形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

力道山の家

2012-12-18 16:25:23 | Weblog

力道山の家は池上本門寺の上のほうにあった。小学生の頃、家から
歩いて30分ほどの本門寺に遊びに行くと、よく友達と家を見に行った。 
ぼくたちのヒーロー、力道山をひとめ見たかったのだ。

高い塀に囲まれた家は中が見えないので、木によじ登って遠くから見た。
庭木が少ない、広い芝生の庭だったが、力道山の姿を見たことはなかった。
一度だけ、塀の下の隙間から、庭のずっと向こうに革靴を履いた足だけが
見えて、力道山の足じゃないかと友達と騒いだことがあった。

力道山の出てくるテレビの観衆は、めちゃくちゃにエキサイトした。 
当時、私の家には田舎の親戚の大学生が、何人か下宿していたが、
テレビに力道山の出るときは凄かった。 その頃の大学生は貧乏で、
娯楽もごく少なかったからかもしれない。

憎たらしい銀髪の吸血鬼、ブラッシーと力道山の死闘となると、
コブシを振り回して応援した。 力道山のオデコにブラッシーが
噛みついて、血が出ようものならたいへんな騒ぎだ。
「ア~ッ!! またかぶつかっちゃ!!」
(注釈、また噛みついたと言ってる。)
「んが~!」と、まぁこんな調子だ。
耐えに耐えた力道山が、最後に伝家の宝刀、空手チョップで悪党を
バッタバッタとなぎ倒してやっと溜飲を下げた。 
悪役たちは、「役」じゃなく悪党そのものだった。

ビートたけしの本だったと思うが、昔、大相撲の熱狂的なファンの落語家が
いたらしい。 楽屋でテレビの相撲を見ているうちに、だんだん興奮して
テレビににじり寄っていき、しまいにテレビをかかえて、後ろにうっちゃり
投げたそうだ。 そこまではいかないが、それに近いほど熱狂していた。

力道山が死んで、池上本門寺にお墓が建てられた。 お墓の前には、
腕を組んでニッコリ笑っている、力道山の懐かしい彫像がある。


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/

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