「僕がビルを買ったワケ」一也blog

2007年スタート 
「PTA会長blog」としてスタートし、その後「個人」「不動産投資」「新宿44支配人」として継続

死って眠り?2017ver.

2017年11月23日 15時46分17秒 | 元会長
眠りは、死に近い現象か。

よく、精神を病んでいる人は睡眠薬を飲んで長時間眠ろうとする。
この世の概念で言う“現実逃避”、しかし理解出来るところもある。
眠りとは、“無意識”になることで、無意識になるということは、一時、全てを忘れられるから、悩みや苦しみから解放される。
普通の人でも、単純に疲れたら眠るが、そういう意味では前者は疲れまくっているのだろう(一般的に言う疲れとは違う種類だろうが)

死を考えた時に、一般的には“無”を連想する。
無とは、無意識。つまり、この世の現象でいうなら、失神や眠っている時。
ということは、死を恐れる、ということは、無意識を恐れる、ということになり、おちおち眠ることも出来なくなる。

厳密に言うなら、体は存在している訳だから、完全な“無”ではないが、
眠っている時は意識が無い訳だから、体の存在は意識していない。
ということは、やはりこの世の“生”という認識は、意識と体、その両方が揃って成立しているのだろう。

眠っている時は、体は存在しているが、意識が存在していない、なのでそのひとときだけは、体があるという意識もなく、生きているという概念も忘れている。
しかし、夢を見る時がある。それはつまり、無意識の中に、もう一つの意識があるということになる。
ここがポイントなんです。
夢は時に、この世の価値観では理解出来ない、不可解な世界を映し出す。
自分が空を飛んでいたり、意味不明なストーリーの主人公になっていたり。
これはまさに、体から離れた意識だけの世界であり、死後に近い現象と連想させられる。
なんてこというとどうしても宗教的になってしまうが、そこは誤解しないでほしい、私は宗教家ではない。

二つの考え方が生まれる。
一つ目は“希望”、もう一つは。。
確かに、この世の悩み、苦しみの多くは体が関係している。
何よりも、まず“健康”でなければ、仮にどんなにお金があっても心から楽しめない。
しかし、無意識の中の意識では、時に鳥のように大空にはばたく事も出来る。これはまさに“希望”であり、睡眠薬を使ってでも眠る価値がある。
ただ、そうなると、どうしてももう一つの考えが頭をよぎる。

この世の意識とは、基本、自らの意志で構成されるが、無意識の中の意識は、基本、自らの意志では構成されない。
この世でも、良い日があったり、悪い日があったりするように、無意識の世界でも、鳥のようにはばたく日もあれば、蛇のように地面を這いつくばる日もある。
そしてその全ては自らが培った記憶が根源となっている(基本的には)
歓迎される内容なら良いが、たまには思い出したくもない内容もあるだろう。
つまり、こういうことだ。
自分の意志で構成はされない不可抗力の世界ではあるが、その世界を作ったのは自分自身ということになる。
つまり世界を創るのは神だというなら、その世界の神は、自分自身ということだ。

こうなると、出来れば夢を自在に操りたくなるだろう、それが死後の世界だと思うのなら尚更だ。
そこで宗教家なら往々にしてこのように言う。悔い改めなさい、と。
確かに、夢を死後の世界に例えるなら、合点はいく。夢=本性、となれば、単純に心の綺麗な人が綺麗な夢を見る、となるからだ。
それはそれは皆、恐ろしくなって善行に励むだろう。いい夢を見る為に。
信じる者は救われます、なんて言われて多額のお布施もしてしまうかもしれない。なんだかんだ言って、皆、自分が可愛いから。
せっせと善行を行うのもいいが、それが死後の幸せの為ならば、結局は自身の保身のように思う、やれやれ、死後までこの資本主義の概念をもっていかねばならないのか。
それでも別に良いのだが、、もっと別次元な問題だと思いますね、真実は私にも分からないですが。

話はそれますが、前途した無意識の世界というのは、眠りに例えると然程怖くはありません。では何故死は恐れられるのか?
私の場合は、死というより、“死に方”ですね。単純に、その瞬間がどれほどの苦しみなのか、どれほどの痛みなのか。それでも一瞬ならまだ良いですが、最悪の場合、何らかの事件に巻き込まれ、じわじわ拷問されなぶり殺されることなんて想像すると足が震えてきます。
1988年に起きた、女子高生コンクリート詰め事件なんて、辛くて恐ろしくて未だに震えます。あまりの悲しさに涙が出ます。
こんなこと書いたら不謹慎ですが、せめて、いっそ一思いに逝かせてあげてほしかった。長時間にわたり拷問を受け、どれだけ苦しんだだろう。
彼女は、この記憶と共に死後を過ごしているとは到底思いたくない。そんな筈は決してない。

