私は中国大陸には何度か行っている。
私は中国に一歩入れば中国人だ。多少発音は悪くても(日本時の話す北京語は、えてして南方訛りに近い)、普通語(北京語)も満足に話せない田舎者として扱われる。切符を買うときも(ひと昔前まで外国人料金制度があった)、市場で買物をする時も、中国の衣類に身を包み、人民らしい風貌の私を誰ひとり日本人としては見ない。初めての町で、道を訊かれる事も良くあった。
そんな私は、東南アジアでもアフリカ大陸でも中国人(大陸人、台湾人、華僑)には親切を受け、非常にお世話になった。今でも、もらった恩の数々は忘れていない。
梅花は、ラオスで商売している中国人のひとりだった。私はラオスでは、ラオ人社会とともに中国人社会にも出入りをしていたので、市場では一緒に座り込んで物を売る中国人の手伝いをした事が何度かある。梅花は、中でも一番の仲良しだった。彼女とともにゴザを敷いて座っていると、中国人の目から見たラオスというのが実によく観察できたのだった。
一般に、ラオスで中国人に「今何時?」と訊くと、「北京では3時、ラオス時間では2時だよ」という答えが返ってくる。最初は梅花だけかと思ったが、たまり場の中国飯店の壁時間(これは後に地元の警察により現地時間に直された)をはじめ、全ての中国人の腕時計が北京時間で合わされていた。中国人は、ラオスに来ても中国の時間で生活しているのだ。
梅花のラオ人に対する物の売りつけ方は、それはひどい。梅花に限った事ではないが、彼女のは、よりひどい。商品の陳列などには構わない。古くなって汚れた商品があっても、売れるまでは新しくて綺麗な商品は出さない。見るだけ、値段をきくだけの輩には、わざと高い値をつけて追い出す。「きくだけきいて、買わないのは邪魔だ」と言いたて蹴散らす事もある。
祭りの出店となると、怒鳴りつけながら売りつけている感じだ。客を客とも思わないのは中国大陸でも同じだが、ラオ人を相手にしていると、いっそう拍車がかかっているようだ。
中国語で四はスー、十はシュー(舌巻音だが湖南省出身の梅花の発音はやや違う)というが、ラオ語では四はシー、十はシップである。梅花はラオ語で十の発音がうまくできない為、一万(10千、シッパンという言い方をよくする)というところを、よく中国風に”しゅーぱん”と言っていた。これがラオ人には”四千”といっている様に聞こえる。
「四千キップ(ラオスの貨幣単位)だって、安~い!」呑気なラオ人が嬌声をあげる。「四千(しーぱん)じゃなくて十千(しゅーぱん)やあ!」
両手を広げてみせて喚く梅花。見ている私には”快玩笑(冗談)”以外の何ものでもないが、梅花は真剣に、ラオ人に腹を立てていたのだった。
梅花達中国人商売人は、護照(パスポート)を持ってラオスに入国するのではない。大部分の商人は、入国証のような紙切れ(七日間の滞在許可がある)にスタンプをもらい、その後は延長を繰り返しながらラオスと故郷を行き来している。
ほとんど湖南省の出身者か泰族(泰族の言葉とラオ語では、口語はほぼ同じだ)である為、彼ら同士の結束は固い。ラオスの華僑とも多少のつきあいはあるようだが、大陸人同士の結びつきの方がより強いように私には見えた。
梅花は私にはとても親切にしてくれた。笑みをたやさず、色々なおしゃべりをした。梅花は中国に残っている家族をとても大切にしている、人のよいおばさんだった。
しかし、ラオ人に対しては温かくはなかった。
ラオスで会った、ある日本人旅行者にこれらの話をした。その男性は言った。
「中国人は、ラオスを、独立した国とは思ってないんだよ」
なるほど。その通りだ。国と思ってないからこそ、中国に一部のように思っているからこそ、パスポートはいらないのだ、中国の時間で暮らせているのだ。中国人にとって、ラオスの国民は山の蛮族に過ぎないのだ。
中国の性根が悪いのではなく(これには諸説あるだろうが)、単に価値観の違いなのである。私は梅花が好きだ。中国飯店に出入りしている中国人も、そこの老板(主人)一家も、名前を呼びあい、按摩をし、彼らの晩餐にもつきあう仲である。
そして私はラオ人のことも大好きだ。素朴で呑気な山の民。彼らの友好的な態度に私はすっかり浮かれて、村々を歩きまわり、家に入って按摩をし、ラオスの焼酎、ラオラオ(アルコール分が八十パーセントあるという)に酔い、歌って踊って毎日を過ごしていた。
しかし、中国人がラオ人を蔑み、ラオ人が中国人を嫌う。これは、私がどうしたって、解決できるものではない。日本人観光客の間に入る事さえ滅多にない私なのだ。どうして異国間の仲介に入る事ができるだろう。
ただの一観光客、いち按摩師でもいいか。もう一度、ラオスに帰ろう。
そして、ラオ人社会に、中国人社会に入って、懐かしい旧友に再会する事が、私のラオスに帰る目的である。
国籍など関係なく、ラオスには、たくさんの友達と、笑顔が待っているのだ・・・。
