カルカッタより愛を込めて・・・。

今月のアピア40のライブは3月21日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

いい顔。

2014-02-28 17:32:15 | Weblog

 今日で私がカトリックなって一ヶ月が経った。

 その時の流れの感覚を感じないと言うか、ずっと前からカトリックだったような気で毎日が流れていくように感じられる。

 この前アドレーションを終わり、マザーに挨拶してから帰ろうとすると、一人のシスターが私にこう言った。

 「あなたは洗礼を受けてから、とてもいい顔になった」と。

 そう言われて悪い気はしないので「ありがとう」と答えたが、その日は昼寝を二時間して、たぶん、体調が良かっただけのようにも思えるのだが、さて、私の顔は変わったのだろうか?

 髭はふさふさな感じにはなってきている、たぶん、それだけであろう。

  
 スペイン人のおばちゃんから、あるスペイン人の若い男性を紹介された。

 彼女は私の洗礼をとても喜んでくれて、フランシスコ ザビエルの本をプレゼントしてくれたおばちゃんである。

 しかし、いつも100%スペイン語なので、彼女の手振り身振りの感じで会話をしている。

 私はその紹介してくれた男性の名前がフランシスコ ザビエルだから、私に紹介してくれたものと思っていた。

 しかし、あとでマリオから、その男性のことを聞くと、彼は今スペインはじめ、世界中でとても有名な男性らしい。

 日本でも、たぶん報道されているのだろう、彼はアフガニスタンを7人で旅行{ここは確かではないが}していてテロリストに捕まり、他の6人は殺され、彼だけ生き延びたとのことだった。

 彼と握手した時に、彼には悲壮感はなかったが、さて、彼はどんな思いをしてきたのだろうか?


 今日はあの患者バブルーを国の病院に入院されるとのことで、私とマリアがシスターたちに付き添った。

 朝食時シスターマイケルに頼まれたのだが、私はその時、国の病院は好まないと伝えたが、やはりシスターたちはそこが良いと考えていたようなので受け入れた。

 マリアをマザーハウスに残し、駅にはジェニィとマリオだけで行かせ、私は一人病院の訪問をしてから、マリアとシスターたちに合流した。

 この前ダラムタラに病院{以前聖心の病院と書いたが聖心教会の中にある検査病院である、病院名はメモ帳に書いてある}に着いてきてくれたインド人シスターライオニータと今回はインド人のシスターが着てくれた。

 私はシスターライオニータに国の病院は良くない、まずいろいろなところにまわされて時間ばかり掛かると伝えた。

 しかし、彼女は急患{エマージェンシー}で行くから、何の心配もない、すぐ終わると笑顔で言っていた。

 だが、運悪くと言うか、やはり私の想像が当たってしまった、患者はいろいろな場所にまわされ、その度違うドクターが同じやり方で問題の腹部を触ったり、音を聞いたりした。

 ちなみに5人のドクターが同じ触診をした。

 エマージェンシーの受付の次に行った二階のオペ室の前ではライオニータは、若いドクターに、ここではここに行け、あっちに行けとか、患者を連れまわされるのは良くないと、患者の入院がうまく行くようにプッシュ気味に言っていたが、そんなことを言っていた彼女だが、やはりいろんなところに行かなくては何も進まないことを知り、彼女はいろいろな場所を駆けずり回った。