となると、やはり、全てはうまく帳尻が合うように出来ている、そう思う。そう信じたい。
私は宗教家ではないから、神や仏とは言わない。だが、我々の概念を超越する何かがある、それだけは確か。

私は、人より善行を積んだ訳ではない。人を傷つけたこともある。墓参りにも行ってない。神も信じてない。
宗教家なら、地獄に行くぞ、悔い改めなさい、神を信じなさい、と言うだろう。
本当に、日本人全員が“本気で”そうしたら、資本主義は崩壊する、何故なら日本人全員が全財産を寄付するから。全員が破産、つまり国が破綻。
極端な発想はやめて、“出来る範囲で”やりましょう、つまり“おすそ分け”?
私はおすそ分け研究員ではないから正確な比率は分からないが、おすそ分けとは、せいぜい良くて1割くらいではなかろうか。
つまり9割保身、1割寄付。1万円持ってる人は千円、100万円持ってる人は10万、、
ということは、9割地獄に行く。いえいえ意識の持ち方です?10万100万寄付する人もいれば10円、100円の人もいる、尊いお気持ちに変わりはありません?尊いお気持ち、というのは、その人一人一人の価値観、つまり一人一人の人間性であって、、
じゃ年金や税金も、その一人一人の尊いお気持ち、でいいのか、良くないよな。つまり我々は信用されてない、ルールを決めなきゃちゃんと出来ない不完全な存在。法律があり、警察や刑務所があるから抑止されているだけで、もしもその全てが無くなったら、、?犯罪し放題、そして多くの人は、地獄行き決定か。

だから私はこうして意識をしている。
答えは出なくとも、常に意識し、考えている。
そして健康に生きている今を、心から感謝している。
地獄に怯え、何かに委ねはしない。ただ、後悔と反省は日常茶飯事だ。

そんな中、今日も眠りにつく。滅裂尻切れ御免。
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天使よここを見よ

2017年11月22日 16時30分01秒 | 不動産投資
さてさて、不動産投資の醍醐味も、前回と前々回の二回で既に燃え尽きた感がありますが(笑)

目標の健美家掲載まで20回更新がノルマですから(笑)本日は追加でプチプチ醍醐味を一つご紹介(^-^;



これも私の貧乏性からくる独自の発想かもしれませんが(^-^;幼少時代から劣等生だった私はどこか世間に対するコンプレックスのようなものがあって、世間に認められたいみたいな願望があったのですが、それは前回で書いた醍醐味により大幅に解消したものの、まだ何か眠れぬ魂があるようで(笑)



私、子供の頃から、大いなる劣等生でありながら、大いなる目立ちたがり屋でして(^-^;授業中等はいたたまれない時間を過ごしてるくせに、やれ遠足となるとバスの中ではマイク離さなーズのワンマンショーです(笑)今思えば大迷惑な話ですが(笑)お楽しみ会では作演出主演で寸劇やったり(しかしいつもグダグダで終わるw)

ま、そんなお調子者でしたが、それが今のライブハウスやイベントスペースといった夢に繋がってる訳ですね☆



前々回でも書いたように、イベントスペースを運営する為に立地には拘りましたが、それだけが理由ではありません。

ライブハウスに限らず、どんなお店でも、とにかく駅近なら、一本裏道でもどうにかなると思います。しかし私はとにかく目立つ立地を目指しました。それは何故か。

私のビルは大型交差点の角地にあります。土地自体はそこまで大きくないものの、とにかく存在感があります。資産価値や、看板効果(収益)を見越したのは勿論ですが、プラス、はい!ここでプチ醍醐味です、そう、私は目立ちたがり屋でした(笑)

それこそ都心は一本裏になるだけで、坪単価が半分といっても過言じゃないくらい変わります。とことん目立って小さい箱か、一本裏で大きい箱か。そんなこと言い出したら、都心で掘立小屋か、田舎で大豪邸か、これは不動産を買う時に誰もが一度は考える事でしょう。

それの究極バージョンです、ほんの1秒だけ悩みましたが、もちろん答えは前者です!!



