カルカッタより愛を込めて・・・。

今月のアピア40のライブは3月21日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

明日の山谷には。

2018-08-31 17:38:50 | Weblog

 

 明日の山谷のMC{マザー・テレサの修道会 Missionaries of Charityの略}にはMCブラザーの会の総長ブラザーポールがいる。

 ブラザーポールは総長として山谷のMCの視察にいま来ている、初めての来日である。

 イギリス人のクリスは明日ブラザーポールに会うのを先週楽しみにしていた。

 ブラザーポールはイギリス人父とインド人母のハーフでイギリス育ちだからである。

 山谷にいるブラザートーマスはコルカタでの終生誓願の時の指導ブラザーがブラザーポールだったので、彼もブラザーポールに会うのを楽しみにしていた。

 私もブラザーポールとは会ったことがないので会うのを楽しみにしている。

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休日には。

2018-08-31 15:28:55 | Weblog

 

 朝食後に緑のカーテンの手入れをした。

 休みの日は掃除をする、これはカルカッタにいる時も同じことであった。

 トイレ掃除をする時はマザーとガンディーを思い、掃除をする、マザーもガンディーもトイレ掃除を大切にしていた。

 シーツなども洗い、布団も干した。

 もうライブの練習もしてきた。

 あとはこのブログを書いてからトレーニングをする。

 昨日アマゾンで注文したマザー・テレサの本三冊が届いた。

 それをパラパラとめくり目を通すと、とても良い感触、読む前から出会えて良かったと思えた。

 この三冊は「愛ーマザー・テレサ 日本人へのメッセージ」「マザー・テレサ 最後の愛のことば」と和田町子氏の書いた「人と思想 マザーテレサ」である。

 いま町田氏の書いた本を開くとちょうど私が働いていたシアルダーのディスペンサリー{治療所}のことが書いてあった。

 オキさんの撮った写真もあった。

 がしかし、町田氏はシアルダーではなく、シエルダになっていて、治療所ではなく施薬所であった。

 もちろん、施薬所でも良いのだろうが、無料の診療所、また無料の治療所の方が実際働いてた私にはしっくりくる気がする。

 他にも記述の間違いなどはすぐに分かったが、もうこうしたことを見つけることにも慣れた、私も良く思い違えもすれば、書く文章に誤字脱字も多いのであるし、きっと他のマザーの本を読んで書いたのだろうが、信頼できるマザーの本はやはりマザーの修道会が出しているものに限るだろう。

 「日本人へのメッセージ」の最後の方をちょっと開いて見ると、遠藤周作氏の名前が出て来た。

 遠藤氏の編集者であり、師弟関係にあった加藤宗哉氏へのマザーからの洗礼の祝いの手紙があった。

 そこにマザーは遠藤氏が加藤氏の代父になったことを喜んだことが書いていた。

 遠藤周作氏のファンとしてはその一文を読んだだけで、この本に出会えたことに感謝した。

 この本の最後の方に加藤氏は「平均的日本人から見たキリスト教への疑問・質問」として、マザーにインタビューをしていた、その部分はまだ読んでいないが、加藤氏は遠藤氏の影響もあったに違いないが、マザーとの出会いにより、カトリックの洗礼を受けたのであろうことは喜びを持って推察出来た。

 遠藤氏も生涯マザーを聖人をして崇めていたのである、それはそれは加藤氏の洗礼を喜んだことであろう。

 

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トレーニング。

2018-08-30 10:54:35 | Weblog

 

 もう腰痛回復のために始めた体幹トレーニングは3年以上してきた。

 おかげで朝、腰痛のために目覚めることはまったくなくなったし、仕事中も腰痛を感じることは稀になった。

 ヨガにも一時期はまったが頑張りすぎ、無理をして、膝を痛めてしまうようになり、今はトレーニングの三割ヨガ、七割体幹トレーニングと言う風にしている。

 これで今はかなり身体も引き締まり、調子が良いので満足している。

 あとは入浴の時、鼻うがいもしている、特に塩を使ったりはしていないが片鼻ずつ行っている、これをするようになり、ライブの前、練習のために歌うことが多くなった時でも喉の痛みなどはあまり感じなくなったし、一年に一度か二度は行っていた耳鼻科に行かなくてもよくなった。

 トレーニングをする時の私の心構えは自分に負けないようにすることである。

 この世の中では過去と他人は変えることは出来ないが、自分自身だけは変えることが出来る、その思いでクーラーを止めた部屋で白湯を飲みながら汗だくになってしている。

 トレーニングの最後はヨガの肩立ちのポーズと頭立ちのポーズをし、ストレッチをして終わる。

 そして味わう爽快感は何とも言えない、結局自分に勝ったのではなく、そこでは勝ち負けは関係なく、ただ与えられたのだと思う瞬間でもある。

 こうして私はトレーニングを続けられている、まったく有り難いことである。

 

