昨日、小学校の同級生のまっちゃんから夜九時半過ぎにラインが来た。
まっちゃんちの柴犬クーは下半身麻痺になり、ヘルニアだと思われ、手術のために検査をした結果、ガンだと分かり、8月4日に安楽死させたとのことだった。
ほんとうに辛い決断をまっちゃんはしたであろうことは、愛犬あんと暮らしている私には胸が痛むほど分かった。
クーとまっちゃん、まっちゃんがもう一匹飼っている甲斐犬リキはあんの数少ない友達であった。
あんはあんが小さい時に一緒に遊んだ犬や人間を忘れない。
何よりもまっちゃんがリンゴのダンボールに入れて、あんを家に連れて来てくれたのであった。
あんがそれを覚えているかどうかは分からないが、それから何度も散歩中にまっちゃんとクー、リキと会うと、あんは物凄く喜んだ。
一緒に遊んだクーがもう居ないとなると、あんよりもきっと私の方が哀しいであろう、私も必ずあんと別れる日が来るのである、それを否応なしに考えてしまうからである。
まっちゃんはラインでこうも書いていた「かなりこたえるね、年老いてからは、赤ちゃんだった頃よりも可愛く思えていたから。しばらく寂しさが襲ってくるよ・・・」と。
犬の寿命は早い、それは人間にとって、飼い主にとって、そう思わずにはいられないのだろう、しかし、犬はそんなことを関係なしに、いつも傍にいて癒してくれる。
私とあんの時間、それはかけがえのない時間であると言うことを死が教えてくれる。
死は永遠の別れであるが、想い出、魂に永遠の別れはない。
私とあんはそれを今日も育んでいる。
あん、喜んでいようではないか。