今回はマリーンズネタ書きま~すっ!
その前に遅ればせながらご挨拶から。
かの大台風、幸いにして当家は無事でして、
停電も断水もなく、
お蔭様で平穏無事に過ごさせていただいております。
ご心配頂いた皆様、この場をお借りして、
改めまして御礼申し上げます。
m(__)m
ということで、
こういうときこそ「がんばろう千葉」ってんで、
我がマリーンズ!奮起するかなぁ・・・
なんて少しばっか思ったんですが、
菓子は甘くも勝負は辛い千葉ロッテ。
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そうは問屋が卸してくれませんでした。
結局、今シーズンは4位にて終了。
クライマックスシリーズ進出ならず・・・
でしたな。ハハハ。
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というもの遡るコト西武ライオンズ優勝の1週間前、
某所沢(?)ドームへ久々「出没」したものの、
昨年からイチオシの種市の好投空しく、
まさか(いや必然)のサヨナラ負けを目前で観戦・・・・
試合後ライオンズの辻監督曰く「神風が吹いた」と。
これを観て今シーズンの勝負アリ(4位)を確信。
D先生と「秋津」で早めの忘年会にてヤケ酒少々。
この翌週、9月23日。
千葉ZOZOマリンスタジアムでは、
マリーンズ一筋26年千葉の誇りいや至宝の、
福浦和也が引退試合。
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悔しいかなこの試合のチケット取れませんでしたトホホ。
当日は楽天TVでの観戦となりました。
思えば93年ドラフト7位、
当時、ドラフト会議で一番最後にコールされ、
入団当初も背番号は球団末番号の70番、
(1球団の支配下登録は70人で当時育成枠はナシ)
地元、市立習志野高校のエースとはいえ、
完全に補欠合格選手だった福浦和也が、
26年の現役生活最後の引退試合を迎え、
そのチケットがまた、
発売開始数分でソールドアウトという
偉大なるレジェンドスターになるとは、
誰が想像しただろう?
福浦が入団した頃のマリーンズはというと、
それこそ球界の落ちこぼれ集団そのもので、
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大学2浪のドラ1エースやら、
球界の狂犬と恐れられた重鎮あり、
珍プレー界では知名度抜群のショートやら、
158㌔の剛速球を投げて、
かの清原と「名勝負」こそするものの、
素行不良にして偏屈で変わり者のハーフのピッチャーあり。
そんなチームに入団。
翌年、当時の2軍コーチだった山本功児に、
肩の故障から打者転向「させられ」その後3年間、
菓子工場裏の浦和球場での下積み生活を経て、
97年ようやく打者としてレギュラー獲得。
98年に背番号9をつかみ取るものの、
この年は魔の18連敗の年。
しかし皮肉なことに、
このときレギュラーで18連敗試合全試合出場。
その当時、若かりし潮風太子が16連敗目のダイエー戦で、
敗色濃厚の試合後半に2塁代走として、
ずんぐりムックリのデブ内之倉という、
谷保さんのコールを聞いて、
ライトスタンドからヤジを絶叫したことは、
以前書いた。
ただ、この18連敗で我々ファンの結束は、
一段と強くなり、
進学先を千葉県内にするという親不孝な子やら、
マリーンズ教(ファンクラブ)入信の挙句、
転勤を拒否して会社を辞め、
幕張周辺の企業に転職する者やら、
残業を拒否して早々に球場直行という、
(つまり出世を捨てた世捨て人)という
バカ(私含め)多数が現れ始めた。
この頃からマリヲタなるコトバが闊歩するようになる。
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翌年99年、福浦の恩師「山本功児」が、
火中の栗拾いながら監督に就任すると、
「ジョニー黒木」がエースとなり、
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18連敗した7月7日に18年ぶりの首位!