 月曜の休肝日の夜にまた夜な夜なアマゾンでマザー・テレサの本を三冊買ってしまった。

 これは以前読んだマザーの本の参考文献にあった三冊である、もうそろそろ買おうにも買いたいマザーの本が無くなってしまうのではないかと思っている。

 だが、マザーの修道会が「マザー・テレサ 来て、わたしの光になりなさい」の次に出した本は未だ翻訳されていない、この本をどこかが翻訳して出版してくれないかと願っている。

 それと100分de名著でこの前河合隼雄氏の特集していた最後に「ユング心理学と仏教」を紹介していていたので、今はこれを再読している。

 しかし再読してみると、以前は気にならなかったのだろうが参考文献から気になるのが出てきてしまい、これもアマゾンで注文してしまった。

 まだ読んでいない本も数冊あるのに・・・。

 しかし本を買うことは、どこかを旅しているのかのような、そのチケットを買っているようなものだと勝手に納得している自分がいる。

 

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水神を読んで。

2018-08-29 11:50:23 | Weblog

 

 帚木蓬生氏の「水神」を読み終えた。

 彼の「守教」を読み終えてから、それが彼の筑後三部作の最後の作品だと知り、それでは前の二作も読まなくては思い、まず最初の「水神」を読むことにした。

 百姓文学の傑作だと思った。

 どのような苦労・苦難を当時の農民が代々していたかが筑後川の香りと水の味と音を直に感じさせるほどに本に吸い込まれるようにして読めた。

 実話をもとにし書かれたこの作品は代々水不足に悩んで生きて来た筑後の江南原の農民のために五庄屋が身代と命を懸け、筑後川から用水路を作る大事業の話しであるが、それはまるで奇跡のような話し、誰も思いつかなかったことを成し遂げた五庄屋の生き様が神がかっていた。

 筑後川に彼らが作った大石堰、いつか見に行ってみたいと思わずには居られなかった。

 そこで当時の農民たちの、彼らがそれまでの生涯に味わったことがなかった喜びを想像してみたい。

 大石堰が出来る前と出来た後の農民の思いを想像してみたい。

 自分たちの利益のためだけではなく、他人の利益のためにも命を捧げようとした五庄屋の思いも想像してみたい。

 何も知らなければ、ただの堰かも知れないが、知ってしまえば、それはまったく違った景色になるであろう、あまりにも美しい喜びの堰に見えるのだろうと、見ても居ないうちから私にはそう思えてならない。

 この「水神」を読んでから、少し話しはずれるが仕事で佐賀出身の利用者に家に行くと、私は筑後弁で話しをしようとする。

 だが、佐賀は藩が違うのでまた少し方言が違い、少し話して私の筑後弁は口のなかに納まってしまうのである。

 ただ筑後の言葉を話すと、何故か小説に出て来た農民たちに心をほんの少し寄せることが出来るような気がした。

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ケンの最後の仕事。

2018-08-28 11:18:40 | Weblog

 

 ケンは4週間のカルカッタ{現コルカタ}のマザーテレサのところでのボランティアを終え、ニュージャージーに自宅に戻った。

 今回もケンは主にハウラーのステーションボランティアをしていた。

 だが、どうだったのだろうか、前回は半年いた、今回は4週間、短い期間でのそのモチベーションは。

 色々と自分に置き換え、想像してみるが、それでも、あの場にいることはやはり喜びに満ちていたのだろうと、私は思う。

 マザーハウスでのミサ、アドレーション、何よりもマザーのお墓に触れ、マザーと会話が出来ることが比類ない癒しと喜びだったに違いない。

 ケンのステーションでの最終日はハード{厳しいと言えば良いのか、それより私にはHardと言った方がぴったりくる気がする}だったようだ。

 ケンは最後のプラットホームを歩いていた。

 たぶん、ケンはこの4週間の滞在を振り返っていたのかも知れない、このプラットホームを歩き終えたら、次はいつまたここに戻って来れるのか、今回も素晴らしいカルカッタであったなどと目に映るものすべてから愛が溢れ出してくるような感覚に包まれていたのかも知れない、私がいつもそうだったように。

 しかしケンは最後のプラットホームで瀕死の患者に出会った。

 その患者は車椅子に乗せてからしばらくすると亡くなった。

 行き倒れの死を目の前にし、怒涛のように溢れ出してくる疑問や怒りや哀しみ、何故と言う問い、この死の意味を見い出そうとする思い、この人の人生を思いやる思い、そして祈り。

