東北の復興支援に微力ながらも参加したいと、福島県いわき市小名浜を訪問しました。
上野発8時、いわき市泉駅着10時10分(スーパーひたち7号)
レンタカーで小名浜港へ、小名浜湾内の遊覧船に乗った。
東北大震災の津波はこの防波堤も乗り越えて来たそうだ。
漁港は液状化が起きて未だ復旧していない。
しかし、復旧工事は、あちらこちらで行われていた。
約50分の遊覧を終えて港に着いたときに、船の乗務員の方に震災時の状況について話を 聞くことができた。
「地震が発生したとき、この「ふぇにっくす」は海上で遊覧中で地震の発生は分からなかった。しかし、陸上の事務所から地震の発生と津波がくる旨の連絡を受けた。通常は津波を避けるため船は沖に出すのですが8人の乗客を乗せていたので急ぎ港に戻り、お客さんを降ろし避難させた。沖に出る時間はもうないので嵐に備えるような方法で船を係留し乗組員も近くのフードパーク(いわき・ら・ら・ミュウ)に避難した。その時は遠くに黒い壁のような津波が見えていた。その後20分で第一波の津波が襲ってきて、翌日の朝4時まで結局8回の津波があった。一番大きかったのは夜の8時だった。その避難所にも高さが3.8mの津波がきて、建物の1階はめちゃめちゃになってしまった。この津波ではこの船と海上保安庁の巡視船だけが無事で漁船などほかの船は全部やられた。この広場にも船がいっぱい上がっていた」
フードパーク「いわき・ら・ら・ミュー」
フードパークの前の広場。ここには津波の後、船が沢山転がっていたそうです。
遊覧中、カモメとウミネコは餌をねだり船を追いかけてきた。
フードパークで地元のものを買いたかったのですが地元のものはほとんどありませんでした。福島第一原発の放射能の影響(風評、原発までの距離は約70km)で、売っている魚、貝類は他の場所のもの(他県産、外国産)ばかりで、売っている人も早く地元のものを店に並べたいと言っていました。元に戻るにはまだまだ時間がかかりそうだということを実感しました。
15:28発 「スーパーひたち」で帰京
レンタカーで小名浜港へ、小名浜湾内の遊覧船に乗った。
東北大震災の津波はこの防波堤も乗り越えて来たそうだ。
漁港は液状化が起きて未だ復旧していない。
しかし、復旧工事は、あちらこちらで行われていた。
約50分の遊覧を終えて港に着いたときに、船の乗務員の方に震災時の状況について話を 聞くことができた。
「地震が発生したとき、この「ふぇにっくす」は海上で遊覧中で地震の発生は分からなかった。しかし、陸上の事務所から地震の発生と津波がくる旨の連絡を受けた。通常は津波を避けるため船は沖に出すのですが8人の乗客を乗せていたので急ぎ港に戻り、お客さんを降ろし避難させた。沖に出る時間はもうないので嵐に備えるような方法で船を係留し乗組員も近くのフードパーク(いわき・ら・ら・ミュウ)に避難した。その時は遠くに黒い壁のような津波が見えていた。その後20分で第一波の津波が襲ってきて、翌日の朝4時まで結局8回の津波があった。一番大きかったのは夜の8時だった。その避難所にも高さが3.8mの津波がきて、建物の1階はめちゃめちゃになってしまった。この津波ではこの船と海上保安庁の巡視船だけが無事で漁船などほかの船は全部やられた。この広場にも船がいっぱい上がっていた」
フードパーク「いわき・ら・ら・ミュー」
フードパークの前の広場。ここには津波の後、船が沢山転がっていたそうです。
遊覧中、カモメとウミネコは餌をねだり船を追いかけてきた。
フードパークで地元のものを買いたかったのですが地元のものはほとんどありませんでした。福島第一原発の放射能の影響(風評、原発までの距離は約70km)で、売っている魚、貝類は他の場所のもの(他県産、外国産)ばかりで、売っている人も早く地元のものを店に並べたいと言っていました。元に戻るにはまだまだ時間がかかりそうだということを実感しました。
15:28発 「スーパーひたち」で帰京