このときの東京ドームのレフトスタンドのことは、
一生忘れるコトはなかろう。
この時代3割を打てる実力があった掘や福浦は、
まさしく神的存在だった。
後半、チームが失速すると1塁からライトにコンバートされ、
ライトスタンドと内野の境目の内野側(現在はシミスポの警備がいる場所)に、
毎試合のように出没する学生服に鉢巻き姿という、
珍妙ないで立ちの「おばちゃん」(結構な変わり者の人)から、
守備機会中ひっきりなしに、どう贔屓目にみても、
明らかに集中力を切らすような、
言語不明意味不明のヤジに近い黄色い声援に、
ひたすら耐えながら「職務」を自分にできる限り(足が少々ね)、
頑張ってこなしていた福浦。
ときたま見せるバックホームの意外(失礼)な強肩に、
「さすが習校の元エース!」とライスタ全体がどよめいた。
「今日も負けたけど小坂の盗塁と福浦の強肩が見れたからイイや」
とまぁこんな風。
そして2005年のリーグ2位からの日本一、
2010年のリーグ3位からの下剋上日本一での、
福浦の大活躍ぶりについては、
もう皆さんご承知のことなので、
改めて書くまでもナイ。
そして最後の最後に横っ飛びでのファーストライナー捕球で、
ゲームセット!ウィニングボールを見事ゲットして、
26年間のプロ生活にピリオドを打った。
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無数の紙吹雪が舞う中での引退セレモニー。
この紙吹雪の引退セレモニーも、
私の記憶が確かならば、
1999年園川一美の引退試合から始まった気がする。
前日にライトスタンドで新聞紙を手のひら大の大きさにカットして、
とにかく、たくさん持ってくるようにと「援団」からレクチャーを受け、
資料用に保存していた競馬新聞を夜なべしてカットして、
翌日ライスタに持っていくと、
SNSがまだ発達していない時代(ウィンドウズ98が最新だった)、
にもかかわらず、
どういうわけか皆一応にたらふく「紙吹雪」を持参していて、
なんなんだコイツら・・・と驚いたっけな。
あれから20年・・・20年前に見た園川の引退試合、
いや福浦もグランドで見ていた。
そして今度は自分の番。
福浦和也という野球選手を失礼ながら、
我々と同じ、
「サラリーマン」として変換させてみると、
実は非常に興味深く味わい深い。
入社時は業界でも最下位の評価にして、
誰もが憧れるメジャー優良企業に残念ながら入れずも、
食っていくために仕方なしで入った3流企業。
頑張って頑張って、ようやく実力が評価されだした途端、
会社は未曾有の業績悪化(18連敗)に陥る始末。
そんな状況下になって自身までスランプに陥ってしまう。
が、そこから気持ちを切り替えて、
まずは自分が変わらなきゃと自己改革に努め、
経年劣化の「勤続疲労」(ケガや病気など)にもめげず、
必要とされる存在となることで、
度々襲うリストラの危機や、
怪しげなヘッドハンティング(FA)など、
転職の誘惑もなんとか乗り越え、
晩年は厳しくも若手から慕われる指導者的立場となり、
そして育てた若手選手たちがいよいよ芽を出し始め・・・
そこで「定年」と。
リストラされない、
あるいはリストラされても、
堕落しないサラリーマンの絶対的条件というのがある。
もっともこれば潮風太子独自の持論であるが・・・
まず挨拶力、次が準備力、3番目に謝罪力。
これが1つでも欠けていると、どうもダメな結果になる。
というのが自身の経験則だ。
これを野球選手福浦和也に変換して当てはめてみる。
常にグランドで大声でピッチャーや野手を鼓舞する元気力、
次が、あらゆるシチュエーションを想定した練習(準備力)、
3番目に失敗(エラーや凡退)を素直に認める反省力と、
次のチャンスに備え準備する挽回力。
福浦の現役時代を今一度思いだしてもらいたい。
どうだろう?
すべて当てはまっていないだろうか。
引退試合まで出来る選手は本当に幸せな選手。
定年まで「現役」として最後まで働けた人も幸せな勤め人。
定年まで、あと10年の潮風太子も、
今回の福浦の引退試合に関しては、
思いのほか感慨深かった。
やっぱり真面目に地道にコツコツ、
これが大正解なんだなと・・・
人生山あり谷あり。
よく言ったものだなと・・・・
福浦選手26年間本当にお疲れさまでした!
そして感動をありがとう!!
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と、大感動の引退試合の翌日、
山高ければ谷深し・・・か、
ZOZOマリンスタジアムは西武の胴上げ試合の舞台となった。
この敗戦にて4位確定で今シーズンの終戦。
こういうところもマリーンズらしくてイイね。ポチっ!
って良かぁねぇよ!!
来シーズンこそ、もっと頑張れよマリーンズ!!
