「僕がビルを買ったワケ」一也blog

2007年スタート 
「PTA会長blog」としてスタートし、その後「個人」「不動産投資」「新宿44支配人」として継続

反・断捨離論(相談者への回答まとめ)

2022年03月23日 13時31分24秒 | 個人的
【トラウマ(後悔)に対して】
2018年の俺の状態に似てる、それ、いわゆるトラウマの一種だ
だから自分の意思とは関係なく取りついて離れないんだ
前も話したけど、一つは必ず時間が解決する、という事と、
もう一つは、それ以上にもっと不幸な状況を想像すること(それ以上に不幸な状況を思い出すこと)
そしてそれを紙に書き出す
あとは、「そんな自分だから上手くいった(こともある)」
その事実をきちんと理解すること(傷は残るが、うまくいったことはすぐに忘れる)
今回の件でいうなら、
(反省点はしっかり反省(学習)することを前提に)
・衝動的に動いた
・その場の雰囲気に流された
衝動的に動く、というのはある意味行動力でもある、その行動力のおかげで過去うまくいった事もなかったかい?
その場の雰囲気に流された事も、言い替えれば人の良さでもある、その人柄のおかげで過去うまくいった事もあったろう?
そして、そんな自分だから、うまくいったり、失敗したり、色々ある(のが人生)だが、
上手くいった事から-失敗した事を引いてごらん
それでもおつりが来るだろう?
まさか、今までの人生が全て失敗だなんてあり得ない
恐らく上手くいった方が多いはずだ

そもそも100%の確率でうまくいく人がいるのかな?
ソフトバンクの孫だって、イチローだって
成功もあれば、失敗もあるだろう しかし成功から失敗を差し引いても、やはり成功の方が多いから、それは【成功】とされる
逆にいえば、貴方は今までがどちらかといえば良すぎたのかもしれない
だから挫折に慣れていない
俺も同じだったからよくわかるよー
ま、大丈夫、消化してそのうち消えるさ

【フラッシュバック】
いや、皆さん最初は今の貴方みたいになる
要は悔しいのと、納得がいってないんだ
同じ損失でも、【納得】いく損失ならいい、ということ
つまり問題は【損失】そのものではない
【納得】なんだ
例えば、パチンコで負けた→納得だ、自業自得だから
道端にお金を落とした→これも納得だ、自業自得
要はそれと同じなんじゃないかな?

だから、別で取り返したからといって、実はそこが本質ではない、ような気がする
もちろん起爆剤としては良いかもしれない、この出来事があったから、→私は宝くじを買った→そして当たった→つまりあの出来事のおかげ
こううまくいけばいいが、そう甘くはない
でも、学ぶ事は出来る、そして成長する
間違いなくその出来事は今後の人生に活かされる

度々フラッシュバックするようなら、なるべく早く会って話そう
とにかく話すんだ、それだけでだいぶスッキリするから
あとは、よほどの場合は、思いきって引っ越しするとか!ガラッと環境変えるといいかも
俺もそれを一つのきっかけにしたし

【最終回を演出する】
多分、どっかでまだ納得(消化)出来ていないのだと思う
なぜ納得(消化)出来ないか、というと、まだどこかで「やられた」という思いがあるんだろうね
人間、【悔しい】と納得(消化)が中々出来ない
確かに、してやられた要素もある、でも、それらも含めてやはり自分のせいだと割りきるしかない
究極を言えば、【運も実力の内】だから、100%貴方は悪くなかったとしても、
たとえ相手が100%悪かったとしても、
健康に笑って生きていく為には、極論【運も実力の内】としっかり自分に言い聞かせ、自分の心を納得(消化)させる
そうする事で、些か強引でも、心に一つの【結論】を出す
しっかり結論が出たら、ドラマでいうならもはや最終回を迎えている訳だから、それ以上は無い
今のままではずっと最終回がこないから、しっかりと、究極【運も実力の内】と割りきるんだ
極端な話、青信号渡ってて自分は何も悪くないのに、信号無視してきた傍若無人な暴走車にひかれたとしても、究極【運も実力の内】原理で心を処理しなくては、明日から生きていけない
(もちろんやれるだけの対処をするのは大前提だけど→最終的な心のもって行き方として)

【もっと壮絶な人がいる(あまり好ましい考え方ではないが)】
そうだね、自分よりもっと壮絶な人を見るのもいいね
俺も鬱だった時、そうしてたよ
それを書き出したりもしたかな
つまり、自分が傷ついた時は、自分しか見えてない、というか
実は恵まれてる事が沢山あるのに、それらは全て忘れて、その凶原となる一つの事だけに取り付かれまるで世界の終わりのように陥る
世の中には五体不満足の人や背が伸びない小○の人や全身ア○ピーの人や、とにかく俺達の想像を絶する苦しみの人が沢山いる
貴方は幾ら損をした、彼らは、たとえ全財産払ってでも健康な体、健康な肌を手に入れたいだろうね

【計画的に失敗をしている】
でも、とはいえこういうのは大なり小なり皆がよく抱く感情でもあるから
考え方によってはよくある話
だからそこまで気にしなくていいよ、フラッシュバックしても、あ、またきたかいらっしゃい、くらいなノリで
俺も諦め悪い方だから、これまでにどれだけ経験したか
そして何とかその都度乗り越えてきた
2019年は本当に酷くて大変だったけど、
乗り越えた一つの考え方として、さっきの例がある
つまり、具合は悪くて当たり前、と思うようにした
良い意味での開き直りだね
最初は人間初めての事に免疫がないからビックリする、そして焦り、もがく
すると、不思議と更に負のスパイラルを招くんだなこれが
俺も変に完璧主義で負けず嫌いだから、どうしても自分の失態が受け入れきれず、何とか挽回しようとして更に失態を重ねた
そして最後はもはや取り返せない位の挫折となり、完全な絶望を招いた
毎日死ぬ事を考えていたが、ある時に「ダメで当たり前」を唱えだした
もちろん全ての物事にベストを尽くすのは大前提だが、それでも駄目な時は「なぜ駄目なんだちくしょう」とは思わず、「駄目で当たり前」という風に、さっさと受け入れる事を覚えた
とはいえ、未だにちょっとした後悔は多々あるけどね
とっくに消化した筈の出来事をいまだにフラッシュバックすることもある
しかし、俺にはおつりが十分ある
お金だけの問題ではないだろうけど、分かりやすいから例えば貴方だって、数十万損した所で、まだまだ何百万単位のおつりがあるでしょう?
それを蓄える事が出来たのは、貴方の人望、人柄のおかげであって、
そんな貴方がたまにドジをした所で、それの何十倍ものおつりがまだまだあるじゃないか
だったら大丈夫なんだよ
つまり、その失態は許容範囲だ
競馬で全財産負ける人
競馬で10分の1だけ負ける人
変な言い方だけど、我々はきちんと「計画的に」失敗している
つまり普段が堅実できちんとしてる、だからたまに失敗しても、残りの9割がカバーしてくれている
我々は普段がちゃんとしてるから、幾らでもやり直しがきくんだ