そもそも、利回り(資産)以上の醍醐味とは、不動産投資のセオリー全てをクリアしてこそ頂けるオマケのご利益、そもそも間違った投資をして赤字になっていては醍醐味どころではありません。なので、まず資産価値を考えたら、どのみちどの投資家も同じ答えを出すと思いますが、しかし、資産価値の次は利回りがあります、ここも何とか10%以上をクリアした上での醍醐味です。(※間違っても醍醐味から考えてはいけません)

なんて偉そうに言いながらも、我ながら、よくこの立地で利回り出せたと思いますよ(^-^;イケるだろうと見越してはいましたが、正直絶対の確証はなかったです(^-^;実は購入の時点では、醍醐味がある分、多少は譲ろうと思ってました(^-^;



話が逸れましたが、そんなこんなで街の中心(!?)といっても過言ではないくらい、街にとって要の場所に、存在感のある城を構えた訳です。こうなったら、気分はちょっとした街の名手です(笑)ビルには「ようこそ、○○へ」なんて温泉地みたいな特大ウェルカムボードを設置し、ちょっとした町興しです!目立つだけに、下手したら街のイメージにも影響するといっても過言ではない、ただただ目立ちたいだけじゃなく、責任を感じながら真面目に目立つ事を次々と考えます。

ビルの前には動くグラフィックライトを複数設置し、路面を華やかに演出します。これは子供達に大人気!「これ、どうなってるの~?」「どこから照らしてるの~?」なんて皆大騒ぎw その姿を見てるだけで嬉しくて、思わずニヤニヤしちゃいます(笑)

つまり、私の不動産は、私の分身となって私の代わりに目立ってくれてる訳です。

ビルの入り口にはオブジェを設置、出入りする女性達が「可愛い~」等の声を聞く度、まるで自分が褒められてるような気分になります(笑)

で、あまり深い意味はありませんが、なんとなくふっと頭に浮かんだアン・ルイスの「て~んしよ~ここ~を~見よ~」をタイトルにもってきました(^-^;



人間、人それぞれ、一生懸命お金を稼いで、そのお金で車を買う人もいる、ブランド物を買う人もいる、ダイヤモンドを買う人もいる、海外旅行に行く人もいる、私は、このビルを買いました!ちなみに普段は自転車です(笑)



次回は、このお話の流れで、同じ買い物でも消耗品と不動産の違いを書いてみようかな、それと、これほどの立地でいかに利回り上げたか(付加価値を付けての相場コントロールや、客付けの工夫等)も書いてみようかと思います。今回もお目通し有難うございます。健美家応募まで後17回!(笑)

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平和ボケしすぎない、と、うれし涙を流せる人生

2017年11月22日 15時44分45秒 | 元会長
不眠症の人が、眠る為にロシアンルーレットに参加して、敢えて命の危機を味わい、そこから生還する事で、ぐっすりと眠った。
そんなファンタジーな物語をどこかで見ました。

幸せとは、やはり当たり前になっては幸せではないんだなと、つくづく再確認させられる場面ですね。
これまでも度々お伝えしてきたように、物事の全ては相対している。
くどいようで申し訳ないが、↓
人生の悲しみを知ってるから、人生の喜びも知ることが出来る。
人生の苦しみを知ってるから、人生の楽しみも知る事が出来る。
人生の不幸を知ってるから、人生の幸せも知る事が出来る。

死を身近に知ってるから、生きている事を実感出来る。

つまり、幸せを感じる為には、適度に不幸も体験せねばならないということ。
私の知り合いで、産まれた時から金持ちの家で、成人後もいまだに親に養ってもらっている人がいる。
我々のように誰にも頼れず、泥を噛みながら自力で這い上がって来た者からすれば何とも羨ましい話だが、どうやら当の本人は幸せではないようだ。
毎日、暇なんだって。なるほど、これがいわゆる平和ボケか。
君は一度、ロシアンルーレットをやったほうがいい。
うん、さぞ生きていることを実感できるぞ。