 彼女いわく、国の病院はいろんなドクターが診てくれ、そして、治療の方針を決めてくれる、プライベートの病院ではそうはいかないと言っていた。

 私はそれを聞いて感動した。

 と言うのは、彼女にしたら、愚痴の一つも言いたいのが当たり前だろう、しかし、彼女は何一つ否定的なことは言わなかった。

 流石だと思わずにはいられなかった。

 結局患者は今日入院出来ず、また明日病院に検査に行くことになった、腹部のCTを撮ることに結局決まったのである。

 ライオニータは彼女も疲れていただろうが、私とマリアの身体の疲れを思ってくれ、今日はもう患者を連れて帰って良いと言ってくれた。

 彼女ともう一人のシスターはその後、まだ処方された薬を買わなくてはならなかった。

 ちなみにCTの検査に5000ルピー掛かってしまう、しかし、MCプライスで半額になるが、やはり大金であることに違いない。

 またしばらく駅には行けず、忙しい日々が続くと思われるが、今日は登録が無くなったのでこうしてゆっくりと書いていられる。

 しかし、今日のシスターライオニータには感動した、マザーの教えのままに自分の感情を乗り越えて、他者を思うその姿勢には感服した。

 そして、彼女はとても明るく良く笑う素敵なシスターである。

 そんなシスターとともに仕事が出来ることは何よりも嬉しいことである。

 書こうと思っていたが、もう書く時間がなくなってしまった、それはマリアとジェニィがCome and seeをすると言う事。

 また時間がある時に書くことにする。

 明日は山谷のボランティアの和田さんがカルカッタに来る、とても楽しみである。

 
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やり過ぎかな、、。

2014-02-27 13:23:44 | Weblog

 今日はボランティアがお休みなので、今も部屋、トイレ掃除、洗濯、モーフを干したりしてから、ここに来た。

 今朝のミサはマザーハウスにいるシスターの50周年を祝う、特別なミサだった。

 ミサが終わってからも、ノビスたちが一階のフロアーで歌い踊っていた。

 一緒に働いていたジョンとメリーと最後のお別れをした。

 ほんとうに素敵な夫婦だった、何度も言うが、このような素敵な人間性の持ち主と一緒に出来たことはかけがえのなく有り難いことだった。

 それから、毎週木曜はミサの後、ママの家に行き、朝食を食べに行った。

 一週間に起こったいろいろな話をお互いにした。

 ここには到底書けないようなシスターの問題なども話し合った、しかし、これは勘違いされないように書くが、マザーハウスやマザーの修道会の問題ではない、一部のシスターの個人的な問題のことを話した。

 もちろん、こうしたシスターがいるので、現総長のシスタープリマの仕事はほんとうにたいへんだろうとも話し合った。

 しかし、それはどんな団体にもある程度同じような問題がある、それである。

 それから、部屋に戻り、二時間ほど寝て、今に至る。


 昨日の登録には広島大学の学生たち{10人ほど}が来た、話を聞くと、一年に二回のプログラムで大学の中から学生がインドに来て、研修のような旅をしているとのこと。

 彼らが金曜日一日だけのボランティアしか出来ないとのことで、シスターマーガレットは女の子だけ、登録をしている時間にシュシュババンにボランティア出来るようにしてくれた。

 その間、私はいつものようにいろいろと残った学生や、一人旅をしている子達に話をした。

 シュシュババンに行った女の子たちも戻ってきて、彼らは日曜日のシスタークリスティーの話も聞けないので、いつもより、少し増しでマザーのことなども話した。

 それから、マザーハウスにまだ行っていないとのことだったので、マザーハウスに連れて行き、まずマザーのお墓に連れて行った。

 そして、マザーの部屋、マザーの資料館と彼らはぞろぞろと歩き回っていた。

 マザーの資料館の中ではマザーとともに働くシスターが12人になり、MCが出来た時の写真の前にいた子には、マザーがナンバー1で、アグネスがナンバー2で、ナンバー3のシスターガットゥルーダはまだ生きていて、良く二階のそこにいるんだよ、と教えてあげたりもした。

 しかし、その時はシスターガットゥルーダはいなかった。

 その他にもいろいろと話したりもした。

 登録の時にはマザーが祈ることの大切さをいつも説いていたように来た人たちには伝えている、この時も彼らはサダルストリートに住んでいるので、集団だし、移動はどうにか大丈夫だと思い、アドレーションに少しだけ参加することを勧めた。

 そして、私たちが二階に上がると、シスターガットゥルーダがいつもの場所に腰を下ろしているのが見えた。

 私は学生たちを呼び、彼女のことを話し、彼女と少し話しをしてみたいかを聞いた。

 すると、彼らは頷いたので、彼女のもとに連れて行った。

 彼女がいつもいる場所はプライベートな場所になるので、私が少し様子を伺っていると、彼女から手招きしてくれた。

 シスターガットゥルーダはとても喜んで私たちを迎えてくれ、神さまの愛について語ってくれた。

 彼女はいつもボランティアたちを喜んで迎えてくれる。

 そして、学生たちに「私の子供たちが作ったロザリオ」と言って、全員にロザリオをプレゼントしてくれた。

 学生たちはロザリオがどういうものか、まったく分からなかった、どこかで見たのだろう、首に掛けようとしている子もいた。

 しかし、そのロザリオは小さ目のものだったので、頭には入らなかった、それが何かとても愛らしく思えもした。

 たぶん、学生たちの中には何が何だか分からないけど、年老いたシスターが何か言っているだけと思った子もいたかもしれない、もしかすると、とても喜んでくれた子もいたかもしれない。

 登録のボランティアがこんなことまでするのは、し過ぎかな、とも思わなかった訳でもないかったが、中にはその瞬間の稀なる有り難さを感じてくれる子もいたかもしれないと思い、私は私を慰める。