【失敗しても、何もしないよりはいい】
俺も一時そんな感じだったよ
不動産を取り逃がしたり、
為替で大失敗したり、
大金貸して焦げ付いたり、
後悔ばかりぐるぐる回る
いっそ、誰かが俺の脳からその記憶を消してくれないかな?と思う
人生、望みから→挫折を味わう
これ必ずといっていい方程式
お金を貸した人も、恐らくなにかそこに希望があって貸したのだろう
貴方の場合は希望というほどのことでもないだろうけど、でもやはりそこに何か少しの希望があって行動を起こした
そして、挫折する
逆に考えれば、じゃ、何もしなければ、何も起きなかったね、となるが、
そもそもそれじゃ人生に対して夢も希望もない
だから、やはり行動を起こすんだよ、夢を掴むこともあれば、挫折することもある、だから人生なんだよ
発想の転換もいいかもしれないね
では俺が最高級のバックを買ってあげようか?ヴィトンで値段みないで好きなのを選べばいいよ
そして、そこで一旦バッグについては完結させて、
次は違う何かにチャレンジしてみない?これをきっかけに、貴方が何かを習得すれば、いつかこの出来事にも感謝出来るようになるよ
いっそエルメスにしてみたらどう?笑

【Imakeyouhappy Youmakemehappy】
あと、もちろん身銭で買った物は思い入れがあるのも当たり前だけど、
貰ったものだって、それも自分の功績なんだよ
功績といえば些か語弊があるけど
ようは、Imakeyouhappy
Youmakemehappy
自分で自分を幸せにするのもいいけど、
互いに幸せの交換をするのがいいんじゃないか
つまり、貰ったものはただ貰ったものではなくて
貴女という人が人に優しく、頑張ってるから
だから巡りめぐって自分に還ってきてるのであってね
むしろ、そっちのほうが重いと俺は思うけどなぁ
繰り返しになるけど、ブランド物はステータスを図るものだから、けして使いやすさではないね
それを贈る方は「それほど、貴方を想ってます」の表れ
その値段は、想いの深さ

【“致命傷でない失敗”は成功の元】
損失そのものではなく、その失態に対して貴方は憤ってるんだよ
俺も地域に向けて、「お母さんありがとう似顔絵キャンペーン」と称してそこそこの大金を寄付しても平気で、
その反面、たった100円のボールペンでも、失敗したと思ったら返品に行くよ
寒い中わざわざ自転車に乗って
つまりそれは【失敗】を受け入れたくないから
フツーに考えたら、たかが百円くらいいいじゃない、とも思うが
つまり金額の問題でもなければ、その物の問題でもない
その事柄に【納得してるかどうか】だ
何十万、何百万だとしても、あげたものはあげたものだ、だから納得
片や、たった百円だったとしても、失敗は失敗だ それには納得がいかない
今回の貴方の出来事はまさにそういうことなんだよ
だから、ここで逆ギレ気味により良いブランド物を買っても根本的な解決ではない気はするね
失敗した事柄に対して、きちんとケジメをつけるんだ
きちんと受け入れ、消化するんだ、だって失敗は失敗なんだから
でも、失敗は成功の元ともいう
正確には、「致命傷でない失敗は成功の元」
子供も初めて転んだら大泣きするけど、次からは免疫ついて泣かなくなる、そしていつか転ばなくなる
しかしそれは転んだらこそ学習できたこと
大事なのは、ここで【致命的な】大怪我をしないことだ
二度と立ち上がれないような怪我をしたらもとも子もない
立ち上がれるレベルの怪我ならむしろいいんだよ、そこで人間は学び、そして強くなるのだから

【代物挽回の是非】
宝くじ、実は俺もやったんだよな、病んでた時に
俺は幾ら買ったっけ?10枚だったかな
つまり、極端な発想だよね、一気に挽回したいから
一気に払拭したいから
その為には一刻も早くこの出来事に「良い意味」を持たせねばならない
もちろん外れたけどね

【話すのが大事というのは、ただスッキリだけの為ではない】
まずけなすのは営業の基本だよ、エステも何でもそう
ましてやその人は雇われだ、その人は忠実に仕事をしただけだよ、そこを責めたら逆恨みになってしまう
見栄だよね、そもそもの根元は
ブランド物というのはステータスを買ってる訳で、貴方の言う通り実際に使いやすいのは安い物だったりする
そして、実は潜在的に失敗に気付いていたのに、すぐ引き返さなかったのも、それも見栄だね、いい顔した直後に恥ずかしい、気まずい、言い辛い
「致命的な大怪我」については、二次被害もそうだね、この事によって、鬱になったり、病気になったりしたら、元も子もない、←まさにその通りじゃないかな
俺は、そもそもこれは致命的ではない、と思うから
だから大丈夫、と言いたかっただけ
貴方の言う通り、十二分に立ち直れる範囲内だ
俺は取り返しのつかない失態をいくつかした、まさに【取り返しがつなかい】のだから、その後悔たるや泥沼だった
もしお金で解決できるのなら、倍出してもいい、なんて(結果は省略)
つまり、本当に欲しいものならまた買えばいいじゃない、お金で済むなら
でも、実際貴方は10年以上押し入れに閉まってたんだよね?
つまり、何度もいうけど、それは必要ではない、【失態】に憤ってるだけだ
あと、人に相談すること、これは貴方の言う通り本当に大切だ
例えば、失敗した帰り道でも、まだ遅くはなかった、俺に相談すべきだったね
何故かというと、その人からのアドバイスとか、或いは人に話す事で自分も整理出来るとかはもちろん、
実はもっと大事な効果がある、それは、
【勇気】をもらえる事
例えば失敗に気づいた、しかし引き返す勇気がない、そんな時に俺に電話をしていたら、勇気をもらった可能性はある
何故なら人間には【集団心理】というものがあって、要は【気が大きくなる】んだ
一人じゃ出来ない事も、二人なら出来る事がある
まさに俺もそれで去年一つ失敗したばかりだった
一人で判断するとつい弱気な選択をしてしまう
側近に相談したら、【絶対大丈夫、それは間違いなく成功する】そう言ってもらえて勇気が湧いて、それ以外は全て成功した
相談してない、その一つだけ、逃げた つまり失敗した

