置されていたごくありふれた機種でした。お金のない19歳の自分にピッタリの機種でした。

名機の所以はとにかく当たり(V入賞)やすいので少ない投資で当たりが引ける所が魅力的で、当時、興奮できたことを今でもはっきり記憶しております。

無限に継続する仕様になってますが、釘調整次第なので上手く継続しても8ラウンド位まで継続できるように釘調整されており、夢を求めるような機種ではなかったですよ。

他の羽根物とあまり変わらない継続率でしたが、いかんせん当たりやすさは抜群で、当時の学生達はその当たり易さを求めて人気を博していたと思います。

当時主流だったレッドライオン、交通安全、ビッグタイガー、エアープレーン、アリゲーターなどのV入賞率と比べる突出したV入賞率が魅力的でした。

古き良き時代の名機を取り上げて頂きまして大変、感謝しております。

当時、北九州市小倉北区の魚町銀天街にあったダイアナホール、ワシントンホールと現存するTOKIWAホールで名機モスラに出会えたことは一生の思い出でございます。
返信する
Unknown (Unknown)
2015-06-30 22:42:42
北陸地方の当時高校生でモスラが、一発台、羽根物か遊戯方法が判らずちょっと打ってすぐ止めました。
うるさくて、気持ち悪い動きが印象的でした。
返信する
Unknown (薩摩富士)
2015-07-01 14:26:24
早速「モスラ」取り上げていただきありがとうございます

懐かしい~懐かしい 友達と初めて入ったパチンコ屋で初めて遊んだ台がモスラでした

No.ランプの意味がわからず店員を店内で探して呼んだりもしました
その店員にNo.ランプの意味を教えてもらい
両替所まで教えてもらったのはいい思い出です
今みたいにショップではなく「隣の洋服屋」でした。
しかも(レコード針)が景品でした。

これからも楽しく拝読します
頑張って下さい
返信する
Unknown (えむ)
2015-07-01 20:31:24
残念ながらモスラにはお目にかかってない・・・埼玉にあったのかなぁ
ゼロタイガーはギリ設置されてたのに


特殊景品いいですね・・・特集しません?
自分の初めては歯ブラシでした
返信する
特殊景品 (釘師マン)
2015-07-02 22:07:03
札幌(1991年頃):5000円=電卓 1000円=ボールペン 200円=シャーペンの芯

岡山の美作(1992年頃):1000円=靴下 500円=ハンカチ

ちなみに兵庫は『親和福祉会』の買取所は変なペンダントをプラスティックケースに封入したもので、『長田商事』の買取所は金額に応じたライターの発火石をプラスティックケースに封入したものでした。
大阪は、文鎮だったり頬ハケや香水用のスプレー容器だったり。
返信する
Unknown (えむ)
2015-07-05 22:49:21
電卓、ハンカチ、靴下、シャーペンの芯と大阪のやつは初耳
ちなみに歯ブラシは結構大きくて1万も出すとかかえるほどでした
返信する