 そして、私自身もシスターガットゥルーダと話せて、とても幸せだった。

 マザーを知っていても、マザーを尊敬していても、マザーがどのような毎日を生活し、ともに汗と涙を流した多くのシスターたちのことを知らない子達がたぶんほとんどだろう。

 シスターガットゥルーダはアグネスがマザーのところに行き、その二週間後に彼女もマザーのところに行った。

 そして、この三人だけで一年活動したのである。

 私はガットゥルーダを見る度に思う、その瞳は何を見てきたのだろうか、その手はどうのように使われてきたのだろうか、若かったマザーとどんな毎日を暮らしていたのだろうか、血も滲むほどの痛み苦しみを感じてきたであろう、絶望も暗闇も身にしみるほど味わってきたのであろう、どれほどマザーと一緒に神さまに祈ってきたのだろうか、そして、どれだけマザーと微笑みあったのであろうか、私の思いは尽きない。

 シスターガットゥルーダはこの世の中で一番マザーとともに生きてきたかけがえのない特別なシスターである。

 彼女と会うと言う事は、マザーに会っているようなものにとても近いと思う。

 学生たちの中に一人でも、このように思える子がいてくれたらと私は思う。

 
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そう言えば。

2014-02-26 12:07:57 | Weblog

 昨日のマザーハウスの朝のミサは上智のインド人の神父があげた。

 最初から、ちょっといろいろと間違えたりしていて、少しドタバタしているところがあった、やはり場所が変われば、緊張もするのだろうと思った。

 今日は病院の訪問にジェニィを連れて行った。

 火傷の患者が一人亡くなっていた。

 それから、マリアを連れて、昨日の患者バブルーを腹部の検査に連れて行った。

 九時の予約だが、ドクターが来たのは10時近くであり、ほんの数分の腹部のエコーの検査だったが、11時過ぎまで掛かった、インドの病院はいつもこうである、すんなりと時間通り終わることなど、まずないと考えた方が良い。


 今日もこれから登録だが、月曜日に登録をしにきた男性で、私がインド人に騙されないように話をしていたそのままに騙されてきたらしい、いや、まだ騙される前だったが、私の話の通りだったらしく、鳥肌がたったと言う。

 この前の登録の時にボランティアではない日本人の若い男性たちが薬の売人と一緒にシュシュババンに来ていた。

 その時、彼らとは話すことがは出来なかったが、その後彼らと話す機会があり、いろいろと注意するように話した。

 その中の一人の男の子がその売人のことを「あいつはハエですよ、自分たちは一人では会いませんから大丈夫ですよ、、、」と笑って言っていた。

 彼らは分かっていない、インドの怖さと日本人の弱さを。

 と言うのは、もし日本で堅気ではない商売をしている男と旅行客が一緒にいたら、どう思われるだろうか?

 そして、彼らは「ハエ」と馬鹿にしていた男はずっと馬鹿にされたままにいるのだろうか、彼の上にはもっと賢い人も必ずいるだろう。

 日本にヤクザがいるように、このインドにもギャングやマフィアがいることをその男の子たちは想像出来ないのである。

 これが日本人が行方不明になる一つの原因であろう、そして、それだけ日本が安全な良い国である証拠であろう。

 軽い気持ちで彼らは売人のインド人と付き合うのだろうが、しかし、それがどうしようない事態を引き起こす可能性が多いにあり、そして、どうにかなると安易に考える者は、どうにもならない事態が起こることを想像できない幼さがあるだろう。