【失ってから気付く】
あと、人間失って気づく、というのはよくある事で
実は不動産の世界でも、売りに出したのに、いざ買い手が付くと惜しくなって売り辞めにする人が結構いる
まさに仲介人や買い手側を振り回して大迷惑な不義理行為なんだけど、
それでも、買い手が付く事で自分の不動産の価値を再認識する人が少なくはない
実は俺もやったことある、もちろん不動産屋には平謝りだ
逆に貴方と同じ、売ってしまってから猛烈な後悔をしたことも何度かある
それこそこっちはもっと深刻だ、だって取り返しつかないから・・
毎日毎日その事が脳裏に浮かび、後悔しては嫌な汗をかく 抜け出すまで地獄だった
でもね、人間ってあまのじゃくというか、
売れなければ売れなかったで、今度は焦ってもっと売りたくなる
今度は逆に価値が低い、と考え出して、少しでも早く売りぬけなきゃ、と思う
まさにそういう心理的な事もあるよ
何度も言うように、失敗は失敗でもちろん反省と学習はするが、それをしっかりやったなら、後は人生の1ページ、という事でいいんだよ
そういう貴方だから、これまで生き抜いてきたんだし、貴方なりに築いてきたものもあるでしょう
たまに来る失敗は、俺の中では【お裾分け】と呼んでいる
自分ばかり成功ばっかじゃ申し訳ないじゃん(笑)、ケチケチせず、たまには世の中にもお裾分けしてやろう、みたいな(笑)

【断捨離はある意味で危険】
貴方だって、誰かに何かをプレゼントする時に、普段自分なら買わないような高価な物を買ったりした事あるでしょう?
【誰かの為】だから出来る事もあるんだね
つまり、そんな風に互いが思いやれば、
互いに、普段ならとても手が出ない物が、自分の手に来る、という訳だね
貴方はバチが当たった、と言ったね
そういう意味では、ひょっとしたらそうなのかもね
ひょっとして、貴方の中の良心が痛んだんじゃないかな
確かに断捨離もいいけど、
たとえ使わなくても、大切にとってある事、俺はそれも素晴らしいと思うけどな
断捨離はある意味危険だよ
それに慣れてない人がいきなりやると、ちょっとした何らかのショックが起きる、喪失感とか後悔とか
余程しっかり割りきって、もはや「損得の問題ではい!」と、しっかり言い聞かせて実行しないと
普段物を捨てられない(よく言えば物を大切にする)人が、外部のちょっとした入知恵で中途半端に断捨離の真似事したら、それは逆効果になる気がする
スッキリするどころか、モヤモヤが残る
だから俺は捨てないよ、ややこしくしたくないから(笑)
やるなら、一年位かけて、全ての活動をストップして、全神経を集中してやるかな
何かの合間にちょこっとやるような事じゃない気がするよ
特に物を捨てられない人はね

【私に断捨離は向いてない】
貴方は今は苦しんでるだろうけど、結局、何だかんだここでブランド物は買わないと思う
それは、ここでまた物を増やす、という(しかも本当に使うかどうか怪しい物)矛盾に、本能的に気付いてるからだ
今は、悔しさに対する半ば腹いせ的な事もあって、ちきしょう、取り返してやる、と、あの手この手を模索してると思うけど、
本当の意味で断捨離をしたいなら、ここは正念場だね、本当の意味で乗り越えねばならない
でも俺は、逆の発想で、物を粗末にする人間もまた幸せになれるとも思わないけどね
本来日本人はかつて敗戦から立ち上がった歴史から、贅沢は敵だとされ、年配になればなるほど、本来そう簡単に物を粗末に出来ない価値観の民族だと思う
その染み付いた価値観を無理矢理、又、中途半端にねじ曲げようとしたら、60代以上の年配者などそれこそ今の貴方のように受け入れきれず、パニックになってしまうかもしれない
せっかく今の価値観で心のバランスをとっているのに、余計な価値観で余計な心の乱れを招く位なら、倉庫に物が溜まってたって大した問題じゃないように思う
あとは向き不向きもあるね、これも向いてる人と、向いてない人がいるんだよ
とても物を大切にする人、物だけじゃない、食べ物も、人も、お金も
そんな【優しい】貴方には向いてないと思うな
そうさ、逆に簡単に物を捨てられる人は【冷たい人】とも言えるね
いくら使わないからといって、大切な思い出を俺はそう簡単には捨てられない
もちろんお金に変えられないものもあるしね
母の遺影や、自分のへその尾とか もちろん開けた事もないし、これから永遠に開ける事はないだろう、でも捨てないよ
多分、究極の断捨離マニアはそれらも捨ててしまうんだろうなぁ
先祖に対する感謝も、人との繋がりも、想いも
全て捨てて、その人は一体どこに向かうのだろう?
その先に本当に幸せがあるのだろうか?
俺はがらくたに囲まれてる方がちょっぴり安心するけどね(笑)
あとは、整理する時間が逆にもったいない(笑)そしてそれで悩んだり後悔するなど論外にもったいない
断捨離についてはよく知らないけど、どちらかというと【今が全て】という海外から来た価値観のような気がする
元来日本人は堅実で真面目だから計画的に老後を考え貯金したり、勤勉に努めたり積み重ねる種族だし、人情や情緒も重んじる、子に財産を残したり、だから昔の蔵からお宝が見つかったり?そんな人種だと思うんだよなぁ
友人も断捨離魔だけど、結局彼には何もないよ
彼は全てを捨てて、空っぽになってしまったから
家族からも冷たい視線を向けられている、彼は孤独だ
貴方なら乗り越えられると思うよ、いい勉強になったね
今回の件で俺までいい勉強になった、ある意味感謝
俺も少しは考えたことがあったから
でも、俺も全く同じだから、貴方と
とてもとても似ている
多分、中途半端に着手したら、長年の価値観を中途半端にねじ曲げ、大変な葛藤を生んでいたと思う
やらなくて良かったし、これからもやらない方がいい、という事に改めて気付かせてくれた、助かったよ
ただでさえ、精神が病みやすい繊細な男だから汗
貴方は優しい人だから、たとえば今回も、反射的に売り手を気遣って、逆に自分が傷ついた
実はこれ、人が良い人あるあるでね、俺もしょっちゅうなんだ
相手の気持ちが分かってしまうから、ついその場でいい顔して花を持たせてしまう
そして、自分は損をし、後から後悔して苦しむ
でも、繰り返しになるけど、そんな自分だから成功した事もあるんだ 貴方だから買います、とか 貴方もそんな経験ない?
人柄が相手に伝わって、成功に繋がる
どちらが良いか?って
最終的にはもちろんこっちでしょ!
北風と太陽でいうなら、我々は太陽だ
アリとキリギリスでいうなら、我々はアリだ
コツコツコツコツ、最後は追い抜く そういうタイプだと思うよ、我々は
だから極端な行為はあまり向かないんだ(笑)
だから極端な断捨離は向いてない、間違いない
価値観を再認識出来たって事で、今回の出来事はけして無駄では無かったよ!!
再認識、これ、人生においてとても大切な事だから!
やっぱ人間、転んで初めて気付くんだよ、失敗は成功の元って本当だね!
本当に良かったよ!

