形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

下神明・豊町の頃(1)

2012-11-01 19:32:30 | Weblog

大井町の豊町に住んでいたのは、まだ幼稚園に入る前。
おやじはオフクロと結婚して一緒に満州に渡り、土木技師として
鉄道や道路をつくる仕事をしていた。  終戦後、朝鮮に抑留され、
帰国後、山形で医者をしていた、一番上の兄のところに身を寄せていた。 
その頃、私が生まれている。

その後、東京に出てきたおやじが、「もう、宮仕えはいやだ」と言い
出して始めたのが、豊町での乾物屋だとオフクロから聞いた。 
狭い店の奥に、四畳半ぐらいの部屋がついていた。 そこが、生まれ
たばかりの弟も入れた、一家四人の住まいだった。 少しばかりの家具も
置いてあったのでとても狭かった。 山形から親戚が泊りがけで来ると、
私は弟の小さなベビーベッドの下に押し込まれて寝た。

今も当時の怖い記憶として残っているのは、夜中のトイレだ。 
小さな丸い鉄の皿の蜀台(しょくだい)に立てたロウソクに火をつけて持ち、
便所まで行くのだが、大きな自分の影が壁にゆれ恐ろしかった。 
いつも必ずオフクロを起こしていた。


豊町は下町で、漫画家の故・滝田ゆうが描いた、下町の風景と同じだった。 
時代もまだ日本が復興していない頃だったので、日本全体が貧しかったと思う。 
よく隣同士で米や味噌の貸し借りをしていた。 私もマスを持たされて、
隣の家に米や味噌を借りに出された。 隣でも無くなると借りに来ていた。

小さかったので、記憶は断片的にしか残っていない。
近所の子どもたちには、大きな楽しみがあった。、それは八百屋の
お兄さんが午後の暇なときに、オート三輪車の荷台に子どもたちを乗せて、
町内を一周して遊んでくれたことだった。 オート三輪車はテレビでもたまに
見かける。 子どもが乗る三輪車を、大きくしたみたいな自動車で、荷物の
運搬に使われていた。

ハンドルは輪っかじゃなくて、オートバイと同じ大きな棒のハンドルだ。
エンジンをかけるのもバイクと同じで、床にあるペダルに体重を乗せて、
踏み込んでかける。 方向指示器は、横から赤いバナナみたいな形の
プラスチックが、右なら、右に曲がりますと、右側からぴょこんと飛び
出てきて、曲がり終わるとまた引っ込める。 今の高性能の車から見ると、
ずいぶんのどかなものだった。

町内一周は、店の前の坂道を下ってきて終わりになる。
今のジェットコースターのようで、子どもたちが大ハシャギ 
するところだった。       - 続く -


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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