 私が出会った人たちが、どうか無事に日本に帰ることを祈る、そして、ボランティアをした子達がその生涯に残り続けるマザーからの愛の贈り物を感じられるように願い祈る。
 
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シスターマイケルから。

2014-02-25 16:07:50 | Weblog

 昨日はやっとどうにか身体の調子が回復してたので、午後の登録をした後にアドレーションも終わりまで居ることが出来て良かった。

 昨日朝、マザーハウスで朝食を取っていると、シスターマイケルから呼ばれた。

 シアルダー近くのStテレサ教会の近くに男性の結核の患者がいるので見てきてほしいと頼まれた。

 ちなみにこのStテレサ教会のなかにはマザーが始めてディスペンサリーを開いた場所がある。

 その場所からマザーが初めて家を借りすんだゴメスさん宅はすぐ近くで、その丁度真ん中あたりの路上に患者は寝ていた。

 昨日のシアルダーは一人の母親と赤ちゃんをシャンティダンにジェニィとメリーが運んだ。

 その母親はまだ17歳、そして、メンタルで身体もかなり痩せていた。

 彼女のすぐ近くにはブラウンシュガーはしている男性もいて、彼女もドラッグをしている可能性もあり、どうしようかと一日悩んだが、昨日シャンティダンに運ぶことを決めた。

 このままでその赤ちゃんを彼女は育てることが出来ないだろうと判断したし、また誰かに売ってしまったり、誰かが盗んでしまう可能性もあるからである。

 近くにいた女性たちも、私の申し出に賛成し、彼女自身も受け入れて受け入れてくれた。

 しかし、夜シャンティダンに運んだメリーに話を聞くと、彼女はあまりシャンティダンにいることを望まなかったらしい。

 それは仕方がないことである、ずっと路上で暮らし、集団のなかで暮らしたことのないメンタルな女性がすんなりと集団生活が出来る訳ではない、しかし、短い間でもシャンティダンで愛情あるケアを受け、何かを学び、体調を整えることは良いだろう、それを私は望んだ。

 ジョンとマリオはHopeの病院に患者たちの入院費を払いに行った。

 私とマリアはシスターマイケルから頼まれた患者に会いに行った。

 そこで患者に会い、私たちがこれから病院に連れて行ったりするから心配ないと伝えた。

 その患者には妹が居た、しかし、妹はメンタルで、彼らが寝ている場所から通りを越えたところにする女性が私に言ってほしい、彼女には理解出来ないからと言うので、その彼女にいろいろと伝えた。

 そして、マザーハウスにいるシスターマイケルに会いに行き、いろいろと伝えた。

 患者はレントゲン写真やいろいろなレポートを持っていたが、また血液検査やレントゲン写真、タンの検査などが必要だと言う事だった、私はバライプールに患者を運べば良いものだと考えていたので、これはこれから忙しくなると思った。

 午後にシュシュババンで登録のオリエンテーションで話をある程度してから、またその患者のところに行き、彼が持っていたレントゲン写真やその他のレポートすべてを一度借り、マリアにシスターマイケルにゆっくりと見てもらうことにした。

 私たちが彼のところに行った時、彼はレントゲン写真を地面に置き、それで物乞いをしていた。

 彼は杖をつき、ゆっくりとしか歩けず、また固形物は食べれないほど弱り、腹部も腫れ上がっていた。


 今朝シスターマイケルは朝食時に私たちのところに来て、八時にシスターと一緒にその患者のところに行き、ダラムタラにある聖心会の病院に検査に連れていくことになった。
 
 マリアの他にもしもの場合、力仕事になる可能性もあったのでマリオもマザーハウスに残した。

 八時の待ち合わせだが、九時近くにイタリア人シスターとインド人シスターが来てくれた。

 そして、みんなで揃って、患者に会いに行った。

 最初の病院での検査はすんなりと済んだ、もう一つの検査はシアルダーの方にあるところに行かなくてはならなかった。

 明日私とマリアがその検査には患者を連れて行く。

 シスターたちと病院に行ったりするのはなかなか良いものであった、患者の検査を待っている間、イタリア人シスターと一緒にロザリオの祈りを祈ったり、彼女自身の話を聞いたりするのは興味深かった。

 そのシスターはマザーに会ったことはなかった、しかし、マザーハウスにいるとマザーをものすごく感じるとのことだった。


 このケースはとても難しいケースである、と言うのは、患者にはメンタルな妹がいて、その彼女は患者のワイフだと言っているくらい依存性が高い、その朝患者が彼女のもとを離れる時も泣いていた。

 その時、近くにいた女性に彼女の面倒をみるようにと伝えた。

 患者を戻した時、その彼女に話を聞くと、私たちが去った後もずっと泣いていたと言う。

 いろいろと検査結果が出るのは金曜の夜である、それから、どうすれば良いのだろうか、彼らは離れ離れにするのであろうか、そうせざるを得ないのだろうか、これは私だけではなく、シスターたちもしっかりと考えてくれていると思う。

 どうかうまく行くように、神さまのために美しいことになるように。

 患者は私たちと別れる時、私たち一人ひとりと握手をし、感謝を伝えた。
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サマリアの女。

2014-02-23 11:26:44 | Weblog

 昨日は少しゆっくりと休んだので今日は体調が良い、それが嬉しい。

 昨日は週に一度のシスタークリスティーとの勉強会、カトリックのことやその他、何でも教えてくれる、私にとってはとても贅沢な時間である。

 昨日、さぁ、これからクリスティーと話をしようというところにシスターマーガレットが来て、私にこう言った。

 「明日のボランティアディーにホームスティの日本人ボランティアが三人来るから、彼女は暗くなる前に家に帰った方が良いから、ロレットの祈りが終わり、モティジールに行く前に彼女らをシアルダー駅近くのバス停に送ってほしい」と頼まれた。

