七田チャイルドアカデミー札幌幼稚舎

札幌幼稚舎の子どもたちのたくさのえがおをお届けしたいです!

カルタ大会!

2011年01月25日 | 日記
1月24日(月)毎年恒例のカルタ大会を行いました!


百人一首に、


オリジナルカルタ!


英語のカルタも作りました!


みんなカルタ大会を楽しみにしていてくれて、大いに盛り上がりました!


最後は、ホールに集まって、みんなでお約束カルタをしました。

年長さんは年少さんに札を教えてあげたり、やさしい場面も見られました。


3学期 始園式!

2011年01月17日 | 行事
今日から3学期がスタート!

静かで寂しかった園舎に、子どもたちの元気な声が戻ってきました!!


楽しかった冬休みの思い出を、みんな目を輝かせてお話してくれました!



始園式の様子



冬休み中に作った作品も披露!






今週末には藻岩山スキー場に、そり遊びに行ってきます!

寒さに負けず、風邪にも負けず、すてきな思い出、たくさん作っていきましょう!!

第11話「うれしいときは、がまんせずに泣いていいんだよ」

2011年01月05日 | 七田教育
「悲しくても泣くな。ぐっと我慢しなさい」
これが小さいころからの母の教えである。
 でも、私は学校ではいつも泣いていた。というより、泣かされていた。典型的ないじめられっ子である。小学校を六つも変わった転校生なのである。友達もいなかった。
自分で言うのもなんだが、かわいそうな子だった。
 私の家庭は貧しくはなかったが、贅沢(ぜいたく)をしない家庭であった。たとえば、転校するたびに上靴の色や模様を学校から指定されてたが、私だけはマジックで模様を描いて履いている。こういう貧乏くささも、いじめられる原因だったと思う。
 外でジュースなどを買った記憶もほとんどない。ポテト チップスやコカ・コーラなどのテレビCMがある商品を買うのは裕福な家だけだと思っていた。
 しかし私は、貧乏生活がまるで苦にならなかった。母親の愛情が大きかった。いじめられようとも貧乏であろうとも心は豊かだった。家族で出かけるときには母の手作り弁当と水筒のお茶だけである。外食している家庭を見ては、「ぼくのお母さんの弁当のほうが絶対おいしい」と誇らしげに思ったものだ。
 おもちゃも手作りだった。友達は市販のメンコを使ったが、私は手作りのメンコで遊んだ。でも、友達が持つウルトラマンのメンコはうらやましかった。ウルトラマンは、小学生の私が将来なりたい職業だったのだ。だから、欲しくてたまらなかった。
 ただ、私は決して口には出さない子であった。そんな私の気持ちを友達が察して、「ぼくのウルトラマンのメンコとかえっこして。そのメンコ欲しい」と交換してくれた。
私のメンコなんて、欲しがるわけがない。チャチャな手作りで、キャラクターも描いていない。
 うれしかった。目が熱くなった。涙が出そうだった。それが、いじめられたときの〝涙〟とは違うことがわかった。その涙をこらえようとしたとき、心の声が聞こえた。
「うれしいときには、がまんせず泣いていいんだよ」
たしかに母の声だった。







大阪府大阪市 粕淵 卓(三十六歳)