盗まれた女神像 ⑰

　呼び鈴を押す。
　玄関扉の前に立つアルミーシュには、荘重な趣の、この扉が目に入ってはいない。扉が開いて、自分を蔑む、冷たい眼差しで睨み付けてくるベアトレイトスの嫌悪感を隠す事のない顔と、逞しくてはち切れんばかりの筋肉しか見えていない。ああ、ベアトレイトス。私は貴女の前で己を知る事が出来るのです。私は人の上に立てる女ではありません。今朝も迷える信者の一人に導きを与えました。私の一言一言に貴女の鞭と罵りが聞こえました。私は偽りの女、私は上辺だけの女、私は貴女無しでは生きられない女……
　扉の鍵が開く音がした。アルミーシュは、来ている赤いドレスの裾を払い、手にしている黒い大きめのハンドバッグを持ち直した。
　扉は開かない。嫌われたのかしら……　アルミーシュの瞳に涙が浮かぶ。不安で心臓が高鳴っている。
「アルミーシュ」扉の向こうから低い声がした。「扉を貴様が開けて入って来い」
　ベアトレイトスの声だ。アルミーシュは満面に笑みを浮かべた。嫌われたのではなかった。私を試していたのだ。信用しきっていない、私の愚かさを私自身に示して下さったのだ。アルミーシュはそう思いながら、扉を押した。両開きの扉は音も無く開き始めた。今宵はどのように責められるのでしょう……　アルミーシュは恍惚とした表情になっている。
「……おお、おお……　ベアトレイトス！」
　開いた扉の奥の玄関ホールに立つベアトレイトスを見て、アルミーシュは手にしていたハンドバッグを落とし、両手で口元を抑えた。
　胸と腰回りだけを白い下着で包み、豊かな胸筋も割れた腹筋も腕と脚の太く逞しい筋肉も、一切隠される事なく、照明の下に晒されている。
「何をしているのだ？」ベアトレイトスの眉間の縦皺が深くなる。「さっさと入れ！」
　アルミーシュは落としたハンドバッグを拾い、ふらふらとした足取りで玄関ホールに入る。
「ベアトレイトス、今日のその姿は……　いつも私がするような姿……　どうして？」
「貴様、わたしに質問するのか？」
「いえ、そんなつもりは……」アルミーシュは慌てる。「差し出がましい事を申しました！　お仕置きを……」
「ふん！」ベアトレイトスは鼻を鳴らす。「わたしがこんな格好をしてるのに、貴様はドレスか？　巫山戯ているのか？」
「いえ、そんな……」
「じゃあ、脱ぐんだ！」
「えっ？」アルミーシュは一瞬恥辱を受けたように顔を真っ赤にしたが、次第に喜悦の表情に変わって行く。「……分かりました。おっしゃる通りに致します」
「その前に女神像を渡せ」
「はい……」アルミーシュは手にしているハンドバッグを開け、中から赤く光っている小さな裸身の立像を取り出し、ベアトレイトスに差し出した。「これがメルーバの女神像です」
「ほう」ベアトレイトスは言うと、女神像を取り上げた。「じゃあ、さっさと脱げ」
　アルミーシュは右手で左の袖の釦を外し、次いで左手で右の袖の釦を外す。胸元の赤いケク薔薇の大輪を模した飾りで隠してある、縦に三つ並んだ小さな釦を外す。ぴっちりとしていた肩と腰の形が少し崩れる。両手を開いた胸元に当て、左右に開いて行く。微かな衣擦れの音をさせながらドレスが脱げ落ち、アルミーシュの足元で赤い布になった。
　ドレスを脱いだアルミーシュは、何も身に着けていなかった。アルミーシュは敢えて前を隠さず、ベアトレイトスに向いている。
「あなたは私に命じました……」アルミーシュは足元のドレスを跨ぎ、ベアトレイトスへ歩を進める。「二人で居る時には、衣服の下には何も着るなと。着る物は貴女が決めて下さると……　ですから今宵もその言い付け通りにしたのです……」
　アルミーシュはベアトレイトスの目の前に立ち、その豊かな胸筋に手を伸ばしながら、顔を見上げる。ベアトレイトスの表情は変わらないが、アルミーシュの手を拒む素振りは見せなかった。アルミーシュの手がベアトレイトスの胸に触れる。岩のように鋼鉄のように硬く、それでいて安心を与えてくれる温もりが、アルミーシュの掌から全身へと伝わる。
　不意にベアトレイトスが身体を離した。
「甘えるのはここまでだ」はっと顔を上げたアルミーシュを冷たい目で見下ろす。「多くの信者を率いる教主様が、わたしに前で全裸とはな！　今日はずっとそのままの姿で居ろ。徹底的に責めてやる。責め具もたくさんあるから覚悟しておく事だな」
「おお……　ベアトレイトス、ベアトレイトス！」アルミーシュが恍惚とした表情を浮かべ、内腿同士を擦り合わせ、深い吐息を漏らす。「早く、早く、愚かな私を責めてください」
「最初の責めだ。そこに立っていろ！」
　アルミーシュが頷くのを見て、ベアトレイトスは玄関ホール横の部屋へ入って行った。


　つづく