カルカッタより愛を込めて・・・。

今月のアピア40のライブは3月21日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

マザー・テレサとベサ。

2018-10-31 13:03:10 | Weblog

 

 数日前から「人と思想 マザー・テレサ」を読み始めた。

 読み始めから、このマザーの本はとても良いものだと思えた。

 マザー・テレサは好きだけどもカトリックを知らない人などには是非読んでもらいたい。

 マザーを深く知る切っ掛けになるだろう。

 しかしマザーの生前1994年に出版されたものなので、それ以後、マザーの死後にマザーの修道会から出された出版物などが、今は読めるので所々記述の間違いや不備などがあるのは仕方ないと思う。

 タイトルにあるベサと書いたものはアルバニア人の精神の支柱なるもの、マザーの支柱にも存在したものである。

 ベサとは約束を守ると言うことである、それは頑なに約束を守る、絶対に破らないと言う強い意志である。

 「人と思想 マザー・テレサ」のなかにはこうある「相手を家に泊めると約束した場合、何があっても、その約束は果たす。誰かに追われていたとしても、たとえ、家に泊める相手が家族の誰かの敵であったとしても、その約束は守らなくてはならない」とのことである。

 マザーの誓願のなかにはこのベサの影響がなかったとは言えない。

 マザーは神さまとの間にベサがあったのではないだろうか。

 マザーはシスターニルマラとともバチカン、ニューヨーク、ワシントンに行った最後の旅を終え、マザーハウスに帰って来た時、チャペルのなかで一人十字架のイエスに向かって、こう言っていたことを一人のシスターが聞いていた。

 「イエスよ、私はあなたに何も拒否しませんでした」

 これはマザーの死の数日前のことであった。

 この時、マザーは喜びに満ちていた。

 マザーは神さまとの約束を守り通した喜びのうちに天国へ旅立ったのである。

 

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パッションフルーツ。

2018-10-30 10:51:14 | Weblog

 

 先週の金曜日に今年から家の緑のカーテンに参加したパッションフルーツを掘り起こし、鉢に入れていた。

 今年、私はずっと待っていたがパッションフルーツは花を咲かさずに終った。

 これではもったいないと思い、外では冬を越せないパッションフルーツを部屋のなかに入れてあげることにした。

 掘り起こした時に根をかなり切ってしまったので鉢に入れても枯れてしまうのではないかと心配していたが寒さに弱いが根をはる力は強いようだ、次の日には元気に太陽に向かい葉を広げ始めたので安心した。

 昨夜最低温度10度になると言うので仕事から帰ってきてから部屋に入れてあげた。

 「お邪魔します」とパッションフルーツは言わないが霜が降りる前に暖かな部屋のなかに入れてパッションフルーツも一安心したような顔をしている気がした。

 今は暖かな陽射しのそそぐベランダで日向ぼっこしている。

 幸せそうだ。

 12月5日にアピア40のライブが決まったので、これから仕事前に少し歌ってくるので、今日はこのくらいで。

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日曜日の夜。

2018-10-29 11:54:49 | Weblog

 

 金曜、土曜日と仕事が休みの私はその両日スイッチを休みモードの酒飲みにするので、それが開ける日曜日は休肝日にしている。

 日曜日は仕事から帰って来ると、軽く食事をし、愛犬あんと散歩をしてから、30分ほど筋トレをするのであるが、その後が問題である。

 アマゾンで決まって何かを夜な夜な買ってしまうのである。

 ちょうどレーヴィの「休戦」を読み終えたので、その前作である「アウシュビッツは終わらない」を買おうとしていたが、この誘惑はまだ読んでいないマザーの本が二冊あることで一週間先延ばしすることが出来たが、それは一つの谷を超えただけで、また新たな崖が立ちあがった、河合氏の「こころの最終講義」を読んで以来、潜伏キリシタンの聖書だった「天地之始事」がうずうずと読みたくなっていたのであった。