私は新宿に在住してるが、路上喫煙の注意係、路上駐輪の注意係などで、定年後のご老人をよく見かける。
老後に敢えて働く人も増えている、なるほど分かってる人たちだ。
多くは賃金の為ではない、労働後の旨い酒を飲むためだ、というのは冗談だけど、つまりはそういうこと。
日々に充実感をもたせるためだ。確かに、年金や恩給で悠々自適だとしても、毎日テレビをぼーっと眺めてるだけじゃ幸せは感じられない。

幸せとは、頑張って、苦労してこそ、得られるものなんだ。だから、幾つになっても、頑張らねばならないのだ。
そう、たとえばうれし涙。
うれし涙は苦労して手に入れた者にしか流せない。楽して手に入れたら涙も出ない。喜びもその一瞬だけですぐに流される。
うれし涙を流せる人生、我ながらなんて素敵な言い回しだ(自画自賛笑)
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「ありがとうございます」

2017年11月21日 15時41分32秒 | 元会長
何かの物語でこんなシーンがあった。
侵略する兵士、迫害される奴隷、愉快犯のように次々に奴隷を殺す兵士。
兵士が銃を突きつけると、殆どの奴隷は怯え嘆き命乞いするが、
ある奴隷に銃を突きつけると、その奴隷は微動だにしない。

兵士「お前は死ぬことが怖くないのか?」
奴隷「ありがとうございます」
兵士「何故、有難うなのだ、死は恐ろしい筈だ」
奴隷「人間は生かされているので、死にたくても死ねないものです。だから死なせてくれてありがとうなのです」
兵士「人間は自らの意志で生きている、だから殺される事は感謝ではない筈だ、本当に怖くないのだな?」
奴隷「心から感謝致します」
兵士「なんてムカつく奴だ、本当に殺してやる!」
奴隷「ありがとうございます」
ドキューン!!

このシーンは私の遠い記憶なので、概ね自己流に再現されています。何の物語だったかは思い出せない。恐らくキリスト系なのは想像つく。

私は、まだまだ、いわゆる善人にはなれない。
許容範囲内の親切はするが、寒空の中に眠る老婆に声はかけなかった。
そんな日は、このシーンを思い出すんだ。つまり私は兵士だ。

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もう一つの醍醐味(不動産投資)

2017年11月19日 16時22分26秒 | 不動産投資
さてさて、本日はもう一つの醍醐味について書かせて頂きます。

これは些か私の個人的な主観が大きいので、共感を得られない方も多いかと思いますがとりあえず(^-^;



大手の会社にお勤めの方等は、ひょっとしたら出世する事(しいてはそれが社会的信用や名誉となる)の喜びを知っていると思いますが、

私のような自営畑の人間だと、中々そのような評価を頂く機会は少ないんですね。別に評価を貰う為に生きている訳ではないので、私個人としては大した問題ではないのですが、いかんせん世の中がそのような概念を植え付けられているようで、たまに憤りを覚える経験がありました。



例えばのエピソードをここで一つ。私はこれまで地域活動にも積極的に参加して参りました。いわゆる町会や商店会といった類のものです。

当然ボランティアですが、地域の信頼を得る為、私なりに精一杯尽くして来ました。それなりに充実感があり素晴らしい経験となってますが、たまに理不尽さ(不公平感)を感じる事があったのです。

そのような地域活動をされている方々は、大抵が地元出身の方々で、そして中でも中心となる方々は殆どが地主さんだったりするのです。

それ自体は別に構わないのですが、時々会話の中で、“それ”に重きをおくような発言を聞く訳です。例・「どちらのお宅?」「ああ、あの立派なお屋敷のおぼっちゃま?」的なやりとりです(^-^;どうやら土地(家)が大きければ立派、偉い、凄い等と思う風潮があるようで、

私のような地方出身で貧乏の出は些か劣等感や嫉妬もあって、「う~ん、、そこで判断されるのか~」なんて、ちょっとだけ悔しい時がありました、ま、ほんのちょっとだけだけどね(笑)

最初はどこの馬の骨とも分からない訳ですから(特に私はちょっと見た目も個性的なので笑)、地元で固められた集団の中で信頼を得る為に時間がかかりました。確かに、地元出身で地主の息子さんと比べたら、スタートはウサギと亀(私)みたいなもんです(笑)



