形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

下神明・豊町の頃(2)

2012-10-31 16:09:11 | Weblog

豊町にいた頃、山形から来た親戚が持ってきた練りハミガキを、
一本全部食べてしまったことがある。 
私は飢えは知らなかったが、甘いものに飢えていた。 
当時、一般の家庭では缶に入った、粉のハミガキ粉を使っていた。 
これは甘くもなんともないが、チューブ入りの練りハミガキは甘く、
その頃新発売されたのではないかと思う。 見たことがないものだった。 
ちょっとなめてみたらうまいので、全部食べちゃったのだ。


師走。煌々と光る裸電球の下で、正月のものを買おうとする人々が
忙し気に行き交う。 活気とせわしない光景が目に残る。 その頃の
正月は、今と違いスーパーもコンビニもないので、一週間は商店が
完全に休みに入った。 食べ物が手に入らなくなるので、人々は
真剣になって、一週間分の食料の確保をしなければならなかった。
我が家の小さな店先も、暮れは人でごった返えしていた。

当時は安いものだったらしいが、塩漬けの数の子も、暮れだけ店に
置いていた。 店の裏側の路地には、漬物などが入っていた、
空になった木の樽が積まれていた。 邪魔になった樽を移すために、
私はおやじに教えられて、樽の動かし方をおぼえた。 
母親から、その頃よく商店の人がしていた、紺色のゴツイ前掛けを
してもらい、それが長過ぎて引きずりながら、樽を斜めに傾けて、
転がしていくのが、子ども心に面白くてしょうがなかった。

日がかわってお正月になると、町の活気とあわただしさは、
うそのように消え、家々は新年の静かな日を迎える。

正月になると怖いものが一つあった。 それはピーヒャラピーヒャラの
笛とともに家々を回って歩く、唐草模様の獅子舞いだ。
外で舞い終わった獅子舞に、玄関先でおやじに押さえつけられ、
頭を獅子の大きな口の中に入れられるのだ。 食われてたまるかと、
大暴れしたが、子どもの力じゃどうしようもなかった。 
獅子舞はちょっとだけ頭を噛むのだが、食われるっ!
と思うぐらい恐ろしかった。

- 続く -

からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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