とセルジオ越後ばりの辛口コメントにて、
今シーズンのマリーンズネタ終了です。
ではまた次回。
その前に遅ればせながらご挨拶から。
かの大台風、幸いにして当家は無事でして、
停電も断水もなく、
お蔭様で平穏無事に過ごさせていただいております。
ご心配頂いた皆様、この場をお借りして、
改めまして御礼申し上げます。
m(__)m
ということで、
こういうときこそ「がんばろう千葉」ってんで、
我がマリーンズ!奮起するかなぁ・・・
なんて少しばっか思ったんですが、
菓子は甘くも勝負は辛い千葉ロッテ。
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そうは問屋が卸してくれませんでした。
結局、今シーズンは4位にて終了。
クライマックスシリーズ進出ならず・・・
でしたな。ハハハ。
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というもの遡るコト西武ライオンズ優勝の1週間前、
某所沢(?)ドームへ久々「出没」したものの、
昨年からイチオシの種市の好投空しく、
まさか(いや必然)のサヨナラ負けを目前で観戦・・・・
試合後ライオンズの辻監督曰く「神風が吹いた」と。
これを観て今シーズンの勝負アリ(4位)を確信。
D先生と「秋津」で早めの忘年会にてヤケ酒少々。
この翌週、9月23日。
千葉ZOZOマリンスタジアムでは、
マリーンズ一筋26年千葉の誇りいや至宝の、
福浦和也が引退試合。
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悔しいかなこの試合のチケット取れませんでしたトホホ。
当日は楽天TVでの観戦となりました。
思えば93年ドラフト7位、
当時、ドラフト会議で一番最後にコールされ、
入団当初も背番号は球団末番号の70番、
(1球団の支配下登録は70人で当時育成枠はナシ)
地元、市立習志野高校のエースとはいえ、
完全に補欠合格選手だった福浦和也が、
26年の現役生活最後の引退試合を迎え、
そのチケットがまた、
発売開始数分でソールドアウトという
偉大なるレジェンドスターになるとは、
誰が想像しただろう?
福浦が入団した頃のマリーンズはというと、
それこそ球界の落ちこぼれ集団そのもので、
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大学2浪のドラ1エースやら、
球界の狂犬と恐れられた重鎮あり、
珍プレー界では知名度抜群のショートやら、
158㌔の剛速球を投げて、
かの清原と「名勝負」こそするものの、
素行不良にして偏屈で変わり者のハーフのピッチャーあり。
そんなチームに入団。
翌年、当時の2軍コーチだった山本功児に、
肩の故障から打者転向「させられ」その後3年間、
菓子工場裏の浦和球場での下積み生活を経て、
97年ようやく打者としてレギュラー獲得。
98年に背番号9をつかみ取るものの、
この年は魔の18連敗の年。
しかし皮肉なことに、
このときレギュラーで18連敗試合全試合出場。
その当時、若かりし潮風太子が16連敗目のダイエー戦で、
敗色濃厚の試合後半に2塁代走として、
ずんぐりムックリのデブ内之倉という、
谷保さんのコールを聞いて、
ライトスタンドからヤジを絶叫したことは、
以前書いた。
ただ、この18連敗で我々ファンの結束は、
一段と強くなり、
進学先を千葉県内にするという親不孝な子やら、
マリーンズ教(ファンクラブ)入信の挙句、
転勤を拒否して会社を辞め、
幕張周辺の企業に転職する者やら、
残業を拒否して早々に球場直行という、
(つまり出世を捨てた世捨て人)という
バカ(私含め)多数が現れ始めた。
この頃からマリヲタなるコトバが闊歩するようになる。
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翌年99年、福浦の恩師「山本功児」が、
火中の栗拾いながら監督に就任すると、
「ジョニー黒木」がエースとなり、
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18連敗した7月7日に18年ぶりの首位!
