アサダが脳腫瘍で亡くなったのは2002年7月17日のこと。
アサダは私の文化学院時代の後輩で弟のような奴だった。
私はアサダの死に目にはあと少しのところで間に合わず、呼吸を終えたばかりのアサダと会った。
病室に時は流れていたけれど、どこかで止まっているような感じと否応なしに動かせれている時間がごっちゃになっていた。
「アサダ、お疲れ」
もう苦しむことはないアサダに安堵していた私が呟いた。
別に死に目に会うことが一番だとは思わない、アサダにだってアサダの時間はあるのだから、ただ仕方ないのことだと、今でも思っている。
あれから、私たちは別の時間を過ごしてきた。
アサダは天国、私は現在。
私はアサダの想い出とともに生きてきた。
アサダのおかげで翌年から命日近くの日曜日にはお墓参りの名目、アサダの飲み会が始まった。
気が付けば、今年で20周年のアサダの飲み会になった。
今年は3年ぶりの参加になるサワキと新宿のキヨスクの前で待ち合わせた。
サワキはすでにベンチに座り、500ミリ缶のサワーを飲んでいた。
私もすぐに350缶の一番搾りを買い、対戦し始めた。
ここのところ、随分雨が降ったおかげで、空は良く晴れていたがさほど暑くはなかった。
サワキと新宿で会い、まず一杯やるのが、私のアサダの飲み会の通常であり、喜びである、それをまた今年も味わっていた。
「つづき}