日本に白黒テレビが普及し始めた頃、
家にテレビのない子は、夜、近所に見せてもらいに行っていた。
私の家も買ったのは遅かったので、隣近所をハシゴして歩いた。
行くと部屋の明かりを消してテレビを見る。
みんな映画館で映画を見るような気分なのだ。
違いは映画館のように、始まりのブザーが鳴らないだけだった。
怖い番組もあった。 「怪猫、黒猫丸」 という時代劇は、顔を猫の顔で白塗りし、
口は真っ赤に、耳まで裂けた俳優が、歌舞伎の白い獅子毛を被って出てきた。
夜中に、部屋の行灯の油を舐めているシーンなど、私たちは恐ろしくて見て
いられなかった。 ペチャペチャと舐めていたと思うと、クルッと振り向いた顔は、
身の毛もよだつというやつだ。
私たちは恐くなって下を向いていた。 まだ出ているかわからないので、
「おまえ、見てみろよ」 「イヤだよ」 などと押し問答し、見ている大人に
「まだいる?」 と聞いていた。 もういないと聞くと、ホッとしてまた見ていた。
近所にお豆腐屋さんがあって、朝よく鍋を持って豆腐や納豆を買いに
やらされた。 ある朝、豆腐を買いにいくと、「うちの、カラーテレビに
なったから、見においで」 と誘ってくれた。 夜がくるのが待ち遠しく、
夜、弟とワクワクして出かけていった。
見てビックリだった。 白黒テレビの画面に、上半分が赤、下半分が青の、
1枚の色つきプラスチックを、バコンとはめこんであるだけのテレビだった。
人でも景色でも、いつも画面の上半分が赤、下半分が青になっちゃうのだ。
カラーといえばカラーだが、見づらくて弟と目を回していた。
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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