 もちろん、私はYesと答えた。

 私は体調をみて、このボランティアディーに参加するかどうかを考えていたが、これで参加することを決めた。

 ちなみに、もう今日だが、このボランティアディーはマザーがMCを作る前の段階の場所を巡礼するような形であり、最後はマザーが青空教室をしていたモティジールで夕食を取ることになっている。

 私は長くカルカッタに来ているが、実はモティジールに行ったことがないので、今回は良いチャンスと思ったが、その前に日本人の子達を送らなければならないので、また機会になってしまった。

 しかし、これで良い、私の今の体調では、このくらいで終わりにしておいた方が良いように思うのは事実だし、マーガレットの頼みは喜んで受けたいのである。

 話は戻る、昨日シスタークリスティーには私の大好きなマザーの本「マザーテレサの秘められた炎」のなかから彼女に質問した。

 生きていたマザーはやはりこの本のなかの内容のようなことは話していなかった。

 マザーが亡くなってから、シスターたちも知るようになったとのこと、それは深くマザーの霊性のことだと思う。

 マザーと神さまとの、あのダージリンの話などはやはりマザーの死後、シスターたちも知るようになった。

 そして、そのことをマザーがマザーの司祭の会の神父に話すようになったのは91、92年頃だっただろうと彼女は話してくれた。

 マザーの書簡集のなかにある、「ベナレスからの手紙」もシスターたちのなかには戸惑いをもって受け入れたシスターもいたとのこと、あの手紙はまさにマザーの遺言であるからかもしれない。

 生きていたマザーのこと、その傍にいたクリスティーとマザーのことを話し合えることはほんとうに貴重な体験である。

 昨日、それゆえ、クリスティーに会う前に「秘められた炎」のなかのサマリアの女のところを読んでから、マザーハウスに向かった。

 やはり何度も読んでも、この場所、いや、この場所に関わらず、この本はほんとうに素晴らしいと思う。

 がしかし、訳の間違いが目立つ、、、。

 ほんとうに素晴らしい本なので、それは残念である。

 いろんなことを話した、そのすべてなど今書く時間はないが、しかし、良い時を過ごし、そのままアドレーションにむかえた。

 やはり体調が良ければ、アドレーションには必ず出たい。

 昨日のように患者を亡くした時などはなお更である。


 今日はマリアを病院に連れて行った。

 ジョンが昨日から嘔吐と下痢で体調が悪く、メリーも休んだ。

 病院では二人亡くなっていた、その前でマリアと祈った。

 駅では昨日亡くなった老人が枕にしていたバッグだけが、その場所に残っていた。

 私はしばらくそれを眺めた。

 そこから、声が聞こえてくるまで。
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花輪。

2014-02-22 12:04:32 | Weblog

 昨日は登録でやはりネットをしにくる時間はなかった。

 身体の調子は最悪に悪く、抗生物質を服薬しても三日目だった、メキシコの子には「いつもあなたは疲れた顔をしている」と言われてしまった。

 登録の仕事をした後はほんとうに疲れきっていた。

 人には無理をしないようにと言いながら、私は無理をしていることが多い、しかし、その矛盾のなかであれ、私が私をケアしているのではないことを感じている、守られていることを、私は感じている。

 
 今日はまたマリアと一緒に駅のフロントを回った。

 マリアは18歳だが、とても柔和なところがあり、私の言うこともすぐに理解し、駅の仕事も楽しんでいる。

 だが、ジェニィは、、。

 バーニーが去り、ジョンとメリーも次の水曜日が最後である、これからのことを考えると悩みだらけである。
 
 私が去った後、マリオとジェニィが残る、マリオもそれをすごく心配していた。

 ジャニィはあまり他人のことをケアしない、と言うのは一人ですぐに先に行ってしまうことが多い、もっと他のボランティアがどのように人と接しているか、など気をつけてみるようにと、何度か話したことが、どうもうまく彼女のなかに、それが入っていかないようである。

 バーニーも彼女がハッピーに駅の仕事をしていないようにも感じると言っていた、それは私もマリオも同意見で、彼女は義務で働いているように見えてしまう、愛で働くようになってほしい。