 とりあえず一冊ぐらいは良いのではないかと自分に甘い解釈で独り言のように口ずさみ、「天地之始事」で検索し始めると、谷川健一氏の二冊の本の紹介に「天地之始事」の言葉を見つけた。

 一冊は「わたしの天地之始事」、これにしようかとも悩んだが、本の写真もなく、少し高かったので、もう一冊の「心にひびく小さき民のことば」にした、私はこの題名にも魅かれたのであった。

 もちろんこの本は良ければ、いつかは「わたしの天地之始事」も買うことにはなるのだろう。

 一安心して、もう少し「天地之始事」で検索を見て行くと、なんと「天地之始事」の原文も入っている古書があった。

 それは「日本思想大系〈25〉キリシタン書・排耶書 (1970年)」であった。

 二つあったレビューを読むと、その一つには今まで遠藤氏の本のなかに出て来た当時の潜伏キリシタンたちが読んでいた本の名前がずらりとあった。

 これはどうしたものかと悩んだ、きっと原文では読み切れないだろうとも思った、私はキリシタン研究者でもないし、さて、どうしたものかと悩んだ挙句に、私のうちに浮かんで来たものは、きっとこの本は遠藤氏も持っているだろうと思ったことであった。

 それでは私も持ってみようかと思った。

 一度ポチッとしたが、またすぐにどこからか声が聞こえて来た「どうせオマエには読めないだろ!」と。

 「そうだよね、きっと読めないだろうね。それに読めないから間違えなく苦しむだろうね」とため息交じりに答えて、削除をした。

 にもかかわらず、また新たな声がしてきた「何もしないで良いのか、遠藤氏は先輩から作家なら勉強のために本を買うのをためらうな!と言われて高い本を買っていただろう」

 「そうだよ、そうだよね。でも、自分は作家ではない。しかし作家ではないが、何故か知りたいことがあるし、どうしても気になる。それに学ぶことは悪いことではない」との声の一声が勝ち、もう一度ポチッとやり直してしまった。

 飲んだ時にはアマゾンで買い物をしないようにしているが、飲まない休肝日でもアマゾンは手強い。

 だが私はその手強い私もわりと好きである。

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祈りを込めて。

2018-10-25 11:15:52 | Weblog

 

 炊き出しに来る人たちの顔を私はほとんど知っている。

 しかし来なくなった人たちがどこで何をしているのかはまったく分からない。

 病気になったり、亡くなっていたり、施設に入るようになったり、何か仕事を始めたり、刑務所に入っていたり、それは様々だと思う。

 先々週の土曜日、久しぶりにあるおじさんが炊き出しに来た。

 彼は以前は毎週のように炊き出しに来て、私と良く話した仲のおじさんだった。

 しかし私には彼がどんな人生を歩んできたかなどまったく知らなかったし、それは聞くことが出来なかった。

 彼はとてもユーモアのある人であったが自らの過去のことは何も語らなかった。

 いつも小さなノートに何か気になったことや学んだことを書き留めては、柔らかく穏やかに微笑みながら、それを私に見せてくれた。

 そのなかには聖書の言葉や仏教の教えなどが書き留めてあり、その探求心と好奇心から形づけれた独自の信仰心が拭い切れない孤独のからの束の間の解放となり、生きる糧となっていたのかも知れない。