【私はそう簡単には捨てない】
【物】って、自分で買った物にせよ、貰った物にせよ、
大なり小なり全てに思いがこもってるから、
人からの贈り物や、親から受け継いだ物などはもちろん、
たとえ自分で買った物にしても、
たとえ百均で買ったちょっとした日用品にしても、
その瞬間、その買った一瞬(その商品を選んだ一瞬)がある
という事は、その一瞬は、それが【必要】だと思ってそれを選び、自分の物にして、自分の家に持って帰った、という事実がある訳で、つまりその積み重ねが今の周りの物たちであり、
それを捨てる、という事は、ある意味での別れであり、
別れ、とは、ペットや人間関係と同じで、一時は必要だと思って選んだ自分さえも遠回しに否定することになり、
少なからず傷つく行為であると思う
そして寂しく、悲しい行為でもある
だから、【捨てる】と、そこだけ切り取って聞けば何だか大した事ではない気もするが、実は大変な事のようにも思える
今までの自分に感謝出来ない人間が幸せになれるだろうか?
実はそう簡単に捨てられるもんではない
そう簡単に自分の選択に否定は出来ない
だから今回貴方は傷ついた
でも、気付けたから良かったと思うよ
これが逆に何も感じない人だったら、それはそれでちょっと・・
貴方はそんな冷酷な人じゃない、だから心にいきなり得たいの知れない提起がやってきて、貴方は困惑した、けれど、その正体はこれさ
貴方の憤り、悲しみ、悔しさ、後悔の正体はこれだったんだよ
だからもう大丈夫!物事の本質(正体)を知れば、ああなるほど!後は徐々に消えていくよ

【捨てる位なら、何が何でもリサイクルさせる】
だから捨てるくらいなら、いや、売ったとしても、
ちょっとしたお金なんかより、人にあげた方が救われる、というのはそういう事じゃないかな
たとえばペットだって捨てるのは辛いけど、もしその愛情を引き継いでくれる人がいるならば、
相手が喜ぶだけでなく、自分さえも傷つかなくて済むから
ということはやはり、【捨てる】という事は実は大変な事であり、
一応少なからず、大なり小なりその一つ一つにある思いとの別れであり、
いくら不必要になったとはいえ、過去の選択に対する否定でもあり、
ほんの小さな傷つく行為でもある
だからむしろそう簡単にすべきではない行為だと、
俺は断捨離の真逆の理論を唱えたいくらいだ(笑)
免疫ついてきたなら良かった、やはり最後は時間が解決するね

【私の中の小さな神社】
貴方は元々「ポジティブ変換」能力に長けてる人だから、回復し出したら早いよ
どちらかというと俺はウジウジタイプだけど(笑)
貴方とやりとりしてて俺も思い出したんだよね、病んでた時に、断捨離?というか死のうとして、身の回り整理しようとした事があって
埼玉に倉庫借りてて、そこに何十年も眠らせてあったがらくたや思い出の品たちを、遂に処分しようと出掛けた事があった
しかしただでさえ具合悪い中、慣れないせいか、ごみ袋に詰めていく行為があまりに辛くて、具合悪くて吐いたりしながら何とか一部をごみ袋に入れたが、
涙が出て、、
でもとてもじゃないけど、ほんの一部しか整理出来ず
一応、中途半端に一部だけ捨てはしたが、どれだけ虚しい帰り道だったか
たとえば、けして取り壊しや移設してはいけない古くからの小さな神社とかあるよね
下手にそれをいじったらバチが当たるから、
ビル郡の中にポツンとあるような
何となくそれを連想した、
何十年もそこに置いてると、そこに「神」のようなものが宿り、
ある意味での「供養」をしないと、安易に捨てたり壊したりしてはならない
大袈裟かもしれないけど、そんな気さえする
そんな俺も、今はおかげさまで元気に立ち直り、あの苦しみが嘘のように、今は全てが幸せに思える、命に、人生に感謝してる
でも、俺の小さな神社のように、開かずの段ボールは今もいくつもある(笑)
何十年と眠り続けてる物たち、
それと共に歩んできた人生
ひょっとしたらお守りなのかもしれない
あとは、なんだかんだ縁があるんだ、だから側にいる
そうは言っても、縁がなければ嫌でも去っていくのだから
今までの経験で、逆に去ってほしくないのに去った物たちもいたでしょう?
それはそれで悔しかったでしょう、でもご縁がなかったんだろうね
ご縁があるから(腐れ縁?笑)、今も側に眠ってる俺のがらくた達、思い出たち
これからもヨロシクね、て感じかな~
今の俺があるのは、過去があったおかげなのだから、
今はがらくたになってしまったかもしれないけれど、
だからといって、そいつらを捨てて、自分一人だけ幸せになる訳にはいかない
そいつらも一緒に連れていく
うーん、我ながらいいなぁ(笑)中々感動的だし、ここまで筋が通った理論なら、断捨離の真逆本出してもいいなぁ(笑)

【私は反断捨離論者かもしれません】
でもまれに必要な時があって、「やっぱ残しといて正解だった」という時は爽快だよね
ほーら、みたことか、みたいな(笑)
逆に、珍しく(笑)捨てた直後に必要な時が来てしまいまた買いに行くの悔しかったり
要は人生色々ね
多分、往々にして断捨離する人は【今がうまくいってない人】だと思う
断捨離とは、現状を変えたくてやるんじゃないのかな
古い物いつまでも持ってるから新しい幸運が来ない?的な発想で
(てか物のせいにしてる時点でダメだけどね、他にも人のせいにしたり運のせいにしたり)
俺は逆だね、過去を大切に出来ない人間に新たな幸運は来ない
あとは私の友人のように、ヒッピーみたいな生き方してる人には向いてるかもね
ノートPC一つあればどこでも生きて行ける、と、格安民宿を転々として生きている
ある意味そんな生き方も悪くはないが、ある意味我々とは真逆じゃない
貴方も滅多な事がない限り極力引っ越しはしたくないと言うし、俺も自分の城が一番居心地が良い
こんな風に、拠点を重んじる我々のような人間には間違いなく向いてないね(笑)