 しかし、そうしたことを学ぶ姿勢や思考は他者への信頼があってからこそ、育つものであるのだが、彼女は何か深く固いものを持っているようだ。

 それでも、それは私が勝手に決め付けたことでしかない、何度でも、それを壊し、私は努力し続けていく必要があるのだろう。

 
 マリアと歩いていると、駅の壁のところに住む女性が私を呼びとめ、近くに寝ている男性を指差した。

 近づいてみると、老人が寝ていた。

 食べ物は食べれない様子で衰弱していた、私がプレムダンに連れて行くことを私を呼び止めた女性たちに話した。

 彼はまだ話すことがかすかに出来、私の話すことも理解していた。

 ディスペンサリーでその患者はマリオとマリアが施設に運ぶことに決めた。

 チャイとビスケットを食べた後、先にマリオとマリアが患者のところに向かっていた。

 私は車椅子に患者を乗せるに、私が行った方が良いと思い、少し遅れて、そこに行った。
 
 しかし、様子が変だった。

 近づいて、それが分かった。

 患者はすでに亡くなっていた。

 マリアに話しを聞くと、彼らが着いた時には、すでに亡くなっていたと、、、。
 
 私はマリアに謝った、私の決断が遅かったと、、、。

 私は同じ過ちを繰り返す、それも取り返しのつかない過ちである。

 しかし、こう思う私の思考は驕りにまみれている、そのことも感じた。

 マリアには花を一緒に買いに行こうと伝え、マリオには、この場にいるように伝えた。

 歩き出すと、鼻がつんとし、涙が溢れそうになった、私は下を向いて頭を振り、それを避けた。

 マリアに花を選ばせ、患者のもとに戻った。

 マリオにはウエットティッシュを渡し、患者の顔を綺麗にするように言った。

 それが終わると、患者の首に花輪をかけた。

 「祈ろう」と小さい声で二人に言い、私は遺体の額に手を置き祈った。

 患者の顔をずっと眺めた。

 その顔が語る声を聞こうとしていた。

 遺体の語る声を聞く必要があると、私は感じた。

 強い陽射しが患者の顔を照らしていた。
 
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木曜の朝。

2014-02-20 13:36:46 | Weblog

 木曜の朝のミサはボランティアが休みということもあり、ボランティアは少ない。

 今日はバーニーが来ていた、木曜は違う教会のミサに出る彼女だが、久しぶりにマザーハウスのミサに来ていた。

 彼女は昨日下痢で大変だった、と言うのは普通下痢であれば、休んでもらうのだが、昨日は仕事が溜まっていて、どうしても彼女に休んでもらっては困る、そのことを彼女も知っていたので、彼女は無理をして駅に来てくれた。

 無理をして駅に来た理由の一つは明日が最後の仕事になるからである、彼女は土曜からダイナアシュラムに行き、一週間祈りだけをするのである。

 そして、二三日また仕事をしてから、アイルランドに帰るのである、いつものことであり、いつものようにそうするのである。

 たぶん、この祈りの期間がとても必要であり、母国に戻ってからの生活にも意味を深めていくことになるのだろう。

 長くボランティアをして、日本に帰り、精神的に崩れてしまう子達を何人も見てきた私は、バーニーのような祈りに対する姿勢、そこからの恵み、心のあり方は初めてカルカッタ滞在者にはあまり理解出来ないであろうが、実はほんとうに大切なことである。

 話は戻るが、木曜、私はミサの後、ママの家で朝食を取ることにしている、バーニーは少し遠回りになるが、私と一緒に少し歩くことを望んでくれた。

 体調のこと、これからのこと、患者たちのこと、駅のこと、病院の訪問のことなど、歩きながら話した。

 そして、私は昨日病院で患者の男の子と話したことをバーニーに教えた。

 と言うのはバーニーは最初大部屋の訪問が終わった時に、もうトイレに行きたくなり、その後の部屋は私一人が回った。

 その次の部屋脊髄損傷の患者たちのいる部屋に男の子がいる。

 彼が「アンティは?」アンティとは英語、そのままの意味である、この時は私といつも一緒に来ているバーニーのことを聞いたのである。

 私は「今日は休みだよ、また連れて来る」とだけ答えた。

 だが、少し考えて、彼の傍にまた寄り、小声で「パグラ パイカナ コッチェ、アステェ パリニィ」と言うと彼は笑っていた。

 私が何て言ったかと言うのと、事実をそのまま伝えたのである、「下痢をしているから、来れなかった」と伝えたのである。

 私も笑った。

 男の子は可愛い子で、病気は脊髄に腫瘍があり、歩くことが出来ないと言う、悪性のものでなければ良いのだが、どうだろうか、祈るしかない。

 その前日、その男の子と同じくらい歳の子、たぶん、8歳くらいだろう、バーニーと病院に向かう途中、ロレットの学校の前の歩道橋の階段で彼は座りながら、ビニール袋を口にしていた。