 そして時間だけはあるからと東京の歴史散歩を良くしていたことを教えてくれた。

 久しぶりに会った彼に私は両手を差し出し、歩み寄り、握手をした。

 彼は歩くのもおぼつかないほどであったがゆっくりとふらふらとなりながらも歩いてきて、私の両手を満面の笑みでつかんだ。

 「やっと会いに来ることが出来ました。病気になってね・・・」

 「そうなの、どうしていたの、心配していましたよ。病気は何だったの?もう大丈夫?」

 「脳梗塞をしてね。やっと外に出れるようになったから会いに来ました」

 「もうどのくらいぶり?何年ぶりになるのかな?」

 「二年ぶりになります。ずっと来たかったんだけど。ようやく来れて良かった」

 「うん、リハビリだと思って、また来てね」

 「はい、ありがとう」

 「じゃ、また後でね」

 炊き出しを配る前だったので、私はそこで彼と別れた。

 そして炊き出しを配り終え、彼とまた話しをしようと探したが、彼の姿はもうどこにも見えなかった。

 いろいろなおじさんたちと話しをする私に気を使ったのか、体調が良くなかったのか、何も分からなかったが、私は二年ぶりに再会した彼との会話の機会を逃してしまった。

 「また後で」ではなく、あの時、もうしばらく彼の傍にいて、彼と歩くことも出来たのにと思わずには居られなかった。

 しかし私は待っている、祈りの込めて待っている。

 先週の土曜日、彼の姿を炊き出しに並ぶおじさんたちのなかに探したが見つからなかった。

 しかし私は待っている、祈りを込めて待っている。

 

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題名。

2018-10-24 12:01:23 | Weblog

 

 まだ日程は決まっていないが来年一月にまた盛岡に行くことになる。

 友人に頼まれ、盛岡の介護福祉士会の研修にマザー・テレサの話しをしに行くのである。

 その題名を何にするか、今月中に決めなくてはならない。

 「マザー・テレサの愛」と言う題名も良いかも知れないが、私にはまだ何か足らない気がする。

 「愛以上の愛に生きたマザー・テレサ」これではあまり良く分からない。

 いろいろと考えたが「福音に生きたマザー・テレサ」が良いかなといまは思っている。

 そして副題として{マザー・テレサが愛した街・カルカッタの現状}などはどうだろうか、そうすれば、私がカルカッタ{現コルカタ}の路上の患者をピックアップしていたことなどが話しやすくなるのではないかと考えている。

 まだ時間はあるのでゆっくりと考えてみたい。

 

 話しは変わるが、昨夜仕事の合間にアライグマに会った。

 まんまると肥った綺麗なアライグマだった。

 仕事が終わった利用者の家の前で車に乗ると、チラッと動物の影が見えた。

 車で近づいてみると一瞬タヌキかなと思ったが尻尾が長く、シマシマだったのでアライグマだと思った。

 良く見ようと助手席の窓を開けても、アライグマは逃げずに立ち止まっていた。

 アイコンタクトは出来なかったがちゃんと目も合った。

 写メを撮ろうと思った瞬間、アライグマは暗闇のなかに消えて行った。

 生まれて初めて路上でアライグマを見た、その嬉しさは珍しい大きな魚を多摩川で釣り上げた感覚に似ていた。

 そして「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」金子みすゞの詩が浮かび上がって来た。

 それは何気なく生きている私の世界には私の知らないものたちもちゃんと生きていて、普段、それを目にすることは出来ないが、見えぬけれども居るんだよと言うことに気が付いた心地良い喜びあった。

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どん底。

2018-10-23 11:58:48 | Weblog

 

 「先生{私のこと}、オレはもうダメだ。どん底だ。乞食から、どうしても抜け出せない。どうにもこうにもならないんだ。それはとても重いものを上から載せられ、動かされなくされているみたいなんだ。どん底なんだ。オレも先生みたいに生きたい。だけど、何の因果か分からないけど、どうしても抜け出せないんだ。普通の人は道を普通に歩けるけど、オレの道はゴツゴツしていて、どうしても上手く歩けないんだ。先生、生まれ変わりを信じるかい?オレは以前何をしていたんだろうね。何か悪いことをしていたのかな。こんなどん底の味わなきゃいけないだからさ。死にたいけど、死ぬに死ねない苦しみがあるだけ、惨めなだけ、まったくどん底なんだよ・・・・」

 彼はどこかで手にしたビニールに入ったパンを片手に持ち、私と一緒にカレーの炊き出しに向かい歩きながら、そう語った。

 彼は悲嘆に暮れながら、どうしようもない自身に苦笑いしながら、私にいつも苦しみを語る。

 非力な私はただ話しを聞きながら一緒に歩いた。

 ほんとうに非力だと感じながら。

 しかしその思いを乗り越え、その思いを感じるのは今ではない、この瞬間、私は私を無くし、彼の苦しみだけを思う必要があった。

 ほんとうに短い時間だったが、それしか彼のうちに苦しんだ姿で現れたイエスに捧げるものがなかった。

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山谷の路上生活の女性。その2。

2018-10-22 11:12:20 | Weblog

 