私は中国に一歩入れば中国人だ。多少発音は悪くても(日本時の話す北京語は、えてして南方訛りに近い)、普通語(北京語)も満足に話せない田舎者として扱われる。切符を買うときも(ひと昔前まで外国人料金制度があった)、市場で買物をする時も、中国の衣類に身を包み、人民らしい風貌の私を誰ひとり日本人としては見ない。初めての町で、道を訊かれる事も良くあった。
そんな私は、東南アジアでもアフリカ大陸でも中国人(大陸人、台湾人、華僑)には親切を受け、非常にお世話になった。今でも、もらった恩の数々は忘れていない。
梅花は、ラオスで商売している中国人のひとりだった。私はラオスでは、ラオ人社会とともに中国人社会にも出入りをしていたので、市場では一緒に座り込んで物を売る中国人の手伝いをした事が何度かある。梅花は、中でも一番の仲良しだった。彼女とともにゴザを敷いて座っていると、中国人の目から見たラオスというのが実によく観察できたのだった。
一般に、ラオスで中国人に「今何時?」と訊くと、「北京では3時、ラオス時間では2時だよ」という答えが返ってくる。最初は梅花だけかと思ったが、たまり場の中国飯店の壁時間(これは後に地元の警察により現地時間に直された)をはじめ、全ての中国人の腕時計が北京時間で合わされていた。中国人は、ラオスに来ても中国の時間で生活しているのだ。
梅花のラオ人に対する物の売りつけ方は、それはひどい。梅花に限った事ではないが、彼女のは、よりひどい。商品の陳列などには構わない。古くなって汚れた商品があっても、売れるまでは新しくて綺麗な商品は出さない。見るだけ、値段をきくだけの輩には、わざと高い値をつけて追い出す。「きくだけきいて、買わないのは邪魔だ」と言いたて蹴散らす事もある。
祭りの出店となると、怒鳴りつけながら売りつけている感じだ。客を客とも思わないのは中国大陸でも同じだが、ラオ人を相手にしていると、いっそう拍車がかかっているようだ。
中国語で四はスー、十はシュー(舌巻音だが湖南省出身の梅花の発音はやや違う)というが、ラオ語では四はシー、十はシップである。梅花はラオ語で十の発音がうまくできない為、一万(10千、シッパンという言い方をよくする)というところを、よく中国風に”しゅーぱん”と言っていた。これがラオ人には”四千”といっている様に聞こえる。
「四千キップ(ラオスの貨幣単位)だって、安~い!」呑気なラオ人が嬌声をあげる。「四千(しーぱん)じゃなくて十千(しゅーぱん)やあ!」
両手を広げてみせて喚く梅花。見ている私には”快玩笑(冗談)”以外の何ものでもないが、梅花は真剣に、ラオ人に腹を立てていたのだった。
梅花達中国人商売人は、護照(パスポート)を持ってラオスに入国するのではない。大部分の商人は、入国証のような紙切れ(七日間の滞在許可がある)にスタンプをもらい、その後は延長を繰り返しながらラオスと故郷を行き来している。
ほとんど湖南省の出身者か泰族(泰族の言葉とラオ語では、口語はほぼ同じだ)である為、彼ら同士の結束は固い。ラオスの華僑とも多少のつきあいはあるようだが、大陸人同士の結びつきの方がより強いように私には見えた。
梅花は私にはとても親切にしてくれた。笑みをたやさず、色々なおしゃべりをした。梅花は中国に残っている家族をとても大切にしている、人のよいおばさんだった。
しかし、ラオ人に対しては温かくはなかった。
ラオスで会った、ある日本人旅行者にこれらの話をした。その男性は言った。
「中国人は、ラオスを、独立した国とは思ってないんだよ」
なるほど。その通りだ。国と思ってないからこそ、中国に一部のように思っているからこそ、パスポートはいらないのだ、中国の時間で暮らせているのだ。中国人にとって、ラオスの国民は山の蛮族に過ぎないのだ。
中国の性根が悪いのではなく(これには諸説あるだろうが)、単に価値観の違いなのである。私は梅花が好きだ。中国飯店に出入りしている中国人も、そこの老板(主人)一家も、名前を呼びあい、按摩をし、彼らの晩餐にもつきあう仲である。
そして私はラオ人のことも大好きだ。素朴で呑気な山の民。彼らの友好的な態度に私はすっかり浮かれて、村々を歩きまわり、家に入って按摩をし、ラオスの焼酎、ラオラオ(アルコール分が八十パーセントあるという)に酔い、歌って踊って毎日を過ごしていた。
しかし、中国人がラオ人を蔑み、ラオ人が中国人を嫌う。これは、私がどうしたって、解決できるものではない。日本人観光客の間に入る事さえ滅多にない私なのだ。どうして異国間の仲介に入る事ができるだろう。
ただの一観光客、いち按摩師でもいいか。もう一度、ラオスに帰ろう。
そして、ラオ人社会に、中国人社会に入って、懐かしい旧友に再会する事が、私のラオスに帰る目的である。
国籍など関係なく、ラオスには、たくさんの友達と、笑顔が待っているのだ・・・。