 私はすぐに分かり、それを取り上げた。

 バーニーは何をしているのか分からなかっただろう、そのビニールを嗅がせて初めて彼女は分かった。

 男の子はシンナーを朝から吸っていたのだ。

 ビニールを取り戻そうとする男の子はすでにらりっていて、動作が遅かった。

 バーニーはビニールをクシャクシャにし、私はその代わりにバッグから取り出したビスケットをあげた。

 男の子はそれを納得して受け取った。

 バーニーは長いこと、駅の仕事をしているが、こうして見たのは初めてだったと言う、それはまず布で隠しながらしているのが普通だからである。

 その男の子はもうそれもどうでも良いほどだったのであろう。

 問題はいつもありすぎるほどあってしまう。


 マリアが駅に参加して、昨日は二日目だった。

 私と回ってもらった。

 彼女がナーバスになっているのはよく分かるから、何度も彼女を笑わせたりもした。

 最初のプラットホームを歩いていた、彼女は言った。

 「昨日はたくさん人がいたのに、、」

 私は答えた。

 「列車があったんじゃない?」

 彼女は笑った。

 プラットホームの最後の方に女性が寝ていた。

 私は寝ていると思ったが、嫌なほど腕は冷たかった。

 鼻と口から血が出ていた。

 その女性は死んでいた。

 「死んでいるよ。遺体だよ」

 「えっ、違う、寝ている、、」

 彼女は脈と探していた。

 彼女はそんなに簡単に人が駅のプラットホームで亡くなっているとは信じられなかったのだろう。

 私はそのホームには店などがなかったので隣のホームにある店の店員に声を掛け、女性がいつ亡くなったかを聞いた。

 明け方亡くなったらしい、それは嘘ではないことは鼻と口から流れていた血が語っていた。

 「どうすれば良いの?」

 「祈るんだよ」

 それから、遺体を見つけた時の私たちの仕事について、彼女に機械的に教えた、微笑ながら。

 それが最良かどうか、分からない、いや、ほんとうは遺体の顔をきれいにしたり、花を授けたりした方が良かったが、この日はそれをする時間がない、次にしなくてはならないことが溜まっていたのであった。


 今日は休みなので良く書いたが、ほんとうはもっともっと書きたいことがある、しかし、書く時間はない。

 ママの家で朝食を取り、部屋に戻って寝た。

 三時間も寝れてしまった、それだけ疲れている、昨日から抗生物質も服薬し、午後も少し寝て体調を整えたい。

 それと部屋の掃除をしよう。
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モタモティ。

2014-02-18 16:53:56 | Weblog

 モタモティとはベンガル語で意味は英語のSo soのことである。

 今、私はモタモティである、喉の痛みで昨日からロキソニンを服薬している。

 だが、なかなか治まらず、身体もずっとだるい。

 明日はちょっとたいへんな仕事がある、それに備えるため、早く寝よう。

 今日からポルトガルのマリアを駅に加えた。

 今回は駅の仕事に日本人は入れないだろう、いや、入れないと言うのではなく、長く滞在する日本人がいないのである、長くても一ヶ月と言う感じである、そうした子には登録のボランティアを手伝ってもらう。

 今日はモタモティなので書く力がない、書きたいことは頭のどこかに旅をしにいってしまい、戻ってこないので、このあたりで。
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祈ることを。