あとは俺は思い出を大切にするロマンチストだから(笑)
今は見なくても、いつか老後とか暇が出来た時に、まるでタイムカプセルを開けるように懐かしむ日が来るかなぁ、と思うし
彼らはここもまた真逆で、思い出全部捨てちゃった 彼は愛を受けて育たなかったから、思い出したくもないんだって
つまり、ここでもやはりさっきの理論に繋がったね
不満だらけの人に限って断捨離魔、という方程式
我々は、愛を受けて育ったし、だから人も物も思い出も何もかも大事にするし
断捨離する人は、気の毒な人というか、苦しんでる人なんだろうね、せめて捨てる事で何かが変わると良いけど・・
てか整理してる暇あるなら、もっと他の事がんばれよと言いたいけどね(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今までで一番幸せだったのは

2020年08月06日 09時18分27秒 | 個人的
そうともよ
人生って不思議なもんでな、
どこかで帳尻が合うようにできとるんだわ

金があっても去年俺は死のうとしたし、
金がなくても母親と二人幸せだったし

な、不思議とうまくできてるだろ

あなたにとって、これが進む道、というのが用意されとるんだわ
だから、その道に無理矢理逆らってたとえば金持ちになったところで、
無理矢理引き戻されるんよ
去年よく分かったんだよ、その仕組みが

全部繋がってるんだ実は

だからベストは尽くせ、あとはなるようになる
大丈夫だ

俺もお前も、片親で、けして恵まれた家庭環境ではなかったが、不幸だったか?
幸せだったじゃないか

風呂がないボロアパートでも、ワシは幸せだった
去年鬱になって、今までの人生を振り返り、いつが幸せだったか
母親と、ボロアパートで、土曜の夜に一緒に寝ながら、母は土曜ワイド劇場見て、ワシはその隣でお絵かきしてた
その頃に戻りたい、と何度も思った
幸せって、そんなもんよ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の遺書

2020年05月14日 20時31分44秒 | 個人的
30年前に自殺した母の遺書が見つかり、そこに元旦那に大金を貸して、返してもらっていない、と書かれていました。
元旦那とは、私の実の父ではなく(実父は私が物心つくまえに離婚)、私が独立した後に再婚した人で、最終的には、その人とも別れて自殺をしました
当時はあまりに辛く、正直なところ遺品も満足に整理せずにおりました
時が流れて、整理していたところ遺書らしきノートが見つかり、そこには(恐らく死ぬ直前に書かれたであろう)走り書きにて、上記のような内容がかかれていました。
私としては、今更それについて追及するつもりもないのです
もちろん走り書きだけで、借用書や振り込み用紙などの証拠もあるわけでもないですし、
恐らく、追及したところで、認めてはもらえないと思います
ただ、何とも後味が悪く、なんとなくはっきりさせたいだけなのですが、どのような手段をとればよいでしょうか
一応、今の所、電話番号だけは分かるのですが、(住所もよく調べれば分かるかもしれません)
直接そのことを話すのはちょっと嫌なのです
かといって、ほぼ回収見込みのないこのような内容で弁護士さんなどに依頼するのも、、
なんとなく母の無念の思いを、(このような遺書があったという事実を)伝える事が出来れば、それで十分な気もしているのですが
その遺書ノートのコピーと一緒に手紙を書く、といった所でしょうか
しかしながら、30年も経っていて、その人も生きていれば70代後半とか80とか
生きているかどうかも分からない、雲をつかむようなご相談で恐縮ですが、一体このもやもやをどうすればいいのか

母が亡くなった時に、(お葬式の数日後位)怖い位の偶然で、その人(元旦那)と偶然ばったりと会ったのです
実は、そのノートは、当時ざっとは目を通していました
しかし、その時はあまりに辛く、その走り書きの事は言えませんでした
その人は、あまりの偶然に面食らった顔をし、狼狽えた様子で、あわてて財布から3万円程出して私に渡して来たのを記憶してます
今思えば、何かの引き合わせだったのか、とも思います
あと、貸していたという言い方は些か語弊があったかもしれません、
その男性は不動産屋を経営していたらしく、その人の不動産投資に出資した、という感じで、
しかし、その離婚時にその資産の多くはその男性の物になってしまい、数億円の資産を持っているにもかかわらず、正当な配分がされなかった、といった内容と受け取れました
なので、正確には貸した、というより、財産分与に不服があった、との主張に近いです
たとえそれが事実だとしても、母の自己責任ですし、その場ではっきりさせなかった母に責任があると思います
ただ、偶然会った時のその男性の狼狽えが、恐らくですが、彼の良心に何か突き刺さるものがあったような感じがしました

一番大きかったのはひとりぼっちになってしまった喪失感だと思います
離婚後、体を悪くして仕事も辞め、私も遠くにいたため、暫くは一人暮らしをしていたのですが、どんどん元気がなくなっていき、私が電話でどんなに励まそうとも、「出来ない」の繰り返しで
恐らく、鬱病になってしまったのだと思います
せめてその時に色々と相談をしてくれていたら、と 残念です
あと金銭の事は、最終的には離婚に応じているので、不服はあったものの、真実は分かりません
母の逆恨みかもしれませんし
ただ、こんな文章が残されていた、ということだけ、郵送で送って、それで私も心の折り合いをつけようと思います

時間が解決するのだとも思います
というか、ある意味、解決していたのです
この30年、封印してきて、それなりに人生を生きて来ましたから
なぜか、今更になって、ふと思い出し、何故か突然気になったのです
なぜ、あの時、勇気をもって、こんな書置きがあった、と、その人に告げなかったのか
いくら辛い状況だったとはいえ、母の無念な思いを、なぜ伝えるだけ伝えてみなかったのか
その人にばったり会った時に、まるでその場を凌ぐかのようにお金を渡され、更に、都民共済の紙みたいなのを渡されたのです
生命保険(共済ですが)を払ってあげてたんだよ、みたいなニュアンスで そして、ここに申請すれば、死亡保険がおりるよ、と
自殺なのでおりませんでしたが
そんなこともあり、なんだかよくわからなくなってしまった
しかし、今思うと、それもちょっとおかしい気もしてます
なぜ、離婚した相手の生保代を、元旦那が払い続けていたのか

そのノートを見るのはあまりにも辛く、亡くなって以降倉庫の奥の奥にしまい込んだまま30年
今でも、未だ 見れません
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氏の変更申し立てについて 

2015年05月08日 19時53分42秒 | 個人的
申し立て理由

1「母、一度目の結婚(申し立て人の出生)」
申し立て人は、昭和46年10月29日に、父・中川明憲、母・李福姫との間に長男として出生しました。
続いて、昭和49年1月26日に長女・幸子が出生しましたが、同年4月10日に死亡しました。(その後子は出生していません)

2「母、一度目の離婚(申し立て人・中川姓)」
昭和51年10月28日に、父・中川明憲と、母・李福姫は調停離婚し、申し立て人の親権は母・李福姫となりましたが、李福姫は日本国籍が無い為、申し立て人は、通称名としてそのまま「中川」の姓を名乗っておりました。

