今回は親バカ日記風にて失礼いたします。
とりあえず記録として残しておこうか?
ということで手記を一筆。
年中さん(5歳)から始めた愚息1号(長男)のサッカー。
この度、ようやくというか、やっとというか、
とうとうというか・・・
無事最後まで完走と相成りました。
まぁ長かったようで短かった7年半・・・

スパイクも何足購入したことか・・・
こんなに消耗品かつ高価なものだとは思いもしなかったですな。
とはいえ、こうして履き潰してくれれば靴も本望でしょうし、
親として買い与え続けられたことも、
ある意味誇りに思います。
これもまた戦いの証のひとつかと。
最終戦は、
県内某市で行われた、
小規模ながら伝統のローカル大会。
当初はBチームのみでの出場予定だったが、
急遽、久々に全21名、
A,B合同チームでのエントリーに変更。
幼稚園・保育園~小学校低学年時の、
楽しいサッカー教室から
正式にチームとして発足した小3当初は、
A,Bもなく全員で大会に出場していたもの。
当時、就任した鬼コーチこそクラブのエースコーチである、
伝説のKコーチと相棒のYコーチ。
県大会優勝「数度」の実績の名将コンビ。
まずリフティング50回出来なければチームに入れない。
という「登竜門」の課題から始まり、
言わずもがなボンクラの愚息は残りの期日ギリギリでの合格。
合格のお墨付きをコーチからいただいたときには、
同級生のチームメイトはじめ他の学年の子たちから、
盛大な拍手が沸き起こったと上級生の子からハナシを聞いた。
ささやかな感動も束の間、
実はこれが地獄の一丁目1番地の入り口で、
新チームとして初めて出場した大会では 「苦敗」の4位。
まぁ頑張ったなと思ったが、
鬼コーチの考えは違った。
「私がこれまで指導してきた中で、
間違いなくクラブ史上最弱のチームだ!」
と、吐き捨てるように激を飛ばされた。
よほど頭にきたのかクラブのブログでも酷評され、
そこから鬼のような練習の嵐、
そして土日祝はてまた平日まで、
地元はもとより越境遠征、遠地遠征で、
大会はもとより練習試合の連続のため、
我々親たちもその都度、応援に出かけるハメに。
その上、遠征から地元に戻って夜まで練習。
たとえ優勝したとしても、
試合と練習は別だと…
しかし、そのうち一人、また一人、
「やる気スイッチ」が入り始めると、
それまでのポンコツ集団から、
個性的なプレーヤーが出始め、
やがてコーチの思惑通りポジション争いが始まると、
泣き虫、甘えん坊だった子たちが、
戦う集団へと変貌を遂げ、
さらにA.Bチームに分けられるようになる頃には、
チームの練習のほかに別のサッカースクールに通い、
基本テクニックを磨くようになっていった。
例の「お受験化」の始まりだ。
ここからはサッカー漬けの毎日。
あるお父さんは仕事を辞めてまで、
子供のサッカーに、
自分の人生を賭けた。
平日の試合のときには仕事を早退したり、
抜け出したりして送迎をしたり…
応援に行ったり。
自分も含め親たちも共に闘うことを、
余儀なくされていった。
そんな中、我が愚息は如何せん努力をしない子なので、
当然のことながらBチーム確定、
その後は万年Bチームの選手(笑)
以前書いたとおり「不祥事」を起こして、
謹慎処分を食らうわ、
かと思えばミラクルな活躍があったりと、
好調とスランプの繰り返しで、