2014-02-17 12:36:39 | Weblog

 ツアーやホームスティで来る子達はなかなかミサに出たりする子はいない、または一度出れば、それで良いと思うのだろう、二度出る子達は少ない。

 しかし、今日、三人の子が三日間だけのボランティアだが、二度目のミサに出ていた。

 私はそれを見て嬉しかった。

 彼女らの二人はカトリックの学校を出ていたからかもしれないが、ミサに出たい、祈りたいと思うその姿勢と心に出会うとなぜか嬉しい。

 もちろん、ミサに出ないからいけないと言う訳ではない、しかし、嬉しいのである。

 こうした思いはたぶんマザーも思っていたに違いない、マザーは祈る人が好きだった。

 私がカトリックになったからではないと思う、その前から、この思いはあったと思う。

 祈ることにより、自らを深めることが出来たり、省みることが出来たり、神さまやマザーとの会話も沈黙の中から生まれやすいのである。

 彼女たちが短い期間ではあるが、自らを深められるように、私は祈る。


 昨日はこの時期、珍しく一日中雨だった。

 駅はジョンとバーニーと三人で回った。

 びしょびしょになった。

 夜のうちの雨で一度朝方は止んでいたので、もう降らないと思っていたが、10時ごろからまた降りだし、その雨が夜中まで止まなかった。

 ディスペンサリーに行くと、向かい建物の屋根の下で何人かは寝ていた。

 一人の男性が眠らずに半そでのポロシャツを頭まであげ、膝を抱えていた。

 彼は手を振り落とし、私を呼んだ。

 私は彼のまねをして、手を振り落とし、彼を呼んだ。

 彼のための服を用意して待った。

 彼が近くに来ると、びしょびしょに濡れ震えていた。

 そして、下痢をもらしていた。

 雨は路上生活者にとって、ほんとうに厳しいものである、ましてや、メンタルの者にはいっそう辛いものであろう。

 日本の大雪もそうであろう。

 私は彼を前にし、山谷のおじさんたちのことを思った。

 彼にはビスケットをあげ、身体を洗い終わったら、チャイを出すようにディスペンサリーで働いているピーターに頼んだ。

 バーニーとはプラットホームで別れていたので、ジョンと帰った。

 ジョンは言った、私たちはまだこの道をチェックしていないから、この道を通って帰ろうと。

 帰ることしか頭になかった私は、そのジョンの紳士的な思いに触れて嬉しかった、彼はほんとうに優しいし、謙虚である、一緒も働けて幸せである。


 今日はバーニーと二人で病院に向かった。

 昨日は一人で病院に行った、大きな遺体が一つ運搬用のベッドの上にあり、両手はだらんと落ちていた。

 今日、一つの空きのベッドがあった。

 そこにいた患者は私もバーニーも良く話した患者だった。

 彼が来たのは一週間前ぐらいであろう、最初は私たちの訪問をとても喜んでいた、しかし、次第に病気の不安や恐怖が増してきたのであろう、脅えた表情しか見せなくなってきた。

 その彼に私は昨日触れた、ベッドの上で丸くなった彼の身体に触れた。

 彼はその後亡くなったと今朝知らされた。

 患者のいないベッドに向かい、手を合わせた。

 私は彼に何をしたのか、今思い返している、アドレーションでゆっくりと祈りたい。

 その後三階に行った、遺体は四体あった、その一つひとつの遺体の前で冥福を祈った。
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登録のボランティア。

2014-02-15 11:50:10 | Weblog

 やはり登録のボランティアを始めると、何かと忙しい。

 午後何も用事がない日は火曜と木曜のみである。

 昨日は午後登録のボランティアのためにシュシュババンに行くと、メルシーマリアに呼ばれた。

 マザーハウスの前に男性が寝ていて、ズボンを履いていないから履かせてほしいとのこと、私は男性のズボンを履かせることは出来ないからと言われた。

 スペイン人のカルカッタ滞在の長いボランティアと一緒にマザーハウスに向かった。

 男性は若い男の子だった、たぶん、年齢は二十歳ぐらいだろう、腕にはドラッグした後がたくさんあった。

 ドラッグで飛んでるのか、彼はうとうとしていた、彼にズボンを履かせることは何ら問題はなかった。

 そして、またシュシュババンに戻り、メルシーマリアに彼のこと{ドラッグをしている}を伝えると、彼はいつもドラッグをするために血だらけであることが多いと話していた。

 首筋に傷があったけど、どうする?と聞くと、まぁ、そのままで良いとのこと、彼は今朝もマザーハウスの前で寝ていた。

 登録に来る子達はやはりレイプの問題などが表面化してきた所為であろう、日本人のボランティアの数は明らかに少ない、皆、短期間でホームスティかツアーで来ている子達である。

 ならば、断然、短い期間であれ、その子達のカルカッタでの滞在が美しいものになるように願い込めて、話をする。

 彼らが深くマザーを知れるように、愛し愛されるように、話をする。

 もちろん、安全でこのカルカッタの日々が送れるように話もする。

 話は少し違うが、二十歳の子たちが昨日来た、話を聞けば、私の隣街の出身で親は何と私の年下と言う。

 改めて思う、かなり長い間をここに来ているんだと、しみじみと思った。


 今日は患者一人プレムダンに運んだ、両足にうじ虫のいる患者である。

 そして、以前カーリーガートに運んだ、足に鉄が入っている患者のこの後どうするかを相談するためにバーニーとマリオが向かった。

 オペが必要であれば、病院に運ばなくてはならない。

 
 以前に書いたことがあるポルトガルの女の子マリアは何と18歳だった、私と背丈はあまり変わらないし、大人っぽく見れるので24,5には見えた。

 昨日の朝、私は彼女の髪の毛にシラミの卵を見つけた。

 それを教えると顔を赤くし、かなりショックの受けていた。

 彼女はシャンティダンで働いている、やはりシラミは簡単に移るのでのあろう。

 アドレーションの時、シラミ除去のシャンプーを買って、彼女にあげた。
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