3「母、二度目の結婚(申し立て人・早藤姓)」
昭和59年11月24日に、母・李福姫が、早藤卓雄氏と再婚したことにより、申し立て人は、早藤卓雄氏の養子縁組となり、そこから「早藤」を名乗るようになりました。

4「母、二度目の離婚」
平成3年9月25日に、母・李福姫と、早藤卓雄氏は協議離婚したことにより、申し立て人は、早藤卓雄籍より除籍となりました。

5「母、三度目の再婚(申し立て人・戸籍独立)」
母・李福姫は、翌年の平成4年3月27日に安田寿一郎氏と再々婚しましたが、申し立て人は安田籍には養子として入らず、そのまま「早藤」姓を用いて、単独で戸籍を独立させる手続きを母・李福姫が行い、それ以降「早藤」を名乗って参りました。

6「母、三度目の離婚・死亡」
最終的に、母・李福姫は平成10年10月1日に安田寿一郎氏と協議離婚し、同年11月9日に自殺により死亡しました。(離婚後も死亡まで通称名として「安田」姓を名乗っておりました)

7「氏の変更名について」
本来ならば縁を辿り、「李」に変更するのが筋のようにも思いますが、
①日本国籍である申し立て人は韓国籍である母・李福姫の戸籍に入る事は出来ない事
②母・李福姫は既に死亡している事
③「李」姓はあからさまな韓国姓である為、日本国籍である申し立て人にとって矛盾が発生、及び周囲に対して誤解を招く可能性が高く、社会生活において支障をきたす可能性がある事
これらの理由により、氏を母・李福姫の姓「李」ではなく、実の父親姓である「中川」に戻す許可を求めます。

8「申し立てまで経緯・申し立て人の苦悩と願い」
申し立て人は、母・李福姫がとった手続きにより、これまで「早藤」姓を名乗って参りましたが、以下の理由によりこの度氏の変更申し立てを致します。
①前途のように母・李福姫は早藤卓雄氏と離婚しており、それ以来早藤卓雄氏と申し立て人は一切の関係を絶っている為。
②全く血縁も交流も無い人物の姓を名乗る事に違和感を感じる為。
③唯一の血縁である、「中川」を名乗る事が最も筋が通っていると思うと同時に、血縁を大切にしたいと思う為。
④個人的な事情ではありますが、昭和59年から平成3年迄における早藤卓雄氏との共同生活において、申し立て人は早藤卓雄氏より性的虐待を受けており、現在も精神的苦痛を伴っています。
これまでは仕方ないものと諦め、どうにか割りきって早藤を名乗って参りましたが、「早藤」を名乗る度に忌まわしい記憶が甦ります。
そのようなトラウマをどうにか拭い去りたいという思いがあります。
⑤5項にも書きました、申し立て人の「単独で戸籍を独立させる手続き」はあくまで当時の母・李福姫が行いました。
本来は「早藤」姓を名乗る事に対して、精神的苦痛と抵抗がありましたが、当時の申し立て人は氏における手続きについて知識が無く、それしか選択肢が無いものと思い込んでいた為、やむを得ず同意する形となりました。
その後時が流れ、本来ならばその時に、実の父親の姓である「中川」に戻す選択肢もあったという事を知り、更に「氏の変更」といった手続きがある事も知りました。
これほど長い年月が経ったにもかかわらず、今更氏の変更を申し立てる事については、これまでそのような申し立てが存在することを知らず、諦めてきたからです。
もっと早く知っていれば、長い年月に渡り違和感と苦痛に苛まれて来る事は無かったと悔やまれますが、これからでも決して遅くはないと思い、この度思いきって申し立てをする決意をしました。
⑥以前、家庭裁判所のご担当者様にご相談した際、たとえ姓が「早藤」でも、それは戸籍上、かつて養子縁組した早藤卓雄氏の「早藤」とは異なる「早藤」であって、ある意味での別姓であると考えてはいかがなものか」との、大変為になる助言を頂きました。
その考え方を元に、再度「早藤」を名乗り続ける努力をしながら、改めて申し立て人にとって、氏の変更が必要なのかどうかを、様々な角度から良く考え治した結果、やはりこの度の申し立てを行う結論となりました。
その理由について、ご担当者様から頂いた助言を元とした新たな考え方を意識しながら「早藤」を名乗る生活の中で、改めて感じた(感じる事が出来た)追加理由(要因)の一つとして、「早藤という姓の珍しさ」がございます。
世間に多く溢れる名字ならともかく、「早藤」という姓が珍しい為に、「早藤」を名乗る度に、その名字が話題となり、時にはそのルーツを問われる事も多く、その度に申し立て人の複雑な経歴を、状況や相手によって、隠したり打ち明けたりと精神的に翻弄させられると共に、その度に過去の早藤卓雄氏における性的虐待の忌まわしいトラウマが嫌がおうでも甦り精神的苦痛を伴う事から、折角ご担当者から頂いた助言ではございましたが、ことに「早藤」という珍しい姓においては、意識転換が難しいとの結論となりました。
この様に、この度の氏の変更申し立ては、一時的な感情ではなく、家庭裁判所のご担当者様の助言も頂きながら、長い時間をかけ試行錯誤を繰り返し、ようやくたどり着いた結論でございます。

9「中川」姓への想い
こちらも、家庭裁判所のご担当者様にご相談させて頂いた上で、よく考えた事です。
ご担当者様より、もし氏の変更における可能性があるとすれば、実の父親姓である「中川」なら考えられる、との助言を頂いた上で、こちらについてもあらゆる角度から良く検討を行いました。
実の父親である中川氏は、申し立て人が物事つく前に離婚した事により、申し立て人の記憶には全く無く、未だに現在におけるまで全く面識もございません。
当時(早藤姓にて戸籍独立した)の申し立て人にとっては、実の父親である中川氏は、「自負と母親を捨てた悪い人」という意識が強く、それもあって「中川」姓を避けたように記憶しております。
しかし、長い年月が経ち、現在は、いつか、中川氏が生きている内に、会いたいと願うようになりました。
正直、複雑な想いは拭いきれない所もございますが、担当者様の助言もあり、改めて血縁の大切さを噛みしめておる次第です。
どんな事情にせよ、申し立て人が、中川氏の実の子である事に間違いはないと受け入れ、中川氏を信じたい意味も込めて、「中川」姓に戻したいと思いました。又、余談ではございますが、亡き母親に最後に会った際、幾度の再婚を繰り返し、最終的に一人に戻った母親の口から初めて中川氏について語られた事があったのを思い出しました。(それまではタブーのようになっていました)
それによると、「三回結婚し、三回離婚したが、今思えば、最初の中川さんが一番男らしく誠実な人だった」
「当時は在日韓国人に対する偏見も強い中、中川さんは実家から勘当されてまで私と結婚してくれた」
このような内容でした。
きっと様々な事情があって、残念ながら申し立て人は中川氏に育てては貰えませんでしたが、母親の最後の言葉を信じ、申し立て人は、中川氏を信じたいと思ったのです。
いつか、もしも中川氏に会えたら、中川一也で会いたい、と思いました。

10「証明書類」
別途同封致しました、組織図並びに申し立て人や母・李福姫の戸籍謄本(韓国籍)、各婚姻及び離婚相手の戸籍謄本等の複写をご参照の上、何卒ご審判の程宜しくお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精一杯気をつかいながらネットビズをお断りする

2014年06月18日 09時02分28秒 | 個人的
何だか力になれず申し訳ない!