つけあがってみたり落ち込んでみたり、
もう何度辞める辞めないのの連続だったことか・・・・
でも不思議なことに、
このチーム明らかに「格差ピラミッド」が存在しているにもかかわらず、
Aチームの子とBチームの子の仲が、
とにかく良かった。
強豪チームでは絶対的に存在するAチームとBチームの「差別感情」。
これがまったくといっていいほど無かった。
またこれは他の学年いや他のチームでは、
まぁありえない不思議な現象だろう。
しかしコーチ目線でいくと、
一つ間違えば「仲良しチーム」のようになってしまう危うさである。
単純仲良しチームでは常勝軍団に、
絶対なれないことは、
長年、千葉ロッテマリーンズの応援に、
従事してきた私には、
トコトン骨身に沁みてわかる。
しかし本当に不思議なハナシだが、
このチームに関しては間違いなくイジメとやらは存在しなかった。
これについてはイジメのメカニズムと処方箋解明のためにも、
また改めて「検証」する必要がありそうだ。
やがて鬼のKコーチとYコーチ2人のおかげで、
A,Bチームともにメキメキと実力を上げていき、
チームが戦う集団として頭角を現すようになっていく。
とある大会ではA,Bチームでの同門決勝戦なんてこともあった。
これが、以前書いた我が愚息の初めてのMVP獲得の試合。
それから時折Aチームに昇格したかと思うと、
再びBチームへ・・・なんてことを繰り返しながらも、
なんとか、ここまで続けてこれたのは、
本当に鬼コーチと、
いつも仲良しにしてくれたチームメイトたちのおかげ。
特にどん底時代にいつも寄り添ってくれた、
EくんはじめBチームの面々には、
感謝し尽くしてもし足りない。
その最弱と酷評されたチームも今や、
「ソコソコ」有名なチームとなり、
残念ながら全国制覇とか県大会優勝といった
超G1級のチームにはなれなかったものの、
常勝軍団へと名を上げ、
名前を出せば地元でサッカーをやっている子なら、
知らない者はいないレベルのチームへと変貌を遂げた。
人数を書くと、
ドコかバレたり何かと問題があるので詳細は書けないが、
このチームから「数名」のJリーグの下部組織、
通称「Jリーグユース」へと
「進学」する選手たちを輩出するまでになった。
毎年必ずプロユースの選手を排出しているが、
クラブ史上、数チーム数名は快挙だそうな。
もちろん、
その他の子たちも、
地元1部リーグのクラブへ進学する者、
多数となった。
ただウチの愚息については以前、書いた通り(笑)デス。
一応。
さて、その最後の大会。
これも鬼コーチなかなかの演出で、
スタートはAチームで始まり、
3点差がついた時点で、
「看板選手」を1人残して総入れ替えという、
ギャンブル的采配。
おかげでウチの愚息にも出場機会が与えられた。
相手もけっして、
よくありがちな弱小チームとはワケが違う。
県大会ベスト24レベルのチーム。
それこそ舐めやがって!とばかりに、
相手の逆襲、猛攻必至となる。
が、これはもはや鬼コーチにとっては、
卒業試験の意味合いがあったようで、
選手たちを信じる!に賭けた。
しかし、この賭けは見事に当たり、
更なる追加点まで生み出し、
挙げ句うち1試合でウチの愚息も、
シュートを決めたりと、
点数自体は4-0みたいな試合ながら、
大いにチームが盛り上がり、
お祭りムードの雰囲気となった。
そして3連勝で決勝進出!