 先週の土曜日の炊き出しには路上生活の女性は一人も来ていなかった。

 女性は一人だけ自転車に乗って来た生保を受けている女性だった。

 その女性は前の週にも来ていたが怒りの独り言を大きな声で辺り構わずぶちまけていた。

 その異様な怒りが気になったので私は優しく話しかけたが、彼女は怒りの独り言を言うのを辞めたが私とは目を合わさずに自転車に乗り去ってしまった。

 週によって違うが土曜日には上野公園でもチャーリーさんのセカンドハーベストの炊き出しがあったり、他にも路上生活者のための施設がある時は白髭橋の炊き出しに来る人たちはいつもより少し減っている。

 先週来た路上生活の女性は連れの男性と違うところに行っているんだろうと思った。

 彼女は細身、まだ若く30代後半ぐらいに見えたが、その髪の毛はドレッドのようになっていて、傍にいたジェイソンにボブ・マーリーみたいだと言うと、彼は笑っていた。

 彼女に「また{炊き出しに}来るんだよ」と私が言うと、少し照れて頷いていた彼女の印象は軽度の知的障害があるように見えた。

 当たり前ではあるが何らかしらの障害がなければ、髪の毛が団子状になるまでにはならないだろう。

 にもかかわらず、彼女にはまだ他人と関わりを辛うじて保てる精神状態があるのだと思った。

 そして大恋愛をしているのかも知れないと思った。

 路上生活は空腹と天候に激しく左右される厳しい状態である、この状態にいる人たちはすでに私たちが機敏に感じるような他人の目線などは感じない、二人で一緒にいるのなら、二人だけの世界である、この世の中で唯一の人と出会った状態はやはり幸せなのだろう、もちろん、共依存関係もそこには含まれるだろうが、決して見捨てることのない相手と一緒にいることの喜びと幸せを感じていることには違いない。

 私たちは知っている、お金があっても、家があっても、家族があっても、食べ物があっても、飲む酒があっても、ドラッグがあっても、幸せであるとは限らないことを。

 しかし幸せだと感じる権利と自由は誰にも常に与えられていて、誰にも奪われるものではない、その真実を忘れないでほしい。

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山谷の路上生活の女性。

2018-10-18 11:46:32 | Weblog

 

 カレーの炊き出しに並ぶ女性はほんとうに少ない、先週の土曜日は250人ぐらいが炊き出しに来たが女性は一人だけだった。

 以前炊き出しに来たボランティアの友達から聞かれたことがある「どうして女性が少ないの?」と。

 私は「日本の男性が優しいからだよ」と答えた。

 山谷の場合、路上生活者の女性が一人で炊き出しに並ぶことはゼロとは言えないが限りなくない、先週の土曜日に来た女性は連れの男性と一緒だった。

 路上生活の女性には必ずと言って良いほど、男性が何らかしらのサポートをしていることが多い。

 サポートしている人は路上生活をしている人だけではなく、一般の男性もサポートをしていることがある。

 事実、家の近所にいる路上生活をしている女性のためにカレーをもらいに来ている男性もいる。

 彼はその女性に温かいコーヒーなども毎日あげているとのことだった、こうしたことが何かがあった場合に女性が福祉を受ける切っ掛けと成り得るのだろうと思う。

 しかし統合失調症を発病し、末期になった女性の場合、いつも一人でいるしかないのだろう、炊き出しにも来れず、強制的に病院に連れて行くことは適わず、ただ他の病気になり倒れ、救急車で病院に運ばれるまで福祉などは受けれない。