もう大体結論が見えて来ましたが、要はここでもう一つの醍醐味が得られた、となる訳です。

私がビルを購入(しかもその地域にとって重要な立地)した事によって、周囲の目はガラリと変わりました。例・「ああ、あのビルのオーナーさん!?」 自己紹介するにしても、その肩書があるだけで一気に信頼を勝ち得ます。敬意を表する人もいます。ちょっと嬉しい反面、逆に何だかな~とも思いますが(^-^;人間て?いや日本人特有?いや世の中が?とにかく嬉しいやら呆れるやら複雑な所です。

ただ、たまに「二代目ですか?」と言われる事もちょいちょいあって、なるほどそう来たか!?ちょっと私が若く見えるせいもあるのかな(それ自体は嬉しいけど笑)、にしてもそれはそれでまた違った憤りを感じる羽目になった、元々の地主坊ちゃんと一緒にするな、ってね、ま、説明するのも面倒臭いので笑顔でごまかしてますが(笑)

ただ、何だかんだやはり単純に嬉しい気持ちは否めない!(我ながら何か矛盾してますが笑)

幼少時代、風呂も無いボロアパートに母親と二人で住んでいた時に、単純に大家さんて凄いな~と思っていた、同時にこの世の中の不条理を子供心に何となく感じていた。

風呂が無いだけでいじめられた、自分の部屋が無くて惨めだった。なけなしの生活費の中から毎月家賃を払う母親の背中を見て、いつか自分も大家になってやる!と心に決めた。



そんな訳で、私は単なる資産と収入を得ただけでなく、夢と名誉まで得る事が出来た訳です。

あの頃俺をいじめた奴らに見せてやりたいが、東京にはいないので残念(笑)

おの頃共に暮らした母親にも見せたかったが、この世にいないので残念(悔)



これが、私の推奨する不動産投資の理想形です。是非、皆様も意識して探してみて頂ければ幸いです(^^)

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不動産投資における利益以上の醍醐味

2017年11月17日 16時17分39秒 | 不動産投資
私は不動産投資歴10年になる個人投資家です。
初心者の頃から贔屓にしているサイト、健美家さんのコラムを見てて、何だか自分も言いたいことが出てきてうずうずしてきたので、ちょっと始めてみます(笑)
色んな方のブログやコラムを拝見する中で、「これだけは私にしかない醍醐味だ」、という視点から書いていきたいと思います。(つまり他ではあまり紹介されていない事例だと思います・私の知る限り)
なので、多くのブログ等で書かれている基本的な事や、あくまでビジネスに特化した内容は敢えて滑剤し、それ以外の(他ではあまり書かれていない)醍醐味をご紹介していけたらと思います。なので、それらが尽きたら終わりなので、意外と最終回は直ぐに来るかもしれませんが(笑)

10年前、ドキドキしながら始めた不動産投資。最初はとにかく怖いから、リスクを最小限にし千葉の650万の一棟アパート(とはいえ3部屋だけですが)から始めました。当時のヘッジとしては単純に650万なら無くなってもやり直せる範囲内、なんて安直な考えで。
しかし、私は、いつか都心で出来るだけ目立つ立地でビルのオーナーになると、この頃から志していました。

なんて全ての投資を語り出すととてつもなく長くなるので、ちょっと置いといて、取り急ぎ、なんでこのブログを書こうと思ったか!
そのきっかけは、健美家さんで連載されているコラムで、広田健太郎さんという投資家さんの、「ビル投資というブルーオーシャンの歩き方」というコラム、その中の第41話「お金だけではない、僕のレバレッジのかけ方」という回を読んでの事でした。
お金以外のレバレッジを不動産投資から見出す。素晴らしい記事でしたが、私ならこれだ!!と思うことが書かれていなかった!!
だから書きたい(伝えたい)と思ったのです!!そして過去二回購入した事もある健美家でブログやろう!!と思って掲載方法見てみたら、過去20回は投稿した実績のあるブログで、ちゃんと審査もあるとの事だったので(確かに当然です)、それならば!ということでまずは初めてみよう!と、なりました(^-^;

なので、これまでの色々は置いといて、とりあえずきっかけとなったテーマから書きます
いきなり結論から↓
不動産投資とは、利益(利回り) + 資産 + (ここからが醍醐味) 「夢(趣味)」 + 「名誉(出世)」

私は今、都心で一棟テナントビルを所有していますが、そこにはこれらのお金と財産以上の沢山の得るものがあります。
実質利回りで10%以上を10年維持する、これは最低条件で現在の所継続6年目ですが、それ+醍醐味があるからここを買ったのです。
それは、“夢と名誉”を叶えられた事です。


