カルカッタで私の隣の部屋に住んでいたアメリカ人のケンはいまシカゴにある神学校に通っている。
彼は先週末アイオワにあるニューメレレー修道院に黙想をしに行った。
この男子修道会は祈りのうちに素朴な田舎の生活をし、棺桶を作っている。
ケンは「小さな棺桶を見るのは辛かった」とメールで教えてくれた。
私も「カルカッタで小さな棺桶を見るのがとても辛かった」と返した。
ケンはこの修道会の生活がとても気に入ったらしく、6月には体験コースを過ごすらしい。
生活のすべてが神への祈りのうちにあり、俗世間とは離れた場所で魂の行いを糧にしているような修道会だと私は思った。
この修道会の近くにはケビン・コスナーの「フィールド・オブ・ドリームス」の撮影現場がある。
私がこの映画を好きなことを知っているケンは修道士にその場所のことを聞くと、修道士は「日本人がその撮影現場を良く見に来ている」と教えてくれたとのことだった。
先週土曜の朝のこと、私は「今日は何事も起こりませんように」とその前の週に起こったことに未だ癒えていない弱さから祈った。
だが、すぐに「そうではない」との声が私の心のなかに浮かんで来た。
その声が続けてこう言った「何事も起こりませんようにではない、それではお前のことしか考えていないではないか。お前は寒さのなか、空腹でカレーをもらいに来る人たちのことを忘れているのか」と。
私は自分の未熟さを振り払うように頭を振り、「そうです。彼らのことをもっと思わなくては。自分のことよりも彼らのことを。彼らに愛を」と。
カレーの炊き出しの場では先週ケンカを売られたメガネのおじさんが私の前に来て律儀に「先週はご迷惑を掛け、どうもすいませんでした」と頭を下げて言った。
私は「たいへんだったね。だけど迷惑なんかじゃないからね。これからもよろしく」と答えた。
彼は数秒間私から目を逸らさずに心のなかで何かを言ってから、もう一度頭を頭を下げてから去って行った。
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