11年前に亡くなったオヤジは、山形で生まれ育ち、三人兄弟の末っ子だった。
一番上の兄は、オヤジとはかなり歳が離れていて、昔の医学専門学校を出て、
山形で医者をしていた。 やはり医者をしていた父親を早くに亡くしたオヤジは、
この長兄に学校にいかせてもらった。
真ん中の若くして亡くなった次兄は、東京に下宿して美大の油絵科に通っていた。
オヤジはこの兄に憧れていて、自分は木を彫る彫刻家になりたいと思った。
それで山形専門学校(山形大)の、なんと土木科! の試験を受けた。
なぜ土木科かというと、「土」をコネ、「木」を彫る、彫刻科と思ったのだ。
笑い話のような話だが、叔父から聞いたほんとうの話である。
(オヤジからこの話は聞いたことはなかった。)
受けたら、受かってしまい、あとの祭り。
オヤジはそのまま学校に通い、無事卒業して土木技師になった。
やがて長いサラリーマン生活が終わり、定年後、彫刻ではなく油絵を
趣味で始めた。 だがかなりヘタな絵で、家族の評判はすこぶる悪く、
じきに描かなくなり、好きな碁ばかりやっていた。
オヤジは土木科でよかったと思う。 そうでなければ、一家全員路頭に
迷うところだった。 それにしても、入学の日に教科書を渡されたときの、
オヤジの顔を見てみたかった。
たぶん、アゴがはずれるほどびっくりしたと思う。
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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