事象があるから言葉があるので逃げようがないのであるが、報道などによる言葉の強制学習について思うこと。
【犯罪編】
二十年以上前になると思うが、新聞に出てきた「強殺」という二文字をはじめて見たときに、意味が瞬時にわからなかった。
「ウケコ」「カケコ」「ダシコ」などという煮干しの一種のような専門用語や
「地面師」とかいう国家資格が要りそうな悪人の呼称も知りたくはなかった。
【風俗編】
・やばい・・・努力して使わないようにしているが、市民権を得てほしくなかった美しいとは思えない言葉。先日推定古希バーバが孫に「ヤバイヤバイヤバイ、サワラナイサワラナイサワラナイ!」と言いながら商店の陳列物を孫の手から引きはがしていた。
・ガッツリ・・・努力して使わないようにしているが、そろそろ態度を軟化させ世間の軍門に降るべきか。いや、使うものか。
・「安定の」「テッパンの」「エンミ(塩味) 」・・・飲食店の料理について書いたものを読むとよく見かける常套語句。なじめない表現に感じるのはアマノジャクだからか。
・にぎりずしの数え方の「カン」。恥ずかしくて口にできないがスーパーのチラシやPOPでも使い始めているので世間の軍門に降るべきか。
・エンタメも数か月意味不明のまま放置していたが、ある日豁然としてわかった。
【政治編】
・「×××××と承知している」・・・一般人が使うのを聞いたことがない。
役人の国会答弁でも聞いたので麹町や霞が関あたりの方言ではないかと思う。
・「検討してまいります」・・・死語化が検討されているらしい。