 ケンが真剣な顔をして車椅子の上で亡くなった患者に触れている姿が私には目に浮かんだ。

 それからケンはマザーハウスのマザーのお墓の部屋で行われるミサに行き、患者のことを祈ったのであろう。

 そしてケンが慕っているシスタールーツに会い、その日の駅の出来事を話したそうだ。

 ケンは癒され幸せに包まれたと書いて来た。

 たぶん、ケンはまた司祭になる思いを強めたのではないだろうか、と私は思う。

 簡単に書いてしまったが、この現状の空間にはケンの汗や涙、患者の死臭と激しい痛み孤独、激しい雑踏とカオス、死と生、問いと沈黙、神との会話、マザーとの会話、愛が溢れ滲んでいるのである。

 

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マザー・テレサの言葉から。

2018-08-27 10:46:38 | Weblog


 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 {マザー・テレサ}

 私が思うには。

 思考に気を付けるとは、客観的に自分自身を見詰めるもう一人の自分を自分のなかに存在させることである。

 言葉に気を付けるとは、そのもう一人との自分との内なる会話を始め、瞬時に言葉にするかしないか、した場合、どうなるのか、する意味は如何なるものか、しようとしている意味は如何なるものかを考えている状態である。

 行動に気を付けるとは、マザーが言う場合は愛の行いになっているのか、どうかを考えて行動しなさいとのことになるだろう。

 習慣に気を付けるとは、常に祈りに続け、いつでも自分の過ちや驕りに気付けるようにあることである。

 性格に気を付けるとは、その性格やそこから来る感情を乗り越えように諦めない努めなさい、謙虚さを育みなさいと言うことである。

 いつか運命になるとは、その運命は自らが変えられるものであると言う、真実と深い期待から来ている。

 そしてすべてを喜んでやりなさい、微笑むことが難しい時があったとしても、微笑むようにしなさい、そうしなけば、微笑みの素晴らしい力を知ることが出来ないのだから、微笑みの力をまだあなたは知らないのです、それはあなたのなかに必ずあると言う、マザーの声を聞くようにして。

 {思考に気を付けなさい}のマザーの言葉の最後に「運命になる」とあるが、そこで自分自身は何も変わっていない、運命も変わっていないと思うこともあるだろう、ならば、また最初から{思考に気を付けなさい}から始め直しても良いだろう、また一つ前に戻っても良いだろう、その前に戻っても良いだろう。

 ずっと思考に気を付け続けるならば、いつか運命も変わっていくかもしれないのである。

 なぜなら、いままでしなかったこと、出来なかったことをし始めることですでに以前の自分とは何かが変わっているのであるから。

 ただあなたはあなたを諦めてはならない、神さまはあなたをずっと見守っている、愛している、だから、あなたはただ「し続けて」と切にマザーは願い祈っているのではないだろうか。

 あなたの知らないあなたはずっとあなたを待っている、あなたとの喜びの出会いをずっと待っている。

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今日はマザーの誕生日。

2018-08-26 12:04:20 | Weblog

 

 今日はマザー・テレサの誕生日である。

 今朝のミサではマザーのこと、私がマザーを通して出会った友達のこと、そのすべてに感謝しながら祈った。

 昨日山谷のMC{マザーテレサの修道会の略}にはイギリス人のクリス、とクリスの友達シノちゃんが来た。

 またもやマザーやカルカッタの話しで盛り上がった。

 彼女は先月レバノンとヨルダンのMCに行ってきた、そこのMCシスターたちの話しもとても興味深いものだった。

 彼女が会いたかったシスターはイタリア人の管区長のシスターリオだった。

 シスターリオは来月シリアに行くからシノも行かないかと何気なく言ったらしい。

 しかしそう言われても簡単に行ける訳もなく、彼女は断ったとのことだった。

 そしてシスターは言ったらしい、「死ぬことは怖くはない、むしろ喜びである」と。

 イエメンでシスターたちが銃殺された時も総長のシスタープリマは殉教の喜びを語った。

 このいまも危険な地域でマザーの子であるシスターやブラザーたちは働いている。

 そして今日はマザーの誕生日を祝福しているだろう。

 「マザー、誕生日おめでとう!」

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月が綺麗だった。

2018-08-23 12:08:06 | Weblog

 

 昨夜愛犬のあんと夜の散歩をしていた。

 おぼろげに白さをまとい、光り輝く月が綺麗だった。

 「月が綺麗」と思うと、私はどうしてもいつも漱石の「I love you」を思い出す、漱石は「I love you」を日本語に訳すと「月が綺麗ですね」と言う風になると言ったらしい。