みらいモンスターたちとの競演は、
まさにプレミアものの思い出となった。
決勝戦。
数度の不利な判定も何のその、
圧倒的な勢いと、
今や金看板の名に恥じぬ実力の差を、
まざまざと見せつけ、
5-0で快勝!まさしく全員サッカーで有終の美を飾り、
愚息の夢のような、
少年時代が終わりを告げた。
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優勝チームから5名のコーチ推薦による、
優秀選手賞が主にBチームの子に送られ、
ウチの愚息も最後のメダルを頂戴した。
そして表彰式~大撮影会が終了した、
夕暮れのグランドで、
選手、親たちを円陣状に集めコーチから、
今回の表彰推薦の理由を丁寧に説明。
これも最終戦ならではのこと。
そこでウチの愚息の表彰理由が、
「私はコイツがサッカーをやっていなかったら、
どんだけ悪いガキになっていたか…と思うと本当にゾッとします」
と言われ一同爆笑。
続けて、
「でもね。練習のとき、遠征合宿のとき、
移動のクルマの中、チームの良いとき悪いとき、
間違いなく常に絶対的ムードメーカーとして、
チームに大きく貢献してくれました。
だからあげました。
本当に助かりました。今までありがとう!」
そして阿吽の呼吸で盛大な拍手が。
結果として、
選手としては名門チームの落ちこぼれFWだったが、
それでもみんなから必要とされていたこと、
イジられつつ可愛がられ愛されていたこと、
チームに対し何かしらの役に立てていたのだとしたら、
とりあえず、この「サッカー」という選択は、
間違っていなかったのかなと・・・
ちったぁ親の苦労も報われたと思えた瞬間であった。
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もう来週から、こういう映像を撮るコトはない。
いや、もう出来ないといった方がいいか。
灼熱の太陽の中の試合アリ、豪雨の中での試合あり、
氷点下の中での試合もあれば、
東西南北いろいろな地、チームとの対戦、
中には東京拘置所内での試合なんてのもあった。
貴重な経験だったが、このネタについては、
もう少し時間が経過してから書こうかと思っている。
かなりのお宝映像も撮れた・・・ハズ(笑)
まぁいろいろなところへ行かされましたホント。
来月からは中学生という新たなステージへと、
泣き虫で甘えん坊だった子供達が、
ステップアップする。
ある子はプロ選手のタマゴとしてデビューし、
またある子は超名門私立中学校の生徒となり・・・
桜の花びらが散っていくように、
それぞれの新たな人生が始まる。
さてウチの愚息はどうなることやら・・・・
ひとまず愚息のサッカーネタ「少年時代編」は終了。
果たして第2部はあるのかどうなのか?
ひとまず「おもひで箱」に封印ということで、
ネタをまとめたい。
今週は単なる親バカ日記風で失礼いたしました。
m(__)m
ではまた次回。
※よしっ!さぁプロ野球開幕だ!今シーズンは行くぞ~!!
とりあえず記録として残しておこうか?
ということで手記を一筆。
年中さん(5歳)から始めた愚息1号(長男)のサッカー。
この度、ようやくというか、やっとというか、
とうとうというか・・・
無事最後まで完走と相成りました。
まぁ長かったようで短かった7年半・・・
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スパイクも何足購入したことか・・・
こんなに消耗品かつ高価なものだとは思いもしなかったですな。
とはいえ、こうして履き潰してくれれば靴も本望でしょうし、
親として買い与え続けられたことも、
ある意味誇りに思います。
これもまた戦いの証のひとつかと。
最終戦は、
県内某市で行われた、
小規模ながら伝統のローカル大会。
当初はBチームのみでの出場予定だったが、
急遽、久々に全21名、
A,B合同チームでのエントリーに変更。
幼稚園・保育園~小学校低学年時の、
楽しいサッカー教室から
正式にチームとして発足した小3当初は、
A,Bもなく全員で大会に出場していたもの。
当時、就任した鬼コーチこそクラブのエースコーチである、
伝説のKコーチと相棒のYコーチ。
県大会優勝「数度」の実績の名将コンビ。
まずリフティング50回出来なければチームに入れない。
という「登竜門」の課題から始まり、
言わずもがなボンクラの愚息は残りの期日ギリギリでの合格。
合格のお墨付きをコーチからいただいたときには、
同級生のチームメイトはじめ他の学年の子たちから、
盛大な拍手が沸き起こったと上級生の子からハナシを聞いた。
ささやかな感動も束の間、
実はこれが地獄の一丁目1番地の入り口で、
新チームとして初めて出場した大会では 「苦敗」の4位。
まぁ頑張ったなと思ったが、
鬼コーチの考えは違った。
「私がこれまで指導してきた中で、
間違いなくクラブ史上最弱のチームだ!」