購入当初は、フロアー稼働率3/2でギリギリ10%はキープした上で、プラス、地下が倉庫のような形で遊んでいました。

まずここで“夢”が叶いました。私はかねてより自分の、ライブハウスのようなイベントスペースを持つことが夢でしたが、しかし(どんな夢もそうだと思いますが)、夢=理想、つまり理想で利益を上げる事ほど難しい事はないと考え(というかむしろ理想故に、金儲けとは違う次元で考えたい、つまりはそれが夢だから)、とても賃貸では出来ない、となればいつか自分の不動産を持ち、しかもその不動産を稼働させた上で、更に余ったスペースで夢を叶える、そうすれば、たとえ売り上げがゼロでも、夢を維持出来る。利益(金儲け)という概念(プレッシャー)を取り除き、収入を得ながら好きな事が出来るなんて、何て素晴らしいことでしょう。

しかし、中々無かったんです。本当に無かった。(あくまで私の予算内での話)

なぜそこまで無かったか?イベントスペースを作る為には、人を呼ぶ以上、まず都心で、駅徒歩圏内で、更に目立つ立地を目指しました。(看板効果も狙っていたからです・駅前や繁華街など)

そもそもそんな出物自体が滅多に無いのに加え、ごく稀に見つけたとしても半端じゃない価格です。とても手が届かない。

更に賃貸に出せるフロアーが十分にあり、1フロアーだけ余裕がある建造物でなきゃならない。

そして都心になればなるほど(物件の値段が上がれば上がるほど)、資産価値はありますが、利回りはどんどん低くなる。

本当に何年もかかりました。しかし私の経験上、探し続ける根気と、様々な工夫をすれば、完璧とまではいかなくとも、必ず理想に近い物件に出会えます。その出会った経緯は別の機会に書くとして、とにかく概ね私の条件をクリアする物件に出会い、夢を叶えることが出来ました。



現在はおかげさまで賃貸用フロアーも満室で、更に余裕が出来たのでその地下も賃貸に出し、最上階にもう一つ(二つ目となる)イベントスペースを作り、第二の夢がスタートしています。

そのように、家賃収入を得ながら、夢を叶える、これが一つ目の大きな醍醐味です。

どんなに大手に務めていても、定年後は暇を持て余している人も多いです。家でテレビだけをボーっと眺める老後、そんな老後が心身にとって良いとは絶対に思えません。

行動力のある人は、その事をいち早く察知し、お金の為というより健全な生活の為、アルバイトやボランティアに参加する人もいますね。

よく街で見かける自転車に警告シール貼って回る高齢者、路上喫煙の注意しに来る高齢者、あの種の人々も、敢えて外で動くようにしているのでしょう。そうすることで社会と交わり、人とも接する。部屋で一人でいるなんて、精神的にもよくありませんよね。

あまりそのシステムの事は詳しくないですが、そのような事を懸念して行政がわざと高齢者を雇用しているのだと推測します。

しかし、定年する位の歳になると、中々プライドが邪魔して、また一から誰かの下で働く事に躊躇する人もいると思います。それ以前に雇ってくれるかどうかも中々厳しいかもしれません。

そこで私は、定年後は“全員が自営業をするべきだ”と思ってます。しかも利益が出なくてもやっていけるヘッジ型の自営業を。

先にも書いたように、老後の高齢者にとって大切なのはお金以上に、体を動かす事、人と接する事、何かに夢中になる事、そしてそれを末永く続けられる事だと思います。

何かに夢中になる為には、自分の好きな事をする事です。コーヒーが好きなら喫茶店、本が好きなら古本屋、といった具合に。

しかし、こちらも先に書いたように、例えばいきなり喫茶店をやったからといって繁盛する保証はありません。むしろ高齢者が始める事です、売り上げ的には厳しいと思った方が良いでしょう。それでもお店を続ける為には?もう分かりますよね。前置きが長くなってしまいましたが、そう、私のやり方です。実はそんなこんなで私は老後も楽しみにしています。



ほんのかる~い気持ちでサクッと書くつもりが、我ながら熱くなって(笑)些か大作になってきました(笑)このままじゃいつまでも初投稿が出来ないので、とりあえずこの辺で第一回は投稿させて頂きます!

次回、もう一つの醍醐味(名誉・出世)について書きますね!お目通し有難うございます。
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