 さて、私は誰に「月が綺麗ですね」と言うのだろうか、と考えた、次の瞬間には星に目が行った。

 7月に紀伊半島の尾鷲に行った時に見た夜空の星が綺麗だったことを思い出していた。

 昨夜は星が良く見えたと思うが、流石にタダさんが住んでいる尾鷲の星の数には到底かなわないと思った。

 その時、今度はタダさんはお酒は飲まないが、出来たら一緒に飲みたいものだと考え、芋焼酎を一滴でも入れた水割りぐらいなら飲めるのではないかと考えた。

 その瞬間だ、エッグのことを急激に思い出した。

 エッグは小学生からの同級生で中一の時に眉毛を剃っていたら、どうにもならなくなり、眉毛を全部剃り、中学の近くに出来たセブンイレブンのレジにいた女性に「この子、何かおかしいと思ったら眉毛がないんだね。なんか玉子みたいだね」と言われたことが切っ掛けでそれ以降生涯エッグと言われるようになった。

 エッグとは一緒に内装業を働いていたこともあった、ガキの頃からバカな奴だが憎めない奴だった。

 そのエッグはもう数年前に脳腫瘍で亡くなった。

 亡くなる前にエッグと最後に飲んだ時のことが思い出された。

 「テツ、オレ、もうダメなんだよ。飲めなくてさ。だから、一滴だけ芋焼酎を入れてくれるかな」

 飲まない、飲めない、自分の姿などヤンチャをして来たエッグは認められなかったかも知れない、病気に負けたくないとあがいていたのかも知れない、一滴でも芋焼酎を入れれば、それはただの水ではなく、水割りになると考えていたんだろう、それと同時に私に弱音も吐きたかったのだろう。

 「エッグ、芋焼酎一滴だけ入った水割りは美味しかったか。もうまた今は浴びるように飲んでいるのか」

 綺麗な月を眺めながら、私はエッグに話し掛けていた。

 祈りのように。

 あんは楽しそうに電柱をクンクンしていた。

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夜香木の香り。

2018-08-22 13:32:49 | Weblog

 

 いつもライブの前は忙しくなる、仕事に行く前に近くのカラオケ屋に週に二三度歌いに行くからである。

 今も歌って帰って来た。

 それから緑のカーテンにしっかりと水をあげ、明日には収穫して良いだろう、ゴーヤの目星をつけ、蕾をたくさんもった夜香木を家のなかに入れるためにその鉢を洗った。

 夜香木はその名の通り、夜に咲き、夜に香る、そして、朝になると私とは逆に眠るように花を閉じ、香りは消えている。

 だから、私が夜起きている間だけでも愛でてあげたい、夢のように朝には消えてしまう香りにも、「私はここであなたを喜んでいる」と心で伝えてあげたいと思うのである。

 今日も有り難い一日、つつがない一日であるように、あなたに笑みがあるように。

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アサダが見守っている。

2018-08-21 11:37:03 | Weblog

 

 一緒に高尾山に行った文化学院時代の友達タマ、エリ、ユウは、彼女らが18ぐらいから知っている、友達になってからもう25年くらいは経っていた。

 にも関わらず、まったく変わらないように私たちの間柄はあり、学生時代と変わらないようなバカ話しで盛り上がる。

 しかし長い年月にはそれぞれ様々な人生があった。

 ユウの話しはあまりにも重かった。

 信じられないような話しであり、聞きながら胸が引き裂かれる思いになった、到底ここでは書けない。

 そんな酷い人生を歩んでいるユウがアサダのことを話した。

 アサダとはもう15年前に脳腫瘍で亡くなった私たちの友達のことである。

 「ワタシね、ケンちゃん{アサダ}が夢に出て来たので一番鮮明に覚えている夢があるの。ケンちゃんがね、どこの場所だかは分からなかったけど。ワタシの隣に来て言ったの。オレは忙しくしているけど、ちゃんとユウを見守っているからって、ケンちゃんが言ってくれたの。ケンちゃん、天国で忙しくしているんだって」

 ユウは笑いながら言った

 私はそれを聞いて、条件反射のように瞳から涙が溢れて来た。

 そうなのか、アサダはちゃんと見守ってくれているのか、やっぱり死んでもオマエは良い奴だ、これからもユウを見守っていてくれと心のなかで呟いた。

 アサダよ、オマエは天国でどんな毎日を過ごしているんだい。

 千の風のようにあるのかい。

 だったら、私は風に向かって話しかける。

 微笑みながらな。

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