富山の薬売りが東京の家々を廻っていたのは、小学生の頃。
年に1回ぐらい来ただろうか。 背中に柳ごおりの入った、
黒皮の大きな荷物を、重たそうに背負って、いつもきまった
おじいさんが訪ねてくる。 薬売りが来るのは、子どもたちの
楽しみの一つだった。 それは、お土産の紙風船を何個か
くれるのと、縁側に降ろした荷物から出される、色とりどりの、
にぎやかに入っている薬袋を見る楽しさだった。
家には前に薬売りが置いていった、厚紙でできた引き出し式の
薬箱があった。 その中の箱から、使った分だけお金を払い、
減った分を補充していく。 粉薬はみんな薬包紙で三角形に
包んだものに入っていた。 中には「クマノイ(熊の胃)」という、
黒っぽい小さな塊を紙に包んだのもあって、一度だけ飲まされたそれは
とても苦かった。
「カゼ薬はどうします?」
「置いてって」
「これは新しい胃の薬だけど、よく効くよ」
「じゃそれも」 などと、
薬売りとオフクロのやりとりを聞いているのも面白かった。
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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