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のほほん書斎(日高茂和)

東郷元帥に会っていたかもしれない祖父

東郷元帥に祖父が会っていたかもしれない資料に出会い、興奮している。
今年のお盆のお施餓鬼行事の法要の後の法話で、菩提寺の住職(五島福江・大乗寺・横山大慶師)が、現在の建物が大正時代に建てかえられた時の記録を読み直した話をされ、終了後その記録を見せてくださった。
檀家の少ないお寺にして、どうやって巨額の資金を勧進したのか、大人になってからの疑問だったが、その記録を読んでそのナゾが解けた。
ご住職もその由来を伝えられていなかった、とても古い額装された書がナゾ解きの決定打となった。
当時の国を代表する名士から、勧進のための揮毫を募り、それを換金して資金の一部としたようである。
普段はご住職の座る内陣からは見えないが、私がいつも座る場所から一番よく見えるその書を書いた方が、記録から幕末生まれで昭和まで生きた海軍中将の佐藤鐵太郎であることがわかった。
この方は法華の信奉者だったようで、六十数枚と、もっとも多く寄進してくださっていた。
その他数名の陸海の将官が寄進をしている。
当時、日清、日露を勝ち抜いた将官たちは、軍神にも例えられて尊敬をもたれていたので、その揮毫はしかるべき値がつき、寺院建立の主旨から買ってくれる方がいたのであろう。
その、 綺羅星のような将官たちのなかに、東郷平八郎の名前があり、一枚寄進されていた。
また、その記録には檀家総代として、私の祖父ともう一名が東京に出張し、あいさつまわりと揮毫の受け取りに回ったことが記されていて、それはそれは驚いた。
祖父は陸軍の薬剤官で、階級は少尉だったらしいが、日清、日露ともに歴戦しているため、その関係もあって軍の幹部に伝手をたどれたのかもしれない。
もしかしたら、祖父が日露の時の連合艦隊司令長官の東郷元帥より揮毫を受けてっていたかもしれないと思うと、またひとつ、歴史の連続の上に自分があることの不思議さを強く噛みしめる経験となった。
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