先日、かおり姐に会った。
かおり姐は旅行中に出会った友人ではない。この旅行記にはそぐわないかもしれないが、旅行前からの古い友人で、今も変らぬ交友を続けている。
そして、旅行中に非常にお世話になった人でもあるのだ。かおり姐は六年以上も、私の荷物を預かってくれていたのである。
七年前、私達は同じ職場の仲間だった。五歳年上のかおり姐は私にとって人生の先輩であり、よき相談相手でも会った。私達は他の仲間たちと共に昼食を食べ、時には仕事のあとに揃って外食に出かける事もあった。かおり姐は常に先頭に立ち、皆のまとめ役になっていた。
当時は仲間のほとんどが独身で二十代、年長のかおり姐も独身で、生涯結婚することはないと公言していた。そのキャリアウーマンぶりが、私にはとても魅力的に見えた。
私が仕事を辞め、旅行の準備をしていた頃、かおり姐が荷物の保管を申し出てくれたのだ。部屋を空けてしまった私にはとても有難く、かおり姐の気持ちに感謝し、あまえてしまった。たくさんの人の気持ちを受けて、私は、旅に出発した。
旅行に出て一年半後、私は一時帰国をした。十日間の短期滞在中に、かおり姐と会う機会を作った。
かおり姐は結婚していた。
幸せそうな笑みを浮かべ、この一年半の間に起こった事を報告してくれた。
私が旅に出た直後に夫となる人と知り合い、相思相愛の仲になり、すぐに結婚を決意したという。彼の方もかおり姐の意志をとても尊重してくれ、大きな問題もなくすんなり家庭にはいれたという。
私はかおり姐の変わりように目をみはった。以前の仕事師ぶりは微塵もなく、家庭を守る主婦の姿がそこにはあった。一生、独身を貫くのではなかったのか。仕事に生きるのではなかったのか。会う前に抱いていた疑問はかおり姐の誇りに満ちた笑顔をみていたら、自然に消しとんでしまった。なんだかこっちまで結婚してしまった様な、幸せな気分になってしまった。
その時、かおり姐は、赤ちゃんができたかもしれないと秘密めいた口調でいった。
--まだわからへんけどね。心配するといけないから誰にも言うてへんねん。
刺激になっては困ると思い、按摩をするのはやめてひたすら話す事に没頭していた。
私は、次の帰国後に会うのを楽しみ、再度、日本を発った。
私は旅行中はあまり連絡をとらない。Eメールや手紙を書いたりはするが、電気事情や郵便事情がよくなかったらそれまでだ。それに加え、私の旅行中の時間の流れと日本で生活する人達の時間の流れは、決定的に違う。現地の生活をする私と日本の家庭を守るかおり姐の間には、連絡をとる手段が、全くといっていいいほどなかった。
私はかおり姐のお腹にいた小さな粒がどうなったかのさえもわからず、期待と心配をおりまぜて、数年経ってから帰国した。
帰国して、大阪に戻ってすぐ、かおり姐と再会した。
かおり姐のお腹にいた小さな粒は、四才の元気な女の子になっていた。よく笑い、よくしゃべり、大きな声を出しながら家中を走り回る。なんとその女の子には妹までできていた。初めて見る私に人みしりをして、離れたところからじっとこちらを窺っている。
かおり姐は、以前にも増して、立派な主婦となり、お母さんになっていた。
幾度か会ううちに人みしりの激しかった下の女の子も私に懐くようになり、「シブちゃん、シブちゃん」と呼ばれながら一緒に公園を走り回るようになった。子供の相手をするのに慣れていない私には重労働であったが、かおり姐はでんとして上手に遊び相手をしていた。
私が日本にいなかった五年十ヶ月の間、ほとんどの旧友たちは生活を変えていた。結婚した友人、出産した友人、離婚した友人、それら全部を済ませてしまった友人、孫ができた年上の友人もいる。音信不通になったしまった友人も少なからずいた。
その中でもかおり姐は、見事なまでに変身した友人のひとりだ。私の出国時にもっとも心配してくれた仲間のひとりであるかおり姐。そんなかおり姐の幸せな顔をみるのは、とてもうれしいものだ。
以前は同じ職場の仲間だったかおり姐。現在は私と両極端の位置にいるかおり姐。
私がかおり姐の人生をとても敬意をもってみている様に、かおり姐の方も私の行動を意味ある事とみていると、私は、思っている。
私たちの交友は、すでに親子二代にわたって続こうとしているのだ。