と、吐き捨てるように激を飛ばされた。
よほど頭にきたのかクラブのブログでも酷評され、
そこから鬼のような練習の嵐、
そして土日祝はてまた平日まで、
地元はもとより越境遠征、遠地遠征で、
大会はもとより練習試合の連続のため、
我々親たちもその都度、応援に出かけるハメに。
その上、遠征から地元に戻って夜まで練習。
たとえ優勝したとしても、
試合と練習は別だと…
しかし、そのうち一人、また一人、
「やる気スイッチ」が入り始めると、
それまでのポンコツ集団から、
個性的なプレーヤーが出始め、
やがてコーチの思惑通りポジション争いが始まると、
泣き虫、甘えん坊だった子たちが、
戦う集団へと変貌を遂げ、
さらにA.Bチームに分けられるようになる頃には、
チームの練習のほかに別のサッカースクールに通い、
基本テクニックを磨くようになっていった。
例の「お受験化」の始まりだ。
ここからはサッカー漬けの毎日。
あるお父さんは仕事を辞めてまで、
子供のサッカーに、
自分の人生を賭けた。
平日の試合のときには仕事を早退したり、
抜け出したりして送迎をしたり…
応援に行ったり。
自分も含め親たちも共に闘うことを、
余儀なくされていった。
そんな中、我が愚息は如何せん努力をしない子なので、
当然のことながらBチーム確定、
その後は万年Bチームの選手(笑)
以前書いたとおり「不祥事」を起こして、
謹慎処分を食らうわ、
かと思えばミラクルな活躍があったりと、
好調とスランプの繰り返しで、
つけあがってみたり落ち込んでみたり、
もう何度辞める辞めないのの連続だったことか・・・・
でも不思議なことに、
このチーム明らかに「格差ピラミッド」が存在しているにもかかわらず、
Aチームの子とBチームの子の仲が、
とにかく良かった。
強豪チームでは絶対的に存在するAチームとBチームの「差別感情」。
これがまったくといっていいほど無かった。
またこれは他の学年いや他のチームでは、
まぁありえない不思議な現象だろう。
しかしコーチ目線でいくと、
一つ間違えば「仲良しチーム」のようになってしまう危うさである。
単純仲良しチームでは常勝軍団に、
絶対なれないことは、
長年、千葉ロッテマリーンズの応援に、
従事してきた私には、
トコトン骨身に沁みてわかる。
しかし本当に不思議なハナシだが、
このチームに関しては間違いなくイジメとやらは存在しなかった。
これについてはイジメのメカニズムと処方箋解明のためにも、
また改めて「検証」する必要がありそうだ。
やがて鬼のKコーチとYコーチ2人のおかげで、
A,Bチームともにメキメキと実力を上げていき、
チームが戦う集団として頭角を現すようになっていく。
とある大会ではA,Bチームでの同門決勝戦なんてこともあった。
これが、以前書いた我が愚息の初めてのMVP獲得の試合。
それから時折Aチームに昇格したかと思うと、
再びBチームへ・・・なんてことを繰り返しながらも、
なんとか、ここまで続けてこれたのは、
本当に鬼コーチと、
いつも仲良しにしてくれたチームメイトたちのおかげ。
特にどん底時代にいつも寄り添ってくれた、
EくんはじめBチームの面々には、
感謝し尽くしてもし足りない。
その最弱と酷評されたチームも今や、
「ソコソコ」有名なチームとなり、
残念ながら全国制覇とか県大会優勝といった
超G1級のチームにはなれなかったものの、
常勝軍団へと名を上げ、
名前を出せば地元でサッカーをやっている子なら、
知らない者はいないレベルのチームへと変貌を遂げた。
人数を書くと、
ドコかバレたり何かと問題があるので詳細は書けないが、
このチームから「数名」のJリーグの下部組織、
通称「Jリーグユース」へと
「進学」する選手たちを輩出するまでになった。
毎年必ずプロユースの選手を排出しているが、
クラブ史上、数チーム数名は快挙だそうな。
もちろん、
その他の子たちも、
地元1部リーグのクラブへ進学する者、
多数となった。
ただウチの愚息については以前、書いた通り(笑)デス。
一応。
さて、その最後の大会。
これも鬼コーチなかなかの演出で、
スタートはAチームで始まり、
3点差がついた時点で、
「看板選手」を1人残して総入れ替えという、
ギャンブル的采配。
おかげでウチの愚息にも出場機会が与えられた。
相手もけっして、
よくありがちな弱小チームとはワケが違う。
県大会ベスト24レベルのチーム。
それこそ舐めやがって!とばかりに、
相手の逆襲、猛攻必至となる。
が、これはもはや鬼コーチにとっては、
卒業試験の意味合いがあったようで、
選手たちを信じる!に賭けた。
しかし、この賭けは見事に当たり、
更なる追加点まで生み出し、
挙げ句うち1試合でウチの愚息も、
シュートを決めたりと、
点数自体は4-0みたいな試合ながら、
大いにチームが盛り上がり、
お祭りムードの雰囲気となった。
そして3連勝で決勝進出!
