山谷のおじさんたちの他に自分が下駄を履いていることに興味を持っている人もいる。
山谷に何年か前から、たまに来るフランス人の男性は会うといつも陽気に握手を求めて、「あれ、下駄は履かないんですか?」と聞く。
「まだ寒いんで下駄は履けませんよ」と笑って答える。
そんな彼はグッチで働いていると言うことは知っていた。
この前、彼から聞いたのではなく、知人から、実は彼は日本のグッチの社長をしていることを聞いた。
驕らず、柔和で、とても気さくで明るい彼の様子から、自分のなかのグッチの高感度がどんどん上がる。
身に付けることも、誰かにプレゼントすることも、この先はまずないだろうと思うグッチではあるが、忙しいなか、山谷に来て、おじさんたちに微笑み接する彼の姿を見ると、やはり嬉しくなる。
ゲーテの言葉を思い出した。
「われわれは平等ではないし、平等ではあり得ないことを、ぼくはよく知っている。しかし、ぼくは尊敬を受けるためにいわゆる下層民から遠ざかる必要があると信じている人間は、負けることを恐れて敵に姿を隠す卑怯者と同様に非難に値すると思う」
{若きヴェルテルの悩み}
神さまの前で自分たちは何ら変わる存在ではなく、すべて神さまから個人的な存在、唯一無二の存在で、愛されているのである。
そうしたことを行いのなかに真実として謙虚に表していく人を敬う。
もう桜も咲く、自分の足も衣替え、下駄をカランコロンならして山谷に行こう。