このときの東京ドームのレフトスタンドのことは、
一生忘れるコトはなかろう。
この時代3割を打てる実力があった掘や福浦は、
まさしく神的存在だった。
後半、チームが失速すると1塁からライトにコンバートされ、
ライトスタンドと内野の境目の内野側(現在はシミスポの警備がいる場所)に、
毎試合のように出没する学生服に鉢巻き姿という、
珍妙ないで立ちの「おばちゃん」(結構な変わり者の人)から、
守備機会中ひっきりなしに、どう贔屓目にみても、
明らかに集中力を切らすような、
言語不明意味不明のヤジに近い黄色い声援に、
ひたすら耐えながら「職務」を自分にできる限り(足が少々ね)、
頑張ってこなしていた福浦。
ときたま見せるバックホームの意外(失礼)な強肩に、
「さすが習校の元エース!」とライスタ全体がどよめいた。
「今日も負けたけど小坂の盗塁と福浦の強肩が見れたからイイや」
とまぁこんな風。
そして2005年のリーグ2位からの日本一、
2010年のリーグ3位からの下剋上日本一での、
福浦の大活躍ぶりについては、
もう皆さんご承知のことなので、
改めて書くまでもナイ。
そして最後の最後に横っ飛びでのファーストライナー捕球で、
ゲームセット!ウィニングボールを見事ゲットして、
26年間のプロ生活にピリオドを打った。
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無数の紙吹雪が舞う中での引退セレモニー。
この紙吹雪の引退セレモニーも、
私の記憶が確かならば、
1999年園川一美の引退試合から始まった気がする。
前日にライトスタンドで新聞紙を手のひら大の大きさにカットして、
とにかく、たくさん持ってくるようにと「援団」からレクチャーを受け、
資料用に保存していた競馬新聞を夜なべしてカットして、
翌日ライスタに持っていくと、
SNSがまだ発達していない時代(ウィンドウズ98が最新だった)、
にもかかわらず、
どういうわけか皆一応にたらふく「紙吹雪」を持参していて、
なんなんだコイツら・・・と驚いたっけな。
あれから20年・・・20年前に見た園川の引退試合、
いや福浦もグランドで見ていた。
そして今度は自分の番。
福浦和也という野球選手を失礼ながら、
我々と同じ、
「サラリーマン」として変換させてみると、
実は非常に興味深く味わい深い。
入社時は業界でも最下位の評価にして、
誰もが憧れるメジャー優良企業に残念ながら入れずも、
食っていくために仕方なしで入った3流企業。
頑張って頑張って、ようやく実力が評価されだした途端、
会社は未曾有の業績悪化(18連敗)に陥る始末。
そんな状況下になって自身までスランプに陥ってしまう。
が、そこから気持ちを切り替えて、
まずは自分が変わらなきゃと自己改革に努め、
経年劣化の「勤続疲労」(ケガや病気など)にもめげず、
必要とされる存在となることで、
度々襲うリストラの危機や、
怪しげなヘッドハンティング(FA)など、
転職の誘惑もなんとか乗り越え、
晩年は厳しくも若手から慕われる指導者的立場となり、
そして育てた若手選手たちがいよいよ芽を出し始め・・・
そこで「定年」と。
リストラされない、
あるいはリストラされても、
堕落しないサラリーマンの絶対的条件というのがある。
もっともこれば潮風太子独自の持論であるが・・・
まず挨拶力、次が準備力、3番目に謝罪力。
これが1つでも欠けていると、どうもダメな結果になる。
というのが自身の経験則だ。
これを野球選手福浦和也に変換して当てはめてみる。
常にグランドで大声でピッチャーや野手を鼓舞する元気力、
次が、あらゆるシチュエーションを想定した練習(準備力)、
3番目に失敗(エラーや凡退)を素直に認める反省力と、
次のチャンスに備え準備する挽回力。
福浦の現役時代を今一度思いだしてもらいたい。
どうだろう?
すべて当てはまっていないだろうか。
引退試合まで出来る選手は本当に幸せな選手。
定年まで「現役」として最後まで働けた人も幸せな勤め人。
定年まで、あと10年の潮風太子も、
今回の福浦の引退試合に関しては、
思いのほか感慨深かった。
やっぱり真面目に地道にコツコツ、
これが大正解なんだなと・・・
人生山あり谷あり。
よく言ったものだなと・・・・
福浦選手26年間本当にお疲れさまでした!
そして感動をありがとう!!

と、大感動の引退試合の翌日、
山高ければ谷深し・・・か、
ZOZOマリンスタジアムは西武の胴上げ試合の舞台となった。
この敗戦にて4位確定で今シーズンの終戦。
こういうところもマリーンズらしくてイイね。ポチっ!
って良かぁねぇよ!!
来シーズンこそ、もっと頑張れよマリーンズ!!
とセルジオ越後ばりの辛口コメントにて、
今シーズンのマリーンズネタ終了です。
ではまた次回。