みらいモンスターたちとの競演は、
まさにプレミアものの思い出となった。
決勝戦。
数度の不利な判定も何のその、
圧倒的な勢いと、
今や金看板の名に恥じぬ実力の差を、
まざまざと見せつけ、
5-0で快勝!まさしく全員サッカーで有終の美を飾り、
愚息の夢のような、
少年時代が終わりを告げた。
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優勝チームから5名のコーチ推薦による、
優秀選手賞が主にBチームの子に送られ、
ウチの愚息も最後のメダルを頂戴した。
そして表彰式~大撮影会が終了した、
夕暮れのグランドで、
選手、親たちを円陣状に集めコーチから、
今回の表彰推薦の理由を丁寧に説明。
これも最終戦ならではのこと。
そこでウチの愚息の表彰理由が、
「私はコイツがサッカーをやっていなかったら、
どんだけ悪いガキになっていたか…と思うと本当にゾッとします」
と言われ一同爆笑。
続けて、
「でもね。練習のとき、遠征合宿のとき、
移動のクルマの中、チームの良いとき悪いとき、
間違いなく常に絶対的ムードメーカーとして、
チームに大きく貢献してくれました。
だからあげました。
本当に助かりました。今までありがとう!」
そして阿吽の呼吸で盛大な拍手が。
結果として、
選手としては名門チームの落ちこぼれFWだったが、
それでもみんなから必要とされていたこと、
イジられつつ可愛がられ愛されていたこと、
チームに対し何かしらの役に立てていたのだとしたら、
とりあえず、この「サッカー」という選択は、
間違っていなかったのかなと・・・
ちったぁ親の苦労も報われたと思えた瞬間であった。

もう来週から、こういう映像を撮るコトはない。
いや、もう出来ないといった方がいいか。
灼熱の太陽の中の試合アリ、豪雨の中での試合あり、
氷点下の中での試合もあれば、
東西南北いろいろな地、チームとの対戦、
中には東京拘置所内での試合なんてのもあった。
貴重な経験だったが、このネタについては、
もう少し時間が経過してから書こうかと思っている。
かなりのお宝映像も撮れた・・・ハズ(笑)
まぁいろいろなところへ行かされましたホント。
来月からは中学生という新たなステージへと、
泣き虫で甘えん坊だった子供達が、
ステップアップする。
ある子はプロ選手のタマゴとしてデビューし、
またある子は超名門私立中学校の生徒となり・・・
桜の花びらが散っていくように、
それぞれの新たな人生が始まる。
さてウチの愚息はどうなることやら・・・・
ひとまず愚息のサッカーネタ「少年時代編」は終了。
果たして第2部はあるのかどうなのか?
ひとまず「おもひで箱」に封印ということで、
ネタをまとめたい。
今週は単なる親バカ日記風で失礼いたしました。
m(__)m
ではまた次回。
※よしっ!さぁプロ野球開幕だ!今シーズンは行くぞ~!!