かおり姐は旅行中に出会った友人ではない。この旅行記にはそぐわないかもしれないが、旅行前からの古い友人で、今も変らぬ交友を続けている。
そして、旅行中に非常にお世話になった人でもあるのだ。かおり姐は六年以上も、私の荷物を預かってくれていたのである。
七年前、私達は同じ職場の仲間だった。五歳年上のかおり姐は私にとって人生の先輩であり、よき相談相手でも会った。私達は他の仲間たちと共に昼食を食べ、時には仕事のあとに揃って外食に出かける事もあった。かおり姐は常に先頭に立ち、皆のまとめ役になっていた。
当時は仲間のほとんどが独身で二十代、年長のかおり姐も独身で、生涯結婚することはないと公言していた。そのキャリアウーマンぶりが、私にはとても魅力的に見えた。
私が仕事を辞め、旅行の準備をしていた頃、かおり姐が荷物の保管を申し出てくれたのだ。部屋を空けてしまった私にはとても有難く、かおり姐の気持ちに感謝し、あまえてしまった。たくさんの人の気持ちを受けて、私は、旅に出発した。
旅行に出て一年半後、私は一時帰国をした。十日間の短期滞在中に、かおり姐と会う機会を作った。
かおり姐は結婚していた。
幸せそうな笑みを浮かべ、この一年半の間に起こった事を報告してくれた。
私が旅に出た直後に夫となる人と知り合い、相思相愛の仲になり、すぐに結婚を決意したという。彼の方もかおり姐の意志をとても尊重してくれ、大きな問題もなくすんなり家庭にはいれたという。
私はかおり姐の変わりように目をみはった。以前の仕事師ぶりは微塵もなく、家庭を守る主婦の姿がそこにはあった。一生、独身を貫くのではなかったのか。仕事に生きるのではなかったのか。会う前に抱いていた疑問はかおり姐の誇りに満ちた笑顔をみていたら、自然に消しとんでしまった。なんだかこっちまで結婚してしまった様な、幸せな気分になってしまった。
その時、かおり姐は、赤ちゃんができたかもしれないと秘密めいた口調でいった。
--まだわからへんけどね。心配するといけないから誰にも言うてへんねん。
刺激になっては困ると思い、按摩をするのはやめてひたすら話す事に没頭していた。
私は、次の帰国後に会うのを楽しみ、再度、日本を発った。
私は旅行中はあまり連絡をとらない。Eメールや手紙を書いたりはするが、電気事情や郵便事情がよくなかったらそれまでだ。それに加え、私の旅行中の時間の流れと日本で生活する人達の時間の流れは、決定的に違う。現地の生活をする私と日本の家庭を守るかおり姐の間には、連絡をとる手段が、全くといっていいいほどなかった。
私はかおり姐のお腹にいた小さな粒がどうなったかのさえもわからず、期待と心配をおりまぜて、数年経ってから帰国した。
帰国して、大阪に戻ってすぐ、かおり姐と再会した。
かおり姐のお腹にいた小さな粒は、四才の元気な女の子になっていた。よく笑い、よくしゃべり、大きな声を出しながら家中を走り回る。なんとその女の子には妹までできていた。初めて見る私に人みしりをして、離れたところからじっとこちらを窺っている。
かおり姐は、以前にも増して、立派な主婦となり、お母さんになっていた。
幾度か会ううちに人みしりの激しかった下の女の子も私に懐くようになり、「シブちゃん、シブちゃん」と呼ばれながら一緒に公園を走り回るようになった。子供の相手をするのに慣れていない私には重労働であったが、かおり姐はでんとして上手に遊び相手をしていた。
私が日本にいなかった五年十ヶ月の間、ほとんどの旧友たちは生活を変えていた。結婚した友人、出産した友人、離婚した友人、それら全部を済ませてしまった友人、孫ができた年上の友人もいる。音信不通になったしまった友人も少なからずいた。
その中でもかおり姐は、見事なまでに変身した友人のひとりだ。私の出国時にもっとも心配してくれた仲間のひとりであるかおり姐。そんなかおり姐の幸せな顔をみるのは、とてもうれしいものだ。
以前は同じ職場の仲間だったかおり姐。現在は私と両極端の位置にいるかおり姐。
私がかおり姐の人生をとても敬意をもってみている様に、かおり姐の方も私の行動を意味ある事とみていると、私は、思っている。
私たちの交友は、すでに親子二代にわたって続こうとしているのだ。