もしかすると、最初の写真で分かった人もいるかも知れない。
この写真は山谷の家である。
山谷の家とはマザーテレサの男子修道会の施設である。
彼は路上で正座をして、マリア様に祈っていました。
この日は土曜日、白鬚橋にカレーを配りに行く前に施設内では、ブラザーとボランティアたちが祈ったり、歌を歌ったりしていた。
彼はそのなかに入りたかったか、どうかは分からない。
ただ私には彼の祈りが切なるものであると、彼の祈りの背中を見て、感動していた。
誰にも分からず、誰にも見られず、ただひたすらに祈る姿は、まるでマリア様が彼を抱き締めているようにさえ見えてきた。
彼の祈りが終わった後に、私は彼と少し話しをした。
彼は上手く十字を切ることは出来なかったけど、マリア様が好きだと微笑んで言っていた。
私は純粋な祈りに触れた思いになった。
形ではない、やり方ではない、場所ではない、私たちはいつでも、どこでも、祈れるのである。