けんしろう君にとって頭数いたほうが良いなら協力するのは全然OKなんだけど、俺の経験上、最終的にビジネスに参加しなければ、結果的にけんしろう君の顔をつぶす事になるから、、
別にネットビズを否定する訳ではないのだけど、俺は既に独自的に数々のビジネスを立ち上げていて、その中には実はネットワークビジネスに似た物もあるんだ(フランチャイズ立ち上げて45箇所まで拡大した)
なので、けんしろう君絡みに限らず、ア○ウェイしかりニュー○キン及びウ○ーブしかり、その種のお誘いは一貫してご遠慮させて頂いてます、、
ビジネスの話をされると、つい、俺もビジネスの話をし返す形になる
うまくタイアップ出来れば良いが、ボタン掛け違うと対立となってしまう恐れがある
だから、俺は極力ビジネスと芸能活動はリンクさせないようにしているんだ
せっかくのお誘いなのに水を差してごめんね
けんしろう君にとっては人脈作りの一貫として参加する価値はあると思う
ネットビズも、経済力を付ける上で有効だと思うならば、参加の価値もあるかと思う
ただ、なんにしても必ず初期投資があるので、本当に自分に向いているかどうかの見極めはしっかりとね
もしけんしろう君が金持ちのボンボンならば、特に心配はしないが、一生懸命バイトして自活しているのならば、それは君にとって大切なお金だから
何につかうかは、しっかりと心の目で見て判断してね!
くどくどとごめんね!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死を語り合うことで元気になる面々

2013年02月24日 00時27分51秒 | 個人的
実に、いや実に奇妙で不思議だけど

本当に、‘不思議な力’というのが、存在しているとしか思えない

放っておいても怪我が自然に治っていくように
水と油をどんなに混ぜ合わせても、放っておけばいつか必ず分離しているように

まあ、俗世間の言葉をつかって一言で言うなら
‘運命’
て、やつですか?

いやほんと
実は死ぬまでの生涯の運命は決まっていて
我々駒がどんなに一喜一憂して大騒ぎしても
要は、結局元々決まってるストーリーに収まるだけ?
あるいは
どこかに神か仏か、はたまたそれ以外の説明のつかない何かが
何らかの力で、僕らを司令塔から監視して導いているような?

そんな気分になるのは俺だけだろうか
俺だけかもな笑
基本、この世の概念では、‘運命は自分で切り開け’‘幸せは自分で掴め’とかなんとかだもんな

でもね

自分ひとりじゃないんだって
そりゃ自分さえよけりゃいいシステムだけどね民主主義は
ただ
なんていうのかなぁ・・
うまく言えないんだけど
‘不思議な力’って、あるんだよ、本当に

なぜ!?ここで!?こうなった!?
まるで宝くじでも当てるくらいのミラクルな可能性で
そうなる場面が多々あってね、良くも悪くも
そりゃあーた、運命か、何かのお導きかなって思いたくもなるって
ほんの一歩踏み出すのが遅いか早いかだけで、運命がガラっと変わる
何故か、あの飛行機に乗った為に堕ちたり
何故か、あの道を通った為に車に轢かれたり

まあ、偶然ですっていえばそれまでなんだけど
俺は、不思議な力
そう、信じる
いや、信じさせてください
そうじゃなきゃ、全て自分の中で処理しきれないことだらけで
いつか頭がパンクしてしまう





最近、友達がほしいなって思うようになった
もちろん真実の友達ね
利害関係がないのは当たり前
浅瀬でぱしゃぱしゃしたり顔の上っ面なんかは論外
とはいえ世間でいう親友なんて余計な情熱もいらん

ただ、‘似ていればいい’
簡単なことだ
ただ、‘似ていればいい’
あらゆる面で

まず、いたためしがない
これは別に俺が特別だからとかそういう自慢とかではなく
本当にいないんだから困ってる

誰か、紹介してください
世代、性別
生い立ち、学歴
仕事、資産
趣味、夢
死について

ちなみに俺の最終学歴は、定時制高校なんだけど
この時点で、死ぬほど絞られる笑
なんてね、冗談 別に学歴なんてどうでもいいんだけど

最低限、死について語り合えなきゃ、お付き合いはできないかな
とにかく生きることがすべてという方は・・ていうか99%そうだから、これまた死ぬほど絞られる
中々難しいね笑

最近、太宰治のウェキペディアを何度も読み返す もちろん本や映画もそうだけど
なぜかウェキペディアが多い 毎度同じ文なのになぜだろう?
それを見ながら、酒を飲む 
まるで、友達のように
そうだよな、うんうん、わかるわかる、そうだよな
そんな感じ?かな友達って

なんやかんや、友達と飲むと元気になる
なんやかんや、友達って大切だ
いまのところいないけど

死んじゃいけないのはよーくわかりました
命を粗末にしちゃいけないのもよーく知ってます
100人が100人そう言います、はいはいよく知ってますから
ただよ、語り合うくらいはいいだろ
何を語ろうと、自由だろ

それで元気になるんだから


はい終わり!おやすみなさい!!!!!!!







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死より怖い幸福

2013年02月19日 23時47分56秒 | 個人的
もし舞台途中で突然何かの事故で終わりにされたら





幸福とは
過去の自分の記憶と照らし合わせて初めて実感できる
不幸も
また、過去の自分の記憶と照らし合わせて実感する
つまり
この世に絶対的な幸福も不幸も存在しない
たとえば
貴方がもし突然記憶を無くしたら?
その瞬間、何が幸せ?何が不幸?





幸福者の影には、その犠牲者が必ずいる
本当に幸福になるためには、その犠牲者にもならねばならない





よくドラマや映画で見かけるありきたりなシーン
死のうとしてる人を止め説得するシーン
「死んでどうする 幸福とは、生きてこそのことだ、死ぬことはその放棄だ」

生きてこそ

ほう

つまり、貴様は一生永遠に生き続けるのだな?


めちゃくちゃ幸福になりました
めでたしめでたし
そのかわり
永遠に、生き続けなければなりません

貴方ならどっちを選ぶ?