 過度の凝り固まった性格{何らかしらの精神病者}の女性も一人で路上生活をしていることがある。

 私たちが猫のおばちゃんと呼んでいた女性は身体に不調があるにもかかわらず、猫の世話があるから病院に行かないと言い続け、猫より先に公園で亡くなった。

 {つづく}

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アーモンド。

2018-10-17 12:36:14 | Weblog

 

 アーモンドは仕事中に小腹が空いた時にぼりぼりとよく噛んで食べることにしている。

 アーモンドはナチュラルサプリメントと言うことを小耳にはさんだので塩分のないものを食べている。

 アーモンドを食べる時はいつも意識的に交互に噛んでいた、右側で噛んだら、その次は左側で噛むようにしていた。

 そうしていると、気付いたことがあった。

 私は何も考えていないと、無意識に右側だけで食べ物を噛んでいた事実を生まれて初めて知った。

 そして鏡を見ると、私の右の口角は左に比べると少し上がっていたことにも気が付いた。

 以前から意識的に右でも左でも同じように食べ物を咀嚼するようにしていたのだが、それは「つもり」だったことを知った。

 だから最近は口に入れた食べ物はまず左側だけで食べるようにしている。

 もうおじさんの歳になってから気付いたのであるから、いま例え交互に咀嚼していても、それはもう釣り合いが取れる訳ではない。

 ならば、私は食べ物は左側で食べることをまず8~9割ぐらいにした。

 最初は左側で食べ物を食べるのは右に比べ楽ではない感覚を感じ、逆に右で食べることはとてもスムーズだった。

 こんなにも違いがあるのかと、私は私のことであるが、このことは知らなかった。

 私は私の知らなかった私に出会えた。

 それは良いこと、きっとまだまだ私の知らない私が私に出会うのを待っているだろうと思う。

 食べにくい左側で食べることにもだんだんと慣れスムーズになって来ると、私の左の口角も少し上がって来た。

 私にニコッとしてきた。

 

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心診断。

2018-10-16 12:07:25 | Weblog

 

 昨日は健康診断に行った。

 この一年、自らの身体の人体実験をするかのようにして、毎日ある程度決まったものを食べ続けてきた。

 アーモンド20粒、ゆで卵2個、カカオ88%のチョコ3枚~4枚を毎日食べ、仕事中は水か白湯だけのみを飲み、またラーメンやパスタを食べないようにしてきた。

 月に一回ぐらい、我慢出来ずラーメンを食べることもあるが、どうにか続けている。

 運動は体幹トレーニングとヨガを週3回ぐらいし、仕事に入る前にはリンパストレッチと数ポーズの軽めのヨガを10~15分ぐらいしている。

 すると、やはりデトックスが行われているのだろう、身体はすっきりとした感覚を保ち、仕事もスムーズに進み、それは心穏やかにあるケアに繋がる。

 健康診断では少し気になったのは前回、上が135で唯一のB判定だった血圧である、昨日も一回目測ると上が140だった、「やはりダメなのか」と思いもしたが、諦めを感じながら二回目に測り直すと115だったので、血圧は気持ちの問題と言うことにした。

 いろいろと検査に回っていた私の手にあったのはレーヴィの強制収容所の解放から彼の本国イタリアに帰る前の9ヶ月間を書いた「休戦」である。

 この本が血圧測定に影響したかどうかは分からないが、フランクルの数冊の本を読み終えた後、フランクル以外の強制収容所体験者の本を読みたいと思い、すぐにアマゾンで買い、読み始めていた。

 やはり想像を絶する強制収容所であったことを改めて知ると同時にフランクルが強調することも今まで以上に浮かび上がってきたように思えてならない。

 本のページをめくる度に、私は私のままであるが、何も変わっていないのだろうか、時に活字から目を離し、辺りを見渡して、活字の世界から時代を超えた現実の世界に目をやり、そして、内省するように目を閉じ、再び活字の世界を見渡そうとする時、私は私のままから、私のままではない私にはなっていないのだろうか。

 行間をどう読むかは私に与えられている価値と意味を為している、それは「どうあるべき、どう為すべきか」と心診断をされているのではないかと、健康診断を受けながら、ふと思った。

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