こんなこと言ったら、また色んな宗教家から怒られるんだろうなぁ笑

でも、言います笑 ここは、俺の一応ささやかなフィールドだから

死ぬ覚悟なく死んだ人は、永遠の命をめでたく頂けました、おめでとーさん
どうぞこれからも一喜一憂して生きてください 永遠に

死ぬ覚悟があって自ら死んだ人は、この世でいう命は無くなりましたが、次のステップへどうぞ
自分の意思で、納得をして選んだのだから、それでいいでしょう





20年くらい前
上京したばかりのころ
バイトしながら、食えない役者やってた
ギャラはおろか、チケットノルマ、衣装やその他経費も自前
あくび顔の、たかが5~60人の義理チケ客の前
それでも、この舞台で死んでもいいくらいの情熱でやってたなぁ
自己満足でもいい 
少なくとも、俺が幕を開け、俺が幕を閉じる
それならば、十分幸福だ

それがだ

もしも

俺の意思でなく
誰かが勝手に、いや、何かの事故や不可抗力で
勝手に、途中で幕が閉じたらどうだろう

もし舞台途中で突然何かの事故で終わりにされたら









 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俺はこうする

2013年02月18日 14時25分57秒 | 個人的
あらゆる行動は選択できる
故に、責任は本人にある





どのみちみんな通る道なんだよなぁ
ちょっとばかり遅いか早いかだけで

奴から見たら俺らは遅れてる
奴のようなやり方もある

後生大事に、ヨボヨボになるまでこの世にしがみつくのもいいが
どこかで見切ってあっさり次へ進むもよし

そう思えばね
この世の悩みなど、どうでもいいくらいちっぽけなこと

どうせ死んだらファミコンのリセットボタン
金持ちも貧乏も 社長も平社員も スターも凡人も 健常者も障碍者も

はい、リセット
みんなゼロからやりなおし~
うんうん平等だ

一度配られたカードは配りなおしできないから
元々悪いカードなら仕方ない それでも戦うさ
限界までは

でもさぁ
その先はさぁ
配りなおしがあってもえーんでないかい?

ファミコンは今のガキ共は知らないか笑
俺もすっかりおっさんだ笑
リセットボタンは極力押すべきではないよね
いくらゲームとはいえ、そう何度も身勝手にやり直しちゃ
そこに意義などない
たとえスタートでつまずいても
そこから頑張るしかない くやしくても 

そう
リセットボタンは、極力押すべきではない
でも、リセットボタンはある
極力押すべきではないが、ある
それは、本当にどうしようもなくなった時に
最後の尊厳を守る為のボタンだ
無様に殺されるくらいなら、これまでのすべてを消して
やりなおす





武者震いとはこのことか
いざ、大プロジェクトを前にすると、色々不安もある
ちょっと早まったかなという気もする
様々な取引が飛び交い、70%の期待と30%の後悔がある
本来は100%でないと手は出さない俺だが
これまで石橋を叩いて叩いて叩きまくりながら時間が経った
このままでは叩きすぎて石橋を壊してしまう
もう、今しかないと思ったのだ

老後の心配やら何やら、後生大事にしがみつくつもりでいるから冒険が出来なくなる
違う 奴をみろ 奴を思い出せ
彼から、何を学んだ?
そう どうせすぐに終わる
何事も無く歩いていても、急にどぶに足がはまって突然終わる
なんとなく気まぐれで、や~めた はい、リセット
そんなノリで簡単に終わってしまう そんなもんだ

俺はどちらかといえば堅実にビジネスを積み上げてきた
なんのために?
不確定要素のあるものに手を出さない
希望的観測では動かない
常にワーストケースを想定する
我ながら中々の経営理念でここまできた

「やってみなきゃ分からない」←はい駄目
会話は結論から話すように、行動も結果から考えろ
「頑張りたくても頑張りようがない」←はい駄目
希望の仕事に就けない(雇ってもらえない)奴がよく言うセリフだが
ならば「頑張る」という言葉を使うな
頑張るというのは、やりたいことが叶わない時に、まずはやりたくないことをする事を「頑張る」というのだ

やりたいことで雇ってもらえないなら、まずはやりたくないことをして力を蓄えシステム(会社)ごと自分で作れ
畑は自分で耕せばいいのだ
俺は、そうやって生きてきた
結果もだした
でも、どうしても真実の自由になれない
そう、敢えて俺の弱点をいうならそこだ

今こそ、そのすべてをかけて、ちょっとだけ冒険してみよう
不確定要素もある ワーストケースを想定したらリスクも高い
しかし、もういいんだ
俺は、十分やった
これから後の人生は、ちょっとだけ夢の続きを
久しぶりに、上京したばかりの、あの頃へ

なあんてまるでタイタニックのジャックドーソンみたいなカッコイイこと言ってるけど笑
丸腰で特攻する訳ではないところが、我ながらどうしても堅実な性分だなぁ
一応、それなりの戦艦は用意してる その為に今まで力を蓄えてきたのだから
とはいえ、半分位は俺の嫌いな「やってみなくちゃ分からない」
50%の不確定要素 これまでの自分ならありえない
経営論理にはいささか反するが、今回は勘だ
信じるしかない

一生懸命頑張った、一生分働いて、背負う責任も全て果たした
お疲れ様、はい最後に貴方の夢をお一つご褒美に
フェラーリを買う?
世界一周する?
宇宙旅行を予約する?

俺はこうする
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

褒めてください

2013年02月17日 22時45分29秒 | 個人的
えーっと

一応、夢が叶う、らしい
ちょっと強引だが、そういうことにした
もう、悠長なこと言ってる時間はないから

でも、我ながらなんでこんなにテンション低いのか

俺の父親代わりになってくれると言ってくれた70歳のSさん
多分、俺の実の父親は、Sさんと同じくらいか少し年下ぐらいです

一応、夢をかなえたので
できれば
よく頑張ったな一也!って褒めてくれますか

さすがは俺の息子だと、言ってくれますか
肩を抱いて、泣くな 男だろって

俺、一応、やったぜ
遂に、やったぜ!!!!!
褒めてください、お父さん
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そんなもんだよ

2013年01月30日 18時06分56秒 | 個人的
俺はただ

「そんなもんだよ」

そう言ってほしいだけなのに
そう言えない奴らがあまりにも多い

いや、そんな風に言っては角が立つか
多分
俺は、そんな所まで上り詰めた
そう思おう

そうさ、言えっこないさ
だって、俺と同じ経験をした奴など
少なくとも、今の周りにはいないのだから

俺の気持ちなど、分かるはずもないのだ

「そんなもんだよ」

少なくとも「俺以上」の「紆余曲折」と「結果」があって
それでも笑顔でそう言える人